日本人のお行儀

この議論はサッカーの日中戦における中国人一部過激サポーターの暴挙に対する論評をめぐってなされた議論です。ナショナリズムについての論考が私の論旨となっております。
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1351 日本人のお行儀 とほほ 敷地(URL) 2004/08/27 15:22
みなさんこんにちは、当掲示板でははじめまして、はじめましての方もはじめましてm(__)m

****さんご無沙汰してます。相も変らぬご活躍大変心強く思います。
さて、****さんの言説の一部が某掲示板へ転載され(善意の転載です)****さんの言説とは知らず、おちゃらけRESをしたところ色んな人に怒られました(^^;
ここでの****さんの言説である、と知った以上、ここへも投稿します。

> 先の北京でのサッカー・アジア杯の会場でも、怒号とブーイングの四面楚歌のなかで、日本の若者たちは、横断幕に「日本中国友好 LOVE」と書き、そのフェアな観戦態度が賞賛されました。このような高邁な志の若者たちに比べ、日本のオヤジたちは何と情けないことでしょう。

先にお断りしておけば私は決して暴徒化や暴力を肯定するものではありません事をご理解願い、誤解を恐れずに申し上げさせていただきます。

端的に申し上げますれば日本人サポーターのあまりのお行儀の良さには、かの超人気をはくした北朝鮮美人応援団のお行儀のよさと同質のものを感じてしまい、私にはどうにも虫唾が走るのです(^^;
「こりゃ、へたすると中国の方が民主化が進んどるぞ」などと考えてしまうのは私のへそ曲がりが由縁でしょうか。

まずは、私は「若者よ、中国過激サポーターに怒れ、そして知れ」と主張したいですね。

中国政府の「許すけど忘れない」と言う対日本外交は私は非常に崇高で民主的なものだと評価しております。それに対して、すっかり忘れてしまった人々が「日本中国友好 LOVE」等とお行儀よく振舞ったところで、相手の心に通じる事はないと思います。旧大日本帝国の「五族協和、大東亜共栄」と同じものくらいにしか感じないのではないでしょうか?

これはもちろん日本人サポーターに責任があるわけでなく、いや少なくとも戦後に生まれた我々にももちろん戦争の責任はありません。ただ、我々が背負わされている責任は戦争の真実を後世代にきちんと伝えていく事こそがその責任だと思っています。そうした中国の「忘れない」と言うスローガンに日本はどう対処したらよいのでしょう?やはり決して忘れてはならないのです。戦後の日本は民主国家に変わったのだそして「決して忘れない、そして二度と繰り返さない」と言うものを対中国及び周辺諸国外交の基本とせねばならないと思います。

と申しますのも、私自身が掲示板上でのある論争がきっかけで日本の戦争犯罪を調べ、そしてそれを知り、日本に対して激しい怒りを感じたからです、これは人間であれば共通の怒りであると思いますし、その怒りは中国人サポーターの怒りにも劣らないと思います。そしてこれを二度と繰り返してはならない、と真剣に考えるようになったのです。

首都の都知事が石原慎太郎であったり、小林ヨシノリが人気を博したり、自由主義史観などが横行したり、日本の戦争犯罪について何も教えない公教育であったり、等の風評は海外にも伝わっている事でしょう。これは中国人サポーターの一部とはいえ彼らの怒りの責任はこうした動きを止める事が出来ない現代に生きる我々の責任と言えると思いますし、民主国家として生まれ変わったのだ、と言う主張もこの事実の前には力がありません。
横断幕に【私たちは軍国主義を倒した、一緒に戦いましょう】と堂々と掲げる事が出来る日が来る事を願います。

ただ、私がここで主張したいのはそうした戦争責任問題もさることながら、「お行儀」について一考察してみたのです。

それにしてもサッカー人気と言うのはすごいものですね。私も子供の頃からサッカーは好きで私の在籍した学校がインターハイで準優勝した事もありサッカーを観戦して大変興奮したのを覚えています。
ところがその頃はサッカーなんてそんなに人気のあるスポーツではなかったのです、むしろ「サッカーをやると胴長短足になる」等という風評まであり(^^;、サッカー部への入部は敬遠されがちでした。

それがある日突然プロ化したと思ったらどこから湧いて出てきたのかサポーターなるものがニョキニョキと出てきてたちまち組織化され100年も前からサッカーが国技であったがごとき統制のとれたすばらしいサポーターチームが各クラブごとに出来上がりました。
その当時(プロ化された当時)私の勤めていた会社でも若い連中があつまりたちまち20人ほどのサポーターチームが出来上がりユニフォームや応援旗やステッカーが配布されていました。そのリーダーと私は仲が良かったので色々話を聞いたのですが、その20人のチームは上部団体に所属しておりユニフォーム等の類はそのまた上部団体から供給されるのだそうで、日本人の組織化能力には目を見張らされました。

私はその頃からへそ曲がりな為、昨日今日サッカー観戦を始めたばかりの輩がわかったようにサッカー談義をするのがサッカーに関して一家言を持つ私には癪に障るのでサッカーを見なくなりました(笑)

それはさておきすばらしく日本のサポーターはお行儀がいいです。これってデモ行進とかでもそうですよね?(^^;、整然と並び行進し「こうこう言うことは、しないように」とかビラや注意があり、それをきちんと日本人と言うのは守ります。それにくらべて海外のサポーターやデモ行進の人のハチャメチャぶりはすごいですね(笑)

私はフィリピンに滞在する事が多かったのですが、あそこの国の交通マナーってのは最低ですね(笑)とにかく隙間があれば車の鼻先を我先にと突っ込んでいきます。クラクションはブーブーとうるさいし救急車両のサイレンなんか誰も無視です救急車の前にも平気で突っ込んできます、日本であれば絶対喧嘩になってますし、またそんなことしてるから却って渋滞しちゃうんだよ順番に待ってればそのほうが早いよ、とか思うのですがフィリピンの人たちはなんだかそれを楽しんでいるんですね(^^;、在日フィリピン人の人が日本人はえらいとほめていました、フィリピンでは救急車が動けないから深刻な問題なんだそうです。

アメリカなんかでも車のバンパーはぶつけるためにあるのだ、と言う感覚らしくて日本ではちょこっとぶつけただけで警察が出てきて現場検証で道をふさがれるのにも困ったもんだ。

とにかく「自由」っていいなー、と言うのが私の感想です。「暴走族」大いに結構ではないですか、ヤレヤレー、って感じ。私も高校生の頃一度だけエンペラーの集会に参加した事がありますが気分爽快でしたよ。少なくとも当時の暴走族は不良とは言われてましたが、不良じゃなかったんですよ、今でもそうかもね。
私がトラックの運転手をやっていた頃だって、2,3人の暴走族のあんちゃんらが道をふさいで蛇行運転して前に進めないのですが、仕事があるんで真後ろにつけておもいっきりヤンキーホーンを鳴らしてやると(大型車のヤンキーホーンの音は半端じゃないのだ)ふてくされた顔をしながらも素直に道を譲ってくれるいい奴らですよ(笑)

不良だ不良だ、って言うから本当に不良になっちゃうんですよ。60年安保当時の普通のノンポリ学生が公安に追い詰められて過激化していき犯罪を犯すのと同じじゃないかなー?

うーーん、なんだか取り止めがなくなってきました(^^;
まとめようとすると「スポーツとナショナリズム」なんて事まで書き込みそうなのでこの辺で止めときます。
1368 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/09/08 10:09
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「いまや何をなすべきか。まずわれわれはヴェルサイユで、この条約(講和条約)の徹底的な改訂のために全力を注ぐべきである。それに成功したならば、これに調印すべきである。もし成功しなかったならば、どうすべきか。その場合は積極的な抵抗も、消極的な抵抗も試みるべきではない。わが国の代表ブロックドルフ=ランツァウ伯(Ulrich von Brockdorff-Rantzau。外相)は、憲法制定議会を解散する正式の布告と、大統領以下全閣僚の辞表とを敵国政府に手交し、ただちにドイツの主権と全政府機構とをひきつぐことをかれらに要請すべきである。かくすることによって、平和に対する責任、統治に対する責任、いや、いっさいのドイツの行動にたいする責任は、かれら敵国政府のものとなる。かれらは世界と歴史と自国民の前で、六千万のドイツ人の面倒をみなければならなくなる。これは歴史上前例をみない国家の破滅の仕方であるが、それこそがドイツ人の名誉および良心と両立する方法である。」
--- 「東郷重徳、伝記と解説」萩原延壽著、原書房より ---

以上は第一次大戦後に、ドイツに突きつけられた講和条約に対するワルター・ラーテナウ(Walther Rathenau)の言葉である。ラーテナウと言う人物は共産主義(ポルシェヴィズム)と言う新思想に対し激しい危機感と嫌悪を抱いていた当時の諸国指導者層の中において、共産主義を冷静に分析しいわゆる「感情的嫌悪」とは一線を画しており「共産主義への恐怖心」も持たなかった実業家である、彼は共産主義を人類の試験的試みと見ていた。

さてここで持ち出したラーテナウの言葉と彼の共産主義への対応とは関係ない。
もちろん講和条約に対するラーテナウの自暴自棄的な言動とも見ることもできる。
周知のように、ドイツはこの講和条約を受け入れる以外にその主権を維持する道はなく、そしてラーテナウの言葉のように主権を放棄することはなく、ドイツ国民議会は講和条約への調印後共和国憲法を発布しワイマール共和国の過酷な道のりがはじまるわけである。ワイマール共和国はカップクーデターを皮切りにあらゆる右翼勢力からの攻撃を受け最終的にナチズムが台頭するようになる。ラーテナウの言動はこうした右翼勢力を扇動する結果になったのかもしれない。

私は、現日本が本当に民主主義国家であるならば、対中外交(対中に限らないが)においてこのラーテナウの言葉の実践こそが日本人民のあるべき立場だと思う。国民国家と言う概念や価値観に依存して生きていく以上その国民国家が犯した罪は永劫にその責と業を国民が背負う。国民国家の概念から超越した世界秩序がありえないのであれば、そしてその国家が民主主義を維持しようとするなら、それ以外に日本人民がその尊厳と良心を両立させて生き残る道はない。
中国に主権を渡したところで何もおそれるものはない。我々日本人は「民主主義者」である、香港がそうあるように日本もそのようにあればよい。日本がそうなった時にはじめてそれこそ中国本土の民主化は我々(その時の我々は中国人民である)の民主主義の為の緊急課題となるのである。

戦争責任問題は私に問う。
「戦後に生まれた我々に戦争の責任はあるのか?」
私はこう答える。
「我々にはもちろん責任はない、が国民国家の国民である責任として、その体制からもたらされた富により私の命は存在するのであり、正しい歴史を後世に伝えねばならない。」

さらに懐疑的な私の中の戦争責任回避論者は問う。
「個人(少なくとも戦後に生まれた個人)にどうしようもなかった戦争、に対して何らかの責任を負わせる事は個人としての人権を侵すものではないか?」
「個人の人権を生かすと言うことは、他者の人権の尊重に他ならない、犠牲者またはその遺族の人権を尊重することこそ己の人権を護る事になる」

懐疑的な回避論者はまだおさまらない。
「他人の犯した人権侵害について関係のない個人が責を負うのか?」
「国民国家の国民である以上その責から逃れられない。」

こうした終わりのない議論をしているときに私はふと気がつく。
この議論は所詮は「国民国家」の国民である事の枠から超越せねば、延々と続く。そしてなぜ自分が「国民」であるのか?「国民」ではない自分はありえないのか?となり、そして「国民」であればこそ「人権」を有するのか?と帰結する。
そして私の解答は否である、人権は万人に与えられた権利であり私が国民である必要はない。
しかし国民である事は逃れられない現実なのだ。

****氏の言説にある通り「中国の排他的ナショナリズム」が「民主主義の敵」であるとしても、その国境の外側からそれを攻撃する事はできない。なぜなら外部ナショナリズムに対抗できるのは内部ナショナリズムだけであるからだ、この内部ナショナリズムは往々にして民主主義の御旗の下に正義の衣を着ており、この内部ナショナリズムもまた「民主主義の敵」になりかねない。民主主義者である我々にできることは己を支配するものへの警戒であり他国の「民主主義の敵」に対する警戒または攻撃は国民国家体制下の世界秩序の上では無意味であるか否かは結論できないが少なくとも無効である。

本稿冒頭において一次大戦後のドイツに触れたのはその良いモデルであるからだ。確かにヨーロッパの国民国家としてのあり方と日本のそれとではその歴史に大きな隔たりがありラーテナウのような思考が日本に生まれるにはその成立からして無理がある。
また、日本は当時ドイツが突きつけられたような苛烈な条約を強要されたわけでもない、どころか周辺諸外国からは賠償を免責されており連合諸国の積極的支援を受けている立場である。しかし国民国家概念の上に安穏として生活しその繁栄を享受する以上ラーテナウの言説の正しさは認めざるをえない。

であれば「一国平和主義」と言う言葉がよく使われるが「一国民主主義」ももはや成り立たない。つまりこれは、敗戦国だから、戦争犯罪を犯した国家だから、と言う枠にもとらわれない事になる。己の民主主義(一国民主主義)を守るために、他国(それが民主主義の敵であるとしても)を攻撃する、と言う行為そのものが己の民主主義をも破壊する事に他ならない。戦争を否定する我々は「一国民主主義」がもはや成り立たない事に気がついたのである。国境がある以上他国の民主化に言及する時、情報戦略、非民主国家人民へ対する民主国家内の全ての情報公開、がこれまでのところ最善の方策である、そのためには国境の内側にいる我々の民主社会こそが真の民主主義国家として成熟しておらねばならないのだ。

がしかしこの戦略も己を安全な位置に置きながら中国人民に多量の血を流させる事になる可能性を否定できない。鉄のカーテンやベルリンの壁の崩壊は一縷の希望を持たせるものであるかもしれないが、現在流されている大量の血は例外ではなかった事を示唆しているようにも見える。イラクで人質に取られた方々の行動は正しかったのだ、イラクの民主化の為にはその支配下へ飛び込むしかない、そして飛び込んでいった彼らの勇気はたたえられるべきものである。

戦争を否定する我々は政治的外交的いかなる制裁処置をも発動する事はできない。だが自衛権の行使は国民国家の体制化にあってはその正当性を免れる事はできないが、それは己の民主主義をも破壊する。
であるからこそ軍備廃棄の正当性はラーテナウの言説によりこそ付与される。
日本の民主主義がそこまで成熟するには100年いや何百年かかるのかはわからない、しかしその事に気がついた私がとるべき行動はハッキリしている(それが如何に非力であったとしても)。

本来民主主義に国境はいらない、が、現実に国境が存在する。となれば民主主義が「民主主義の敵」を倒すにはその敵の支配下においてのみ有効である。
中共が政治的外交的措置としてそれを持ち出したときにはじめて、それを論難する事ができる、しかもあくまでその立場(ラーテナウの言説にある立場)を固守すべきである。その立場を崩そうとする国内勢力にこそ日本の国境の内側にいる民衆は警戒せねばならず、そうではない中共への論難は国境内での「民主主義の敵」を勢いづかせるだけである。

****氏は言う。
> ****

また実証史学を批判して上野千鶴子氏も言う。
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「自由主義史観」を主張する人々を、「デマゴーク」や「プロバガンディスト」と呼んで、相手にするに足りない、と斥けるのは容易である。だが、その見方の背後で、「真理」に奉仕する学問の「客観性・中立性」の神話が、無傷で保存されるとすれば、その危険もまた指摘しておかなければならない。
---「ナショナリズムとジェンダー」上野千鶴子著、青土社---
としながらも、【わたしの意図も、「自由主義史観」」一派との論争にはない。】と続けている。
#上記文の注釈で上野氏は「日本の戦後史は必ずしも単純な実証主義に還元されない」と説明している。

上野氏の著述は6年前(1998年第一刷)である。「取るに足りない」とした時に誰が取るに足りない教科書が検定を通る、と予想できたであろうか。誰がたった一校でもそれを採用する学校が出てくる、と予想できたであろうか。
そして公教育が「取るに足らない教科書」の全面採用に至った時も、そんなデタラメな教科書を信じる若者などいない、と我々は言うだろう、それこそ取るに足らない教科書なのだから。大戦前の知識人は常にそうして己の良心を欺いてきたのだ。

原爆を作った科学者は言うだろう「こんな馬鹿げた爆弾を使う馬鹿げた国家はいない」と。抑止力の為にこそある、と。そうして己の良心精神性を維持する「確かに私が作ったがその使用には絶対反対である」
アインシュタインは天国で被爆犠牲者に対面しながらもそう思っているだろうか?

私はここでも「悪魔の飽食」森村誠一から引用したい。
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民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に抱含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命があるのだ。

民主主義の敵を認めて、ひとたび敵(ファシズム=独裁主義)の天下になれば、ふたたび民主主義を取り戻すために多量の血が流されねばならないことは、歴史の証明するところである。民主主義はその敵に対する絶えざる疑惑と警戒の上に辛うじて維持される。

われわれが「悪魔の飽食」を二度と繰り返さないためにも、民主主義を脅かす恐れのあるものは、どんなささやかな気配といえども見逃してはならない。われわれは民主主義の敵に対して警戒しすぎるということはないのである。そのことをこの実録によって再確認できれば筆者の幸せこれにまさるものはない。
---新版悪魔の飽食、森村誠一著、角川文庫、301P---

となれば、国民国家の国民であることに喘ぎながらも私にはモグラ叩きを続けていくより術はない。見たくない現実(中共のナショナリズム)を見ないのではない、見えている現実に対してできる事をせねばならないのである。
あくなき自由への追求も民主主義に与えられた宿命であり、これこそが見えているのに見たくない、が見なくてはならない現実なのではないか。
私は「お行儀の良い民衆」が【民度(石原慎太郎語録における)】が高いのか否か判定できない、自由である事の真の姿はもっと醜いはずである。程度問題ではあるかもしれないが、お行儀の良い若者を形成する社会には胡散臭さを感じる、戦中日本人民のお行儀は世界一であったであろう。若者のお行儀が悪くある事も自由である事の本質的な姿である。そして大人と喧嘩するのである。

「若者よ、中国過激サポーターに怒れ、そして知れ」
やはりこの主張は取り下げられない。

中共はナショナリズムを否定しながら国民党政権を追い払った。そして今ナショナリズムの発露がある。国民国家体制下のナショナリズムは民主社会の中でこそ培養される、ファシズムはそれを利用したものにすぎない。現に江沢民以前中国人民は大変お行儀がよかった、北朝鮮人民もまたしかり。天安門事件は例外であるが、彼ら(犠牲者)の行儀の悪さは民主化の名の下にあるから、レジスタンスの行儀の悪さは自由の名の下にあるから、許されるのであろうか。ナショナリズムの発露を民主化の兆候と見ることはそう大きく答えをはずしていまい。

さて、と言う事で(^^ゞ
****さん、いつも的確なご批判をありがとうございます。おかげで私の議論の論点のいくつかを整理する事ができましたm(__)m
結局私の議論はナショナリズムをどう扱えばよいのか?に収斂されるような気がします。結論から言えば私の思想はいわゆるアナーキズムに近いかもしれませんのであらゆるナショナリズムを否定的に捕らえていますし悲観主義であるかもしれません。が、しかし現実は現実として捉えられるべきで「国民国家」なるものがその理想的姿としてどうあるべきか、の立場から整理してみました。
以下に論点の抽出を試みますが、これ以外にも 先の[1351]における とほほの議論 が論点とすべきもの又は批判されるべきものがありましたら、ご教授いただければ幸いです。

1、スポーツとナショナリズムは切り離されるべきか(または切り離しが可能か)。
2、ナショナリズムはナショナリズムに利用されやすい。
3、国民建設とナショナリズム
【国民国家はナショナリズムにより成り立つべきか?、この論理は少しおかしいかもしれません、ネイション(国民)こそナショナリズムの発祥ですからステート(国家)はナショナリズム又は民族主義によって成り立つべきか?とすべきですかね?(^^;、もしくは民衆は国民足るべきか?としても民主主義は民衆が国家を形成する思想ですから矛盾がありますね?結局国家とはなんぞや?】。
4、ナショナリズムは否定されるべきか。
5、ナショナリズムは良いナショナリズム(郷土愛)と悪いナショナリズム(排外的ナショナリズム)に区分できるのか。

元々こちらの掲示板へは、外国人労働者と単純労働市場の問題で投稿するつもりでパスワードを申請したのですが、結局このナショナリズムの問題が本質的に同じ問題を抱えており追々この論点についても投稿していきたいと思います(^^ゞ

外国人労働者の問題を考える上で1989年第1刷となる「明日の隣人外国人労働者、花見忠、桑原靖男編、東洋経済」と言う本を読み返しておりましたら、その中に西尾幹二の名前が出ておりちょいとビックリしました(笑)
この本を昔読んだ頃はインターネット等に私は縁がなく西尾幹二なる論者の存在さえ気がついてなかったわけです。多分ネット上でのピエールさんの言説を見て「西尾幹二とはとんでもない事をいう奴がいるもんだ」と認識したと思います(^^;

この本はいわゆる単純労働市場の開国鎖国論争の中で鎖国論(もしくは開国慎重論)を6人の執筆者が編纂しております、が、当時の論壇がまだ健全であった事はそうした鎖国論者でさえ外国人労働者を「明日の隣人」と捉え鎖国論を展開しながらも長期的には日本は受け入れ態勢を整えねばならない、とし西尾幹二の鎖国論など

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たとえば、比較的海外の事情に通じ、各国のこの問題に対する態度はわが国で一般に信じられているほど「国際的」ではないことを指摘し、「国際化」の名のもとに安易に外国人労働者の受け入れ拡大を主張する議論に批判的で、大胆に「鎖国」を主張される西尾幹二氏のような論者でさえ、なぜかイギリスについて「日本のような人種的に閉ざされた国では考えられないような自由と度量とが、この国を支配している」と書いておられる。その根拠は「最近でも、ヒースロー空港に毎日のようにインドやパキスタンから難民が降り立つ。余りの数に耐えかね、ついに法的に制限しようとする動きがあったが、労働党の反対で不成立に終った」(西尾幹二『戦略的「鎖国論」講談社、一九八八年、120ページ』)ことにあるようだが、これはイギリスの移民政策の歴史と現状をまったく無視した判断というほかない。このように、比較的開放政策に批判的な論者でさえ、外国についての認識が不十分であるから、他は押して知るべしである。
---明日の隣人外国人労働者、第6章、花見忠---

と言う風に一蹴されています。
当時の論壇がまだ健全であったように思えるのは私の無知が西尾幹二の存在に気がつかなかった由縁でしょうか?私はこの本を読みながら、15年間前に6人の執筆者が予想または主張した現在にいる自分、から見ると「取るに足らない」とか「例外的事象の誇大視」であるとかとても思えないのです。
彼らの予想または主張では外国人労働者は今現在私の隣人になっている、少なくとも隣人として受け入れる準備は出来ているはずです。(もっとも彼らの予想はバブル期に行われたものであり、バブルの中にいるときにはその崩壊を予想する事は難しく、その予想をはずしたのはクズウヨの連中ではなく、経済上の成り行きと見ることも可能かもしれませんが、当時の好景気が不況に転じた場合も問題点として挙げられており、外国人労働者にそのシワ寄せが行くようであってはならないとは結論されておりました。)
1383 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/09/13 10:19
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****氏の指摘の通りサッカーと政治や領土問題とは何の関係もない事は周知である。これは中国過激サポーターも周知である。つまり彼らの罵声はサッカー選手団や日本人サポーターに向けたものではない、日本と言う国民国家に対して向けられたものなのである。これを認識した上での私の主張なのである。

もろん私も****氏の言説には同意している。どころか大変共感している事は私が****氏の言説のホームページへの転載を許可していただいている事実をもってしても疑いようがない。しかし
> ****
とは言えない現実がある事を指摘しているのである。ショーヴィニズムもナショナリズムなのである。「お行儀が良い」とは社会規範に従順であるということだ、そしてその社会規範は体制により創造される、と言うことである。文化大革命はお行儀の良い若者が行儀の悪い大人(知識人、文化人、宗教家)を迫害したものなのである。

先の投稿で私が言及しているのはラーテナウの思想や人格とは関係ない、どういう立場でこの発言が為されたのかも関係ない、またそれを私が知るには****氏の言うとおりドイツ史を学ばねばなるまい、私の主張に矛盾がありその原因がラーテナウの思想や人格に起因するものであれば、ご指摘いただければこの主張は取り下げて改めてドイツ史を学びたいと思う。
日本フェミニズムや宗教界が国家翼賛体制に積極的な協力をなしたのもまぎれもない事実であるが、それを持って日本フェミニズムの為した言説が誤りであると出来ない事と同様に考えてもらいたい、市川房江は己の戦争協力を自己批判していない、が、私は戦後の市川房江を支持する。
このラーテナウの言説が軍備を廃棄すべき国民国家のあり方として美しい論理的整合性を為している、との主張である。

#補足:因みにラーテナウの共産主義に言及した言説を引用しておく。
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「自分(ラーテナウ)は労農政府は世人の言ふが如く早く崩壊するものとは考へない。又よし露国の『ソヴィエト』政府がつぶれても、共産主義思想は絶滅するものとは考へない。労農政府の施設は人類の一試験であるから、暫く籍するに時を以ってして成功するや否やを見ることが尤もいいと思ふ。しかし、右の制度は『ロシヤ』の如く国土大にして、自給自足の可能なる地域に非ざれば試験期を経過することさへ困難となるから、独逸の如き資源不足し、多数国との交易に由らずしては生存の出来ない国柄に於いては実行不可能なるにより、共産主義制度は独逸には実現の余裕なし。」
[時代の一面、19頁(改造社版)]
---「東郷重徳、伝記と解説」萩原延壽著、原書房---

民主主義とは何か?
民主主義とは、自由、平等、博愛のスローガンのもと、民衆が主権を持ち司法行政立法の三権を施行するという思想。この思想の成り立たない社会はいかなる国家体制経済体制にあろうとそれは民主社会ではない。逆に共産主義体制であろうとこれが成り立っておればそれは民主主義である。

では民主社会の「民」すなわち民衆とは何か?
それは個人個人の集まりである、個々人の集合が「民」である。
「主」は主権の事であり民衆が主権を持つと言う意味になる。
では「社会」とは何か?
これはつまり集結した個々人の関係式に相当する。

個々人は各個人ごとに全て意見を持ちそれが完全に一致する事はなく多種多様な意見が混在する。この多種多様な意見を統一し(その手法が議論であれ武力であれ権力であれ経済力であれ多数決であれ同じ事である)社会(関係式)をまとめようとするのが全体主義である。そして全体主義が民主主義を廃した事は周知の事実である。よって民主社会とは意見を統一しようとの試みではない、意見の異なるもの同士が如何に互いの人権を尊重できる関係式を構築してゆくか、と言う試みの事である。

しかるに、私の主張は他者がどうあるべきこうあるべき、と主張するものではない。己がこうあるべきとの議論であり、共感を歓迎するが求めるものではない。が。たった一つだけ他者への要求がある、それは知識人諸氏には外国のショーヴィニズムに言及する時、国内のショーヴィニズムに対する厳重な警戒の上に慎重に行っていただきたい。というものである。

パトリオティズムとショーヴィニズムはホモロジー(相同)である。当然この二つは明確に区別される、がホモロジーとして統一できるのである、誤解を避けるために付け加えるとこうした区別が明確に成り立つ事は以前にも「三種の愛国心」を紹介し私も主張している。
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国の古を慕い、その歴史の光栄を楽しみ、もしくは国家の屈辱を悲しむのみならず、よく自国の罪過を感覚し、その逃避する責任を記憶し、その蹂躙せし人道を反省するは、愛国心の至れるものにあらずや。(中略)わが国のいわゆる愛国心なるもの、(中略)滔々たる天下歴史に心酔するものにあらざれば、悲歌慷慨外に対して意地を張らんとするに過ぎざるなり。自ら国家の良心をもって任じ、国民の罪に泣くものはほとんどまれなり。甚だしきはこの種類の愛国心を抱くものを非難するに国賊の名をもってす。良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。このために国を誤りしもの、古今その例少なからず。
---植村正久「三種の愛国心」一八九六)---
それでもホモロジーである。私が「区別できるのか?」としているのはホモロジーではなく方向の異なる同一のものではないか?と言う疑問である。

この主張はジェンダー論と論理的アナロジーである為そちらを使って考えてみる。ジェンダー論はジェンダー境界(私の造語である)を撤廃する事により発展してきた。ジェンダー境界の撤廃とは、「パラダイム転換」と上野千鶴子氏が表現するものと同一とみなして構わない。このジェンダー境界の撤廃は、ジェンダー(性差)をホモロジーとして扱う事により為されてきた。ここで誤解があっては成らないのは区別に対しては明確に残っているのである。これは他の差別撤廃論と比較した場合、区別そのものを不当である、とした撤廃論とは異なる事を認識しておかねばならない。

フェミニズムはまず家父長制と言うジェンダー境界を撤廃する事からはじまる。新しい家族制度の提案となる(この提案が実現されているかどうかは別問題である)。この新しい家族制度は夫(男)と妻(女)はホモロジーであり同一の権利を保証する事になる。

権利を獲得したフェミニズムは家父長制と言うジェンダー境界を破壊する事により社会に進出する。その社会で数々のジェンダー境界の存在を知り、そのジェンダー境界を破壊して行く、ジェンダー境界を構築するあらゆる社会規範倫理観等を撤廃していく、こうした運動の中でジェンダー論は聖性(母性)と娼婦性と言うジェンダー境界を発見し戸惑いを覚える、がしかしジェンダー論は初期の段階で家父長制と売春がホモロジーであることを示唆していたのだ、ここでジェンダー論は見事に売春婦差別を克服する事になる。売春が女性差別であり重大な女性に対する人権侵害であることを理論的に実証したのだ。

それと同時にジェンダー論は女性の社会参画の段階で克服できなかった戦争への女性の加担(銃後の母、女性兵士の平等徴用等)を国境を越える事で克服した。すなわち従軍慰安婦問題である。国境を越える事でジェンダー論は戦争を否定し完成を見た。このときジェンダーとはその言葉の本来の意味する「性差」を超越して使われる。

#こうした私のジェンダー論は「ナショナリズムとジェンダー、上野千鶴子著、青土社」ただ一冊に依拠している、ただし上野氏が私のようなジェンダー論を唱えているわけではない事は明示しておく。またジェンダー論は理論的な完成を見ただけであり、これを実現させる道程は長くその具体的手法も確立されているわけではないと私は考える。

さて国民国家である。国境をジェンダー境界に喩えて考えてみる。
実はパトリオティズムとショーヴィニズムのホモロジーによって発展してきた事がわかるのだ。杉山正明氏の言説を借りてみる。
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人類の歴史の諸相をふりかえれば、西欧型の「民族」「国家」の考えは、よくできたものではあるけれども、あくまでひとつのパターンにすぎない。西欧文明だけを絶対視・神聖視せずに、平易にこれまでの人間の歩みを見直せば、当然それにおもいいたる。

「ネイション・ステイト」が前提とする美しいストーリーも、じつは冷静に眺めるとほとんどの事例が、「ステイト」があって「ネイション」となった。国家建設のあと、国民建設がくる。
西欧の場合もそうである。

ところが、日本は、西欧型の「ネイション」や「ステイト」の概念を導入しやすい歴史と風土があった。それどころか「民族」「種族」「国家」「領域」「社会」「文明」が、異様なほど等号にちかいかたちでむすばれやすい環境と伝統にあった(もちろん、厳密にはちがう)。西欧型の「ネイション・ステイト」が、本来の意味する以上に、過度にあてはまりすぎた。
---「遊牧民から見た世界史」杉山正明著、日本経済新聞社、28P〜29P---
このようにしてみると、****氏の言説がとてもわかりやすくなるのだ。国民建設の為にナショナリズムは利用されるのだ、それが外に向かったときにはショーヴィニズムとして内に向かうときにはパトリオティズムとして見えるだけなのである。

国家建設の後国民建設が来る。
「中華民国」は明らかに中華圏(現実にこうした圏域が明確に存在するか否かは別問題である)と言う国境を超越したパラダイム転換によるナショナリズムを構築して国家統一を成し遂げたわけだ、「中華人民共和国」はその「中華民国」のナショナリズム(それは往々にして戦時中ショーヴィズムとして機能していた)を排し建国されたのです。ところが「中華人民共和国」がやはり国民国家として成立するためにはナショナリズムが必要となり国民建設に欠かせないものとなった、そこで「中華人民共和国」としてのパトリオティズムによる国民建設がはじまる、が、それは同時にショーヴィニズムを培養していくことは避けようのない現実なのだ。

単純に言及する。
国家建設の後に国民建設がある。
国家建設はショーヴィズムによって為され、国民建設はパトリオティズムによって為される。そのパトリオティズム国民建設が緊急であればあるほどショーヴィズムを利用したほうが効果的なのだ。つまり敵を作る事である。(こんな事は****氏も重々承知である)なぜ中華人民共和国に敵が必要になったのか?これこそが中国の内部紛争にある、内部紛争とは民主化の一つの表れなのである。

しかし、ジェンダー論とはことなり国民国家論は決して国境を越えられない、国境を越えようとする時血が流される。

> ****

これからですか、長い道のりですね、15年前にも「これから」でした。
でも確かにやらねばなりません。

「人口の減少する日本では、必然的に外国人労働者を受け入れなくてはならない事態になる」
そうではないのです。これは日本の一国主義に基づいた考え方です。職のあるところに労働力の供給圧力はかかってきます。本来この圧力に抵抗する事はフェアな自由競争とはいえません。諸外国も確かに単純にこれを受け入れることはしません、それは移民立国国家も例外ではありません。が、少なくとも諸外国はこれがフェアではない事を認識してます、不法滞在者の人権には最善の配慮がなされます。さて現日本はどうでしょうか?「不法滞在と言うだけで」監獄に放り込まれその人権は不当に侵害されています、労働供給圧力に歯止めをかけることを必ずしもフェアではない、と言う認識が日本にはないのです。他方日本の地方から都市部への供給圧力に対してはそれを認識してます。日本のショーヴィズムがここにもあります。

外国人労働者の問題は「とんでも教科書」には書いてないであろう、だからそれとこれは問題は別だ。否ですショーヴィズムを「とんでも教科書」作り上げていくのである。「歴史認識こそが問題である」これは梶村太一郎氏の至極名言であるとして私の座右の銘になってしまっている。
リビジョニズムに対抗せねばならない、これは事実だ。その時に「なぜリビジョニズムが危険なのか」これも決して忘れてはならない。
1402 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/09/16 10:23
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私は****氏の主張にほとんど賛同である。がしかし、なぜこうも民主主義完成に向けた方法論が異なるのか?この議論を逃げるわけには行かない。外国人労働者の問題に対する私の主張もこの議論が崩れると成り立たなくなるからである。****氏の言説は正論であるが正論は正しい社会の中でしか機能しない、かならずしも「国民国家」は正しい社会ではない。

どうやら私と****氏の間では「国民国家(民族国家)」と言う概念を見ている方向が異なるようだ。確かにネイションステイトと言う概念はフランス革命によりなされた。がなぜであろうか?本来民主制に国民(民族)の概念はいらないはずである。現にヘロドトスの時代から民主制の概念が存在した事はオタネス、メガビュゾス、ダイオレスの議論をみても疑いようがない。民族主義は西欧に脈々と流れ続け、その基礎(パトリオティズム)があったからこそ「国民国家論」は生まれてきたのである。そうしないとブルボン王朝はあったが「フランス」と言う国はなかった事になる、そこで生まれてきたものである。

確かに「国民国家」は封建を排し、西欧諸国(または全世界)に歓迎された、が、必ずしも国民(民族)の概念にとらわれる必要はない、と私は主張しているのである。そして国民国家論は戦争を否定できない、それを否定するためには国民国家と言う概念を廃せねばならない、現に国民国家以前の人類は自由に移動ができた事実は****氏も指摘している。ジェンダー論は国境を越える事で戦争を否定できた、であるならば民主主義もまた国民国家を越えねばならないのである。もう一度言っておく、これに関する有効な反論は今のところない。
【その国境を否定せずして他国の「民主主義の敵」への言及は自国の「民主主義の敵」の養分となり戦争を可能にしてしまう。】

国民国家が難民の供給源になるとか、国際的な右傾化とか言うのは矛盾でもなんでもない。国民国家の必然である。単純に考えると良いのだ、国民や国境があるから「難民」なのである、それがなければ難民ではない、単に職(食)安全を求めて人間が移動する結果だ。

つまりは、国民国家にもはや幻滅している私と、国民国家にまだ理想を求めている****氏の違いなのかもしれない。

> ****
> ****
このパラドックスは指摘おかねばなるまい。単に「スポーツの世界に政治を持ち込むな」と言う論理性のない既成概念、スローガンに拠るだけである。論理的には矛盾である。戦争責任をあいまいにしたまま「サッカーをするときはこの問題は無視しましょう」と言うことである、一方でサッカー(スポーツ)は相互間の理解を深め対立を解消できる、としている。戦争責任抜きにして仲良くしましょ、と言っているのである。スローガンは大事であるが民主主義のスローガンに適応させるための見せ掛けのスローガンにすぎない。
一般はスポーツに対してある種の神話、誤解がある、スポーツは勝つためのゲームである、闘争心やそこにある敵対心は一般が考えるような奇麗事ではない、相手を軽蔑の対象に置き己の勝利を確信させる。真のスポーツマンこそそれをよく知っている、だから平時はお行儀が良いのだ人間の性をよくわかっているのだ。
単なる野盗の大将を自他が大名大名と英雄視するのと同じ類である。
では戦争責任とは何をなせば責任を果たした事になるのだろうか?

> ****
ナショナリズムを区別する、と言う方法論にすがっているだけである。これが区別できない事はもはや否定できないのではないだろうか?
しかしナショナリズムの否定には私も大きな抵抗感恐怖心がある。
では国境を否定すると言う事はナショナリズムを否定する事になるのか?これは否である歴史はナショナリズムと国家(ステイト)とは関係なく存在していたのであり、現在の「国民国家」の方が特異な存在なのである。日本、中国、ロシア、アジアの歴史がそれを如実に物語っているではないか国家(朝廷)と民族は関係なかった。
封建を廃するために国境がどうしても必要であろうか?否である。民主主義に国境は必要ない。

ただ、以下の疑問には明確に答えられるので書いておく。
【なぜ中国だけだめなのか?】
中国がソ連邦崩壊以降、日本ナショナリズムの仮想敵国であり、日本の侵略戦争被害国であることは紛れもない事実だからである。

「有史以来」とよく使われるが人間の叡智の築いてきた社会は確かに尊敬すべきものである。ところが現代人はこの長い歴史の中で極めて特殊な環境にいるのである。人類誕生から数えてその延べ総人口の10%が現在生存しているのである。逆に言えば人類の叡智の10%が現在生存しているのである、たった2、3百年前にできた国境を破壊するくらい出来ない事もあるまい。

科学を体系的に分類する学問があるということだが、私は大学教育を受けていないのでそれを知らない。でもあるときふと一つの分類に気がついた。自然科学と他の学問の分類法である。非常に単純であった、その学問が現象論であるか否かで分類するとよいのである。現象論で説明するのが自然科学である(関係ない話であるが、そうすると歴史学も自然科学である)。しかし社会学は現象論ではない、人が如何に生きれると幸福なのであろうか、人が幸福であるとはどういうことであろうか、と言う真理に奉仕する学問である。

#余談
そうすると数学は自然科学ではない、となる分類するなら語学の類である、科学を既述する為の言うなれば科学者以外にとっては外国語となる、そうすると私が子供の頃数学が苦手であった事が一挙に解決された、私は外国語が赤点だったのだ←我田引水。

昔の日本人は「住めば都」とはよく言ったものである。小さな領域のパトリオティズムにしばられ支配されていた人々にとって「島流し」は恐怖の対象であったろうが、西郷どんが島流しにされたのは私の故郷である、そうした価値観概念を超える能力が昔の日本人にはあったのだ。

どうも私の筆力ではうまく表現できない為またも引用させてもらいたい。

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国家や王朝にさきだつ「ア・プリオリ」なものとして、「ネイション」(フランス語で「ナスィョン」、ドイツ語で「ナツィオン」。ただし、語義・内容は微妙にことなる)が想定された。なによりも、まず地位や身分、富や階級をこえた「ネイション」と言う人間のかたまりの「実体」があるとされた。国家(ステイト)は、そのうえに乗る人口の産物と定義された。ある種の神話である。そうしなければ、ブルボン王朝はあっても、「フランス」は存在しなかった。この考えが歓迎されて、ドイツ統一、イタリア統一の気運と道が生まれていった。

十九世紀は、西欧がもっとも輝いた時代であった。世界を、その手の中に分割・支配した。このなかで、近代西欧の価値観、国家観、文明観が無上のものとされた。現在につづく学問・学術上の「知の枠組み」も、ほぼこれとともに形成されていった。

「ネイション」にもとづく「ステイト」、すなわち「ネイション、ステート」の成立は、歴史の当然とみなされた。多くの地域、人びとが、その理想を追いかけ、努力し、血と汗を流した。

その結果、とくに第二次大戦後は、多数の「ネイション・ステート」と称する国家群が簇生した。かなり多くは、現実には「地域国家(リージョン・ステイト)」に落ちついた。特定の部族(ドライブ)だけが中核となった「ネイション・ステイト」にあっては、「国内」対立ははじめから構造化されていた。

しかし、一般にもっとも衝撃となったのは、近年のソ連の崩壊前後からはじまった一連の経緯である。

当初は、東欧の民主化もあって、西欧型デモクラシーの勝利をとなえる人も多かった。しかし、それもしばらくのことで、ほぼ一斉に各地で頻発・激化した「民族自立」「民族紛争」「民族純化」の嵐に、多くの人々が困惑し、うろたえた。「民族」「国家」「国境」「社会」などの既成の概念が、すべて液状化してゆくような現実をまえにして、近代西欧型の文明パターンは急速に色あせた。
---遊牧民から見た世界史、杉山正明著、日本経済新聞社、P28---

> ****

日本のチンピラを押さえられずして、外国のチンピラを攻撃しても日本のチンピラに利用されるだけだ。と、主張しているのです。チンピラは知識人の言説を利用して(科学的権威を持ち出して)なんでも言います。生物学を利用した「ばばあ発言」をはじめ最近ではホーキングの宇宙論を持ち出して「終末説」まで飛び出してます(もっとも石原の刹那主義の端的な現れですが、ノストラダムスならぬ「石原慎太郎の大予言」です)。

> ****

どうやって崩壊させるのか?が問題となるわけですよね?一番簡単でわかりやすいのが戦争ですよね?現実にアメリカはそうした政策ですよね?戦争を否定する我々はまず第一に戦争を批判せねばならないわけで、言論により崩壊させようとします。が、しかしそれはあくまで国内のチンピラ退治の後です。再三言いますがチンピラが権力を握っているのです、日本は。そしてチンピラは戦争が大好きなんです。

> ****

では、これがラーテナウの言説ではなくどこの誰とも知れない人間の言説であると仮定したら「この言説が軍備を廃棄すべき国民国家のあり方として美しい論理的整合性を為している」を認めていただけますか?

> ****

戦争を認めるつもりですか?

> ****

私が昔働いていた職場では荷役作業員のほとんどが中国からの留学生でした。上海からの集団と、福建省からの集団があって、この二つの集団の仲の悪い事と言ったら(^^;
いえ、こう言う労働環境の劣悪な職場と言うのは喧嘩なんて日常茶飯事で中国人同士、日本人同士、日本人と中国人、喧嘩に差別はありません(^^;
しかし、ある日福建省対上海の大乱闘になった事があります。向こうの人は喧嘩する時本当にカンフーをつかうんですね(^^;
まあ、こう言うのはチンピラ同士の喧嘩ですからナショナリズムに当てはめるのはどうかと思いますが、私はこうした対立感情を励起させるのはやはりナショナリズムだと思います、おそらく劣悪な生活環境にある中国本土の人たちもチンピラになるに違いありません。江沢民以前の出来事です。こうした対立が国内にあるとき、もし****さんが江沢民であればどうしますか?

犯罪は犯罪ですから犯罪として済ませてしまえば良い。私もそう思います。が国民国家と言うのはそれで済ませられない体質をその理論上持っているのです。ほっておくと差別社会を形成します。日本はこうした問題を同化(同和)政策で処理しました、日本は単一民族である、と言う虚構の構築に成功しました、ただそれは虚構であるために差別に気がつかない、と言う最も悪しき形質をも獲得した事を我々は知っています。
当掲示板の設置者の方のパトリオズムは明らかにこれへの反発です。

> ****

実証史学の限界は私も認識してます。最もそれを認識しているのはおそらく歴史学者たちでしょう。歴史家の一般向けの書物を読むとそのジレンマがひしひしと伝わります。

チンピラにもっとも過敏なのがチンピラなんです。町を歩く時チンピラの格好をしているとすぐにチンピラに襲われます。こう言う低俗な文化社会のことだけは****さんより私のほうが詳しいです、任せてください(笑)
もし****さんの言説をチンピラが利用して、
例えば

【地位保全のために文化大革命というばかなことをやった。あれで3,000万ぐらい、人が死にましたな。ほとんど餓死ですよ。ちょうどそのころ、向こうにいたある家族の女性が、だんなさんを連れて、日本人ですけれども、戻ってきて言っていましたが、「とにかく食べるものがない。もう半年近く、ずうっと寝たきりで、水だけ飲んで、何日かに1回、食べ物らしきものを食べて生きつないだ。」と言っていたけれども、そういうことをやって、3,000万の人が死んだんだ。ところが、その岡本君の指摘の公文書なんか見ると、教育の指導要綱みたいなものに、3,000万の中国人を日本人が戦争中に殺したという記述になっている。彼も本当にこれは愕然として、何というんでしょうかな、こういう反日宣伝をやられると、日中関係は非常に問題があると思うと言っていましたが、これは、やっぱり共産党という、言論を封殺して成り立つ独裁政権が、自分を維持していくためには、仮想の敵をつくっていかざるを得ない。

しかも、近年のうちにオリンピックを催す国の国民の資質がああいうものだということになれば、これはやっぱり眉をひそめる国がたくさん出てくると思うし、そこら辺の反省を北京の政府は早くして、打つべき手を打つべきだろうね。いい意味の弾圧をしたらいいんだ。彼らがやってきた逆のことを。そうでしょう。

あそこに青年社という右翼の連中がつくった灯台だって、私、運輸大臣の後、水路部に話して、立派なものができたんで、調べて足りないところがあったら補てんさせるから海図にちゃんと記載してくれよということで、まあ、調べに行ってですね、2つほど注文が出たんで、連中がお金を出して立派な灯台をつくり直してくれたら、いざチャートに載せようと思ったら、外務省は何て言ったんですか、これ。時期尚早だって。何が時期尚早なんだよ、これ。自分の国土に日本人がつくった航行安全のための施設を正式に記載することを、外務省が何であんなに嫌がるのか。私は、そのときの内閣は忘れちゃったけど、文句も言ったんですが、全然返事も来ないよ。

まあ、そういう延長の上に、この間のサッカーのあの忌まわしい、本当に腹立たしい出来事が起こって、これはやっぱり中国は、特に北京の政府は反省すべきだろうね。自分たち自身が墓穴を掘ることになると思いますよ。】

てな事をもっともらしく領土問題や歴史認識問題に摩り替えられたらどうしますか?****さんがこう言うことを言ったわけではない、チンピラが何を言おうと関係ありませんか?当然「反日教育の為に中国は嘘の歴史を教えている」と言う主張も堂々とまかり通ります。中国は嘘の歴史を教えているのでしょうか?こうした歴史修正主義の劣悪さを****さんに訴えるのは釈迦に説法ですが、歴史修正主義(国内のチンピラ)と闘う人たちも大変なんです。

現に、私の最初のレスは****さんの言説の一部が転載されたためにそれに対して為したものです。ここで****さんの記事を通読しておれば****さんが国内の排外的ナショナリズムへの警戒も呼びかけており慎重にあたっていることがわかります。が一部だけ転載された場所ではその言説に非常な警戒感を持つ人もいるし、その一部だけ利用しようと言う人もいます。それがどんなに善意の転載であれ、です。

今回の場合はたまたま私の議論の矛盾点を指摘されそこに矛盾はない事を私が反証していく(これは****さんの言説と私の言説が矛盾してないことの証明になるわけです)結果となり****さんには迷惑かと思いますが、私にとっては有意義なんで甘えさせていただいているのですが、中国への言及する場合の言説は右翼への警戒は慎重すぎて慎重であるべきだと思います。
1419 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/09/19 14:30
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> ****

そのフランス王国には国境があったのでしょうか?

> ****

排外的ナショナリズムは郷土愛と切り離す事が出来ないと、繰り返し述べてます。

> ****

それが現実でありとんでもない事が起きているわけです。
これはハッキリしてます。9・11以降のアホブッシュが全てをぶち壊したのです。
9・11のニュースが入った瞬間、私は「これは戦争になる」とどこかの掲示板に書いた覚えがありますが、この戦争で報復戦争が正当化されてしまったのです。これが正当化されてしまえば中東を押さえていた論理はぶっ飛んでしまうのは当たり前で、そのとおりになりました。ロシアのテロへの報復戦争ももう誰にもとめる事は出来ないでしょう。それもこれも全てたった一人のアホブッシュの責任です。アメリカだけが報復戦争を否定し世界秩序を抑える事が出来ていたのをアホブッシュがぜーーんぶブチ壊したのです。

まんまとアルカイダの戦略に乗せられたのです。連中の目的は世界秩序の破壊です、その世界秩序がかろうじてささえられている所へその矛盾点を攻撃する事で世界秩序を破壊し中東に新しい秩序を打ち立てる、と言うのがアルカイダの馬鹿どもの戦略なのです。
私でさえ「これは戦争になる」と直感できるくらい単純な戦略に引っかかる馬鹿を権力の座においているのはアメリカだけではなく日本もそうなのです。

フランスの移民制度について****さんが以前に言及しておりますのでこれも例えて見ます、例えばフランスは「不法滞在者の合法化」と言う政策を1981年に世界中でただ一度だけ取った事があります。結果は芳しくありませんでした、がなぜそう言う政策が行われていたのかと言うと不法滞在者の人権は極力保護されねばならない、と言う【指針】が明確だからです。劣悪労働環境が問題になるので、不法滞在者であってもちゃんと行政府の駆け込み寺があり不法滞在者だからと言うだけで移民局に引き渡す事はしません。
そして現在の政策はEU統合と言う前提があります。これは「基本的には人の流通がある程度自由(合法)」になったがゆえ「不法滞在」に厳しくしているのです(あくまで労働市場は開放の方向に向っています)。が、これは****氏の指摘の通り現在のフランスの不法滞在者へ対する扱いを調べてみます。それが不当なものであればそれこそフランスも右傾化の流れにあることは疑いようがないでしょう。
いずれにせよ諸外国の移民政策を言及する場合その歴史を正しく見ないと【指針】が見えてきません。日本はこの【指針】を持たずにいるため「外国だってそうじゃん」と言うアホみたいな議論しかできないのです。日本は経済がグローバル化しはじめた1980年代から今日におけるまでなーーーんにも進展してません。
私はこの問題における主張をここで一つだけしておきます。
「日本よ、差別をおそれるな、差別は恐れるものではなく克服するものだ」

> ****

上記同様それが現実です。アメリカもヨーロッパも決して例外ではありません。以前に私が書いた文章で恐縮ですが以下に提示します。

【アメリカの超保守派の前ブッシュ大統領が日系人強制収用に謝罪した事の意味を考えてみよう。

ブッシュ氏は「アメリカ」と言う国家アイデンティティーを志向する上で「移民の国である」と言う事実の前に敵性国人であるとして差別する事は「移民により成り立つアメリカ」と言う国体の保全上矛盾がある事に気がついたのである。そのイデオロギー保全の為に謝罪したのだ。つまりその思想の根幹は「アメリカ」と言う国体の保全を謀ったものである。保守主義と言うのはどのような体制の国家であろうと同じである、国体の保全上必要な事を行う。
であるから何々人であるという国家の中に「個」を取り込もうとするベクトルが常に働く。現ブッシュの帝国主義とは全く矛盾しないのだ。

<中略>

民主主義体制であろうが共産主義体制であろうが社民党が政権をとろうが共産党が政権をとろうが公明党だろうが民主党だろうが、我々民衆は「民主主義の敵」に対して体制への絶えざる警戒が必要なのだ。

そうすると民衆の理想はどのようにしたら達成できるのであろうか?全世界の民衆が相互に協力し合い共に働き共に生きる事だ、その事により他国人の人権への軽視はそのまま自分に帰ってくる構造になる、その為に経済のグローバル化、「人」「物」「マネー」の自由な流通は理想の達成には必要不可欠だと言うのが私の主張である。】

> ****

現実は、厳格に犯罪を取り締まるためには市民社会に権力が介入せざるを得ません。犯罪に対する監視体制を強化する以外に方策はありません。
【いい意味の弾圧をしたらいいんだ。彼らがやってきた逆のことを。そうでしょう。(未確認石原語録より)】

> ****
警察官が何人いても足りません。警察は犯罪が起きてから対応していたのでは追いつかないのです、ですから「防犯」となります。「防犯」は市民生活への介入です、市民の相互監視社会は大変有効な防犯体制です。決して好ましい結果にはならないでしょう。

>****

それが、中国の排外ナショナリストからみれば日本からの攻撃に過ぎないわけです。チンピラにそれを区別する能力のないことは日本のチンピラを見ていればよくわかる事です。そして権力はチンピラにならざるを得ないのです。あくまで中共が外交的政治的カードとして持ち出したときに我々は「ラーテナウの言説にある立場」で日本の国益の為に努力すべきです。

さらに、私の主張は「民主主義に国境はいらない」であります、「民主主義に国境がない」ではありません、国境が明確に存在している事は再三申し上げております。つまり、民衆が国境を越えて権力に対峙する以外に方法はない、と言うことです。そのためには如何に困難をともなおうと「人、物、金の自由な流通は必要不可欠です」日本の移民政策や議論にはこの「指針」がないのです、ですから一向に前に進まないです。

最近はリベラリストの中にも「グローバル化反対」の声が強い事は認識してます。しかし「指針」はグローバル化以外にはありません、この指針の元に諸問題の解決をはからなばなりません。この指針を決定するのは経済学者でも社会学者でもありません、民衆です。科学者は民衆の決めた指針に従い最善の方策を探求すべきです。何が「幸福」か?を決めるのは民衆だからです。

>****

私の良識は、これこそがあるべき姿だと思います。ドイツ人がイスラエル国家を批判せずに済むような国際秩序を構築すべきです。イスラエル人とドイツ人が共に働き汗をながし共に生きる事ができるようになれば必ずそうなるに違いありません。イスラエルとパレスティナも同様です。差別や民族対立の克服にはそれ以外の道はありません。

> ****

全くその通りであり、各人各様の幸福(意見、利害の違い)を如何に尊重し遭えるか、こそ問題であるわけです。「人権」の概念が非常に重要になるのはそのためです。

> ****

全く同意します。私が申し述べておりますのは【それが「想像」だからダメだ】ではなく、想像にとらわれる必要はない、と言うことです。

> ****

これも全く同意です。つまり民主国家内の全ての情報公開(開放)が、もっとも最善であろう事は以前にも述べたことです。まず、日本が開放したらよいのです。中国のあらゆる情報鎖国障壁に圧力をかけ続けるべきです。すでに国際経済社会の一員として中国は立ち行かねばならなくなっております。どんどん開放しましょう、そしてどんどん受け入れましょう。

#無知は知識の普及に伴って速やかに取り除かれるだろう。しかし、偏見(いいかえると好き嫌い)は、知識とは相対的に無関係である。(G.Becker, The Economics of Discrimination, 2nd ed., Univ. of Chicago Press,1971, p.16)
「明日の隣人外国人労働者、花見忠・桑原靖男編 東洋経済」

> ****

アフガニスタン、イラクの話をしております。

> ****

では、このラーテナウの言説を採用しなかった事実がナチズムを台頭させた事実は認めていただけますか?

> ****

自国の戦争には反対であるが外国の戦争には感知しないわけですね?
でしたら、外国のチンピラにも関知しないほうが良いでしょう。

> ****

これはソ連邦崩壊後の民族紛争と言う事実を覆い隠した見解と言わざるを得ません。つまり「中華人民共和国」の「国民」を当然として認識するものによる錯誤です。中華人民共和国の国民を作るために江沢民の政策があるわけです。中華人民共和国が各民族自決に分裂した場合の視野に欠けています。紛争の種が内在している事は****さんが指摘されている事です。

> ****

私は大いに関係あると思います。互いの非を認め合わねばなりません。一番重要なのは国家に翻弄された互いの民衆の一刻も早い人権回復です。

> ****

そのチンピラが権力を握っているわけですね。ごっちゃにする馬鹿が権力の椅子に座って影響力を持っているわけですね。日本は。

> ****

「中国の核兵器開発には断固反対します、どうしても「南京大屠殺」を許していただけないがゆえ核兵器が必要であるならば、どうぞ主権も行政システムも自衛隊もお渡ししますので、国際社会と歴史の前で、日本人民一億数千万人の行動の責任をとってください。それで核兵器がなくなるのであれば我々はそれを選択します。そして我々は民主主義者であるがゆえ如何なる民主主義に対する敵対政策はそれを拒否します。」
と言う立場には固守すべきです。

私は泥棒をしたことがありそれを反省しているとします。他の人が泥棒をしているのを見たら当然泥棒はいけない、と非難します。その泥棒が「お前だって泥棒ではないか」と詰問されたら、謝罪もして大変悪い事をしたと思う、だからこそ貴方も泥棒はやめなさい、と言えるかもしれません。
ここで大事なのは「謝罪もして大変悪い事をしたと思う」ことです。「私の泥棒とお前の泥棒は関係ない」と言う言説のほうが私にはチンピラに思えます。

ところで、ODAと核兵器反対は関係のあることなんですね?

> ****

断固反対です、ODAと戦時賠償はそれこそ関係ありません。戦争責任は「お金」で済ませられる問題ではありません。
1436 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/09/23 10:16
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ふー、頑固ですねー。カトリック教徒とはどうしてこうも頑固者ぞろいなのでしょう(笑)
以前に私の所属した教会でいっしょに在日外国人支援活動をしていた時の神父さんもかなり頑固でしたが****さんも負けてません(^^;
では行きます。

>****

つまり、その「国境」というのはやくざどもの勢力範囲のことですよね?
国民国家型世界秩序における「国境」とは質も意味も違いますよね?国民国家以前の国境内にいる民衆は「国民」ではありませんよね。民衆は自由に国境を移動できましたよね。これはヨーロッパに限らず全世界的にそうだったわけで、地理的な条件の異なる島国のような地域とはその様相はまるで異なります。杉山正明氏の言う「日本は国民国家が過度に当てはまりすぎた」と言うのは地理的な条件と、幕藩体制が、国民国家的国境(藩境)を形成していた、と言うことだと思うのですが、交通手段も発達し移動コストも安価になっている現在の国際情勢を改めて見直したとき大陸の民衆の移動の歴史と日本ももはや切り離して成り立ち得ない、「国境」の意味を既成概念にとらわれず見直すべきである。
と言う主張なのです。

> ****

それはショーヴィニズムを否定しようと思えばそうなります。私の主張は逆に言えばショーヴィニズムを認めてしまえ、認めざるを得ない、と言っているのです。なぜならショーヴィニズムとパトリオティズムは同じものだからです。つまり石原慎太郎や小泉純一郎やブッシュは私であり****さんなのです、それが民衆なんです。既存共産主義体制はショーヴィニズムを倒すためにパトリオティズムを否定したのです。それが文化大革命でありポルポトの惨劇であるわけです。
解決方はショーヴィニズムを否定するのではなくショーヴィニズムに力(権力)を与えない事なのです。

ショーヴィニズムとパトリオティズムを同一とみなす事に何の根拠があるのか?
これも再三申し述べている事ですが、「差別」はそれが自分の中にある事を認めてからこそ初めて克服の道へ歩み始める事が出来るのと同じである、と言うことです。「差別はいけない」と主張しながらも自分が差別している事を認めなければその主張は説得力がありません。

私は歴史小説が好きでいろんな人の小説を読みますが、陳舜臣さんという作家も好きです。陳さんの書いた本の中に「妖のある話」と言う本があります、中国史に出てくる女性に対する陳さんの女性観を書いたものですが陳さんは「私はフェミニストである」としてこの本を書いております、ところが上野千鶴子を読んだあとに「妖のある話」を読むと、「こらこら陳さん、そんな事を書いていると上野千鶴子にアッパーカットを喰らうぞ」となります。
陳さんは「私はフェミニストである」と思っている限り永遠に女性差別に気がつかないでしょう、さて第3者的立場で陳舜臣と上野千鶴子を読んでいる読者である私はどうなんでしょう?そうやって陳舜臣が私であること、そして女性が「痛い」と叫んでいる事に気がつくわけです。

私がフェミニストになるためには私が女性差別主義者である事を認めなければ永遠に私はフェミニストにはなれないでしょう、陳舜臣の女性観に共感する自分の存在に気がつくわけです。

愛着、愛、かわいがる、笑い。これらは全て人間の幸福を表現する言葉ですが、同時に弱者を想定しており、往々にして侮蔑と区別がつかなくなる事が多いです。「ちびくろサンボ」や「だっこちゃん人形」をかわいがる気持ちは純粋なものです。黒人が「痛い」と叫んでも「私は決して黒人を差別していない、かわいいと思っている。」と言う差別主義者は永遠に黒人差別に気がつかないでしょう。
「笑い」の本質は弱者に向けられたものです、落語の八っさんは愚者を想定したものであり、漫才には必ずボケがいます。「嘲い」と区別はつきません。あきらかな「嘲い」もジョークだよ、と言ってごまかせるのは日常的な経験から誰でも知っているはずですし逆にそれを咎められると「ジョークのわからない奴」とされる社会文化もあるわけです。

だからと言って「愛着、愛、かわいがる、笑い」は決して否定できないわけです。

「私は日本と言う国を愛しているが、決して外国を排外するものではない」と思っている人は永遠に自分のショーヴィニズムに気がつかないでしょう。石原慎太郎の発する言葉のいちいちに激しい怒りを感じるのは、自分で必死で覆い隠している心のむき出しの神経に触れるからです。
南京虐殺でその責に問われた松井大将を擁護する証言者は一様に「松井は中国人をかわいがっていた」と証言します、私はこれは本当の事だと思っています、日本の若い女性が抱っこちゃん人形をかわいがっていたのと同じです。

【自国の歴史や伝統を尊重すること】は同時にそれを護る事であり、他国の文化を自国の領域内から排斥する事です。しかし歴史や伝統は築いていくものでありそれに捕らえられるものではないです。はっきり言って現代日本人が己の伝統文化と思っているものは戦後に構築されたものです。文化の本質となる言語文化がその地方の伝統的言語を破壊している事は一目瞭然です。戦後の政権と江沢民は同じ事をやっただけです。私が小学生の頃は土地の言葉を使うと廊下に立たされ、使った回数を掲示板に張り出されました。一人称ニ人称を表す単純な言葉から破壊されていきました、おかげで祖母と私は言葉が通じなくなりました。台湾の老人は現代日本人以上に伝統的な美しい日本語をはなします。
現在の韓国ブームは日本の文化圧力に対する韓国ショーヴィニズムによる反動です。こうして韓国と日本の文化は融合し新しい伝統文化を築いていくのです。本来は日本と韓国中国文化の関係はこう言うものだったのです。これで良いんです。

> ****

この辺は了解です。おそらく私の右翼とか左翼とか保守革新の用法が他の人と異なるのではないかということは私も認識し始めました。かといって自分の用法が誤りであるとは思っていません(^^;←コイツモカナリガンコデスカラ。

> ****

そうですか?私の思い込みかもしれません。なぜか前ブッシュが初めて日系人収容に謝罪した、と思い込んでました。どちらにせよ、アメリカの日系人収容謝罪に対する見解は****さんの見解が妥当であると思います。私の見解は撤回します。

> ****

そんなにたいそうなことではない、と言う趣旨です。
サッカー暴動などヨーロッパや南米では日常茶飯事です。それを必要以上に政治的問題や社会的問題として扱うべきではない、ということはおわかりだと思います。サッカー暴動と江沢民を結び付けるとはそう言うこと(政治的問題や社会的問題として扱う)です。
サッカーのサポーター文化はヨーロッパや南米の物まねです。ある意味仕方ないです。サッカー暴動の為にオリンピックが開催できないのであればヨーロッパでオリンピックの開催の出来る国はありません。

国内の治安の問題であり外国の口出す事ではありません。中国政府が見事にそれをやってのけた事実は認めてあげねばなりません。ヨーロッパはサッカー暴動予防の為に扇動者を特定し監視してます、サッカー暴動専門の警察官のいる国もあります。こう言う監視社会はあまり好きになれません。

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個々人は民衆となって社会を構築せねば生きていけません。人権の概念は個人=民衆であることを示唆してます。この方程式は如何に難しくても完成させねばなりません。

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そのまま前述したとおりです。再掲します。
「イスラエル人とドイツ人が共に働き汗をながし共に生きる事ができるようになれば必ずそうなるに違いありません。イスラエルとパレスティナも同様です。差別や民族対立の克服にはそれ以外の道はありません。」
人の移動を自由にし、経済の動向を見極めながらソフトランディグするように、経済の流れに逆らわない事です。自然とそうなるはずです。その時に国境はもはやありません。

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「想像の共同体」は創造できる、と言うことです。

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禁じ手があります、国家対立と戦争は禁じ手です。

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ラーテナウの言説にある「選択肢」がありました。主権を維持するための「選択肢」がヴェルサイユ体制の受容しかなかったのです。歴史のIFは禁じ手ですのでその時ドイツが主権を放棄していたらどうなっていたかを論じる事は出来ませんが、ヴェルサイユ体制の運命がナチズムを台頭させたことは事実です。事実は事実です。

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「あらゆる準備」のなかに戦争も肯定するわけですか?つまり戦争は外交の延長上にあると?「****さんが戦争を認めるか、否か、とは別問題」とするのはおかしいと思います。不足の事態にそなえて戦争の準備をするのが当然であれば日本にもその権利を認めることになります。もちろんそれを****さんが認めたとしてもそれが正当である、と主張する事には何の問題もないです、それならばはっきりと「認める」とすべきであり「関係ない」とするのは変です。

> ****

机上の空論です。
すでに民衆は混合してます、国境の新しい創設は必ず民族紛争を誘発します。アフリカしかりソ連しかりです。必ず民族独立運動がおきます。独立した国境内に残された異民族はそれが多数派であれ少数派であれ独立した国家内で権力闘争が始まります。ツチ族フツ族の悲劇は避けねばなりません。隣のやさしいおじさんがある日突然殺戮者になるのです。となりのかわいい子供を私は殺してしまうのです。

とにかく中国内の安定を見ながら慎重に国境を廃絶していくのが最善です。国際秩序が国境を廃した形で成り立てばよいのです。困難である事を理由に問題点を避けるべきではありません。

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人権侵害である、と言う同質性をもってその関係性は明らかです。拉致事件は大いに糾弾されるべきであり強硬に糾弾すべきでしょう、しかし同化政策、殖民支配と関係ない、などということは決してありません。

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周知です、韓国人、日本人に関わりありません。以下これも以前に投稿した私の文章ですがこちらにも掲示します。

【どうも***さんは北の将軍様についてもあまりご存知がないようですね、彼のやった事は虐待などという言葉で済まされるような生易しいことではありません。日本人拉致にはじまる外国人拉致誘拐の数々、粛清と称する虐殺、人質を盾にした脅迫外交、「悪の枢軸」と呼ぶにふさわしい人物です、が、それを「悪の枢軸国家」として敵対する事には疑問点があります。】
【最近の私の投稿に北朝鮮のことが多いのは「金正日の拉致指令」石高健次著、朝日新聞社、1996年第一刷、を読みかえしているところだからである。

この本によると日本はスパイ天国なのだそうだ、諸外国にはスパイ防止法にあたる法制が整備されておりこれによりスパイには重刑が科せられるようになっているが日本では出入国管理法と旅券法が適用されるのみで1〜2年の懲役でスパイは自由になれる。北朝鮮スパイの間では日本への潜入はあまりに簡単すぎて(これは法制だけの問題ではなく島国と言う地理的な条件もあるが)つかまってもすぐに自由になれるため自慢にはならないらしい。
著者の石高もはっきりとは書いてないが日本でのスパイ防止法の必要性を訴えるニュアンスが感じられる、石高は「人権との絡みでスパイ防止法案はいつも立ち消えになっている」と書いている。

確かに石高のように拉致事件のような非人道的行動をおっている立場からすればそうしたスパイを厳罰に処すべきではないか、との憤慨はうなづけるし私も少なからず共感する事も多い、が、しかしこの本を読めば読むほどスパイ天国結構ではないか、逆にスパイ大歓迎法を制定してスパイの滞在資格を持つものには滞在期間フリーだとかの特権を与えるのだ。

もちろんスパイの行う拉致や誘拐などその他非合法活動等とても許せるものではない、がなぜスパイが拉致や誘拐を行うかと言えば、スパイを拉致した人間に成りすませて潜入させる事が目的だそうだ、そのスパイの本来の目的は何かと言えば、金正日の指令は、日本や韓国内の雑誌や新聞等手に入れられるだけのあらゆる情報を収集すべし、とある。そんなものであれば『どうぞどうぞいくらでも持っていってください』てなものではないだろうか?
逆に国内で出版される全ての出版物を金正日に提供してあげてはどうだろうか?そうすれば拉致などの必要もなくなる。

実際韓国でのスパイ裁判で明らかになったスパイたちの手にいれた情報の中で唯一スパイ映画に出てくるような重要な情報らしきものはチームスピリットの訓練計画書だけである。他にやっている事はそのまま雑誌や出版物の収集である、チームスピリットの計画書にしろ予備役将校から韓国人になりすましたスパイが手に入れたものであるが、よく考えてみれば予備役将校が持っている程度の計画書であるし、その将校は相手が韓国人だと思ったから手渡したわけであろうが、つまりは韓国人であれば誰でも入手可能な計画書、という事である。そもそもチームスピリットとは公開演習である、もっとも見てもらいたい相手は北朝鮮であり、北朝鮮への示威行動なのだ。。

例えば私が拉致されたとして私に成りすましたスパイに何が出来るのであろうか?私などただのおっちゃんである、どんなに優秀な人間であろうと新聞や雑誌の取材記者以上の情報の収集など不可能であろう。
韓国現政権の行っている『太陽政策』とは、つまりこの事に気が付いた結果ではなかろうか。】

> ****

****さんは旧日本兵のBC級戦犯いや極悪非道な行為を行ったDEF級戦犯も国際指名手配され処罰を受けさせる事を当然だと思いますか?カトリックがナチスの戦犯逃亡に大きな役割を担った事実を批判しますか?人間の正気をまだ信じているのですか?中帰連の会員さんたちは正気の人間ではないのですか?

> ****

戦争は正気の沙汰なのですか?

> ****

核兵器反対の為にODAを引き上げたら「南京虐殺」の批判がなされたわけでしょう?その批判には当然こう言う姿勢で臨むべき、と言っているのです。「南京虐殺」とは関係ないとするのは子供の喧嘩のやり方です。

>****

そうですか、では私の反論も3度目になるでしょう。戦争責任は、謝罪したからおしまい、金払ったからおしまい、ではありません。本当に謝罪している国の都知事がなんで石原慎太郎なんですか?自由主義史観などがなぜ大きな顔をしているのですか?なんで首相が靖国参拝などをしているのですか?
そして、これは禁じ手ですが(^^;
****さんだから主張しておきましょう。戦争犯罪責任は神がイスラエルの民に与えられた試練と同じです、試練は大いなる恩恵です。日本が戦争を否定し、平和立国国家となるための神の与えてくれた賜物です。平和は一国だけで達成できるものではありません。世界中の戦争紛争を否定すべきです。

> ****

まず、ODAはODAであり、外交カードでも慈善事業でも施しでもありません。余剰な資本は経済停滞国に還元されるべきです、経済の当然の流れであり長期的視野からの日本の国益に繋がります。問題は日本に「余剰な資本が本当にあるのか?」と言う事とと、資本とは何か?を再度見直すことです。
「経済とは、世を経み、民を済う、と言うことだ」(江藤新平)

次に日中の共同歴史調査は純粋に学問として行われるべきものであり、政治その他とは一切関係ありません。中国の侵略戦争犠牲者の数が一億人であろうと数百万人であろうと政治外交とは何の関係もありませんし、戦争責任問題とも何の関係もないからです。

既成概念上の外交や国民国家にとらわれている以上、現在の世界秩序はもはや破滅しかないでしょう。
1453 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/10/13 10:21
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>****

共産主義が間違いであったか否かは結果を見れば明らかな間違いです、その事に異議はありません。が、共産主義は馬鹿ではありません。ポルポトの惨劇、文化大革命がショーヴィニズムである、と言う主張には同意しかねます。この両者は明らかにナショナリズムの否定です。「伝統・文化」の否定です。「伝統・文化」とはナショナリズムにより構築されますし区分しようと思えばパトリオティズムによりなされた(厳密には違うかもしれませんが)ものです。
つまり社会主義は、階級差や貧富の差等のあらゆる不平等の撤廃の障害を、伝統・文化の中に見出したのです。ショーヴィニズムを伝統・文化の中に発見したのです。これは当然です。
【ショーヴィニズムとパトリオティズムは同じもの】なのですから、、、。ところが共産主義はパトリオティズムを軽視したのです、社会主義にナショナリズムは不要であると結論したのです。

ショーヴィニズムとはパトリオティズムを代表するものに対する盲従です。ポルポトの惨劇、文化大革命はパトリオティズムを代表するものに対する迫害です。決してこの両者(ポルポト、文化大革命)の中にナショナリズムはいかなる形でも存在しません。私の共産主義社会主義嫌いは全体主義もさることながらこうした形でのナショナリズムの否定にもあるわけです。(この事は****さんとの議論の中で発見できました、感謝します)

> ****

中華を論じるのは歴史的に見ても難しいと思います。中華を意識していたのは「東夷・西戎・南蛮・北狄という周辺国」であります。ただしここで「周辺国」と言う用語法は現代国民国家的「国」を連想させるものがありますので「周辺地域」としたほうが良いと思います。中国史を私が講釈するのもなんですが(^^;、歴代朝廷の中にいわゆる「中華域」と思われる地域の主民族である漢民族の朝廷はいくつあるでしょうか?もっと見やすいのは4000年の歴史とよく言われますが漢民族朝廷があったのはそのうち何年くらいでしょうか?歴代朝廷の構築した万里の長城建設に力を注いだ朝廷は漢民族朝廷でしょうか?

> ****

こう言う史観は誤りであり、それこそ日本地域が中華思想を持っていたからこそ中華があるのです。西欧人が東方に「黄金の国」の幻想を描いていたのと同様に、「中華」とは周辺諸国の持つ幻想にすぎません。
まあ、こうした中華論議を始めるとそれこそ本1冊でも足りないでしょうし、論点も異なってきますので簡単に言及しましょう。

「日本」とはどういう意味の国名でしょうか?元々は大和朝廷の当事の価値観における「世界(太陽の本)」という意味です、「日出ル国」は皇国史観の創造です。これを国名にしたのが「大日本帝国」です、その大日本帝国から国名を引き継いだ「日本国」は帝国主義でしょうか?
日本の「南蛮」や「土人」は中華のそれとは異なるものなのでしょうか?攘夷の夷とは中華のそれと違うのですか?日本の国名は倭が適当ではないですか?

中華民国は漢民族を中心にして周辺の中華思想をもつ地域の統一に成功したものです。ただ袁世凱の出現に見られるように帝政の国家観からは脱し切れていません。国民国家的国家観はあくまで15年戦争開戦以降から作られていったと見るべきです。中共と国民党は犬猿の仲です。薩長同盟と似ているかもしれません。

> ****

ショーヴィニズムは単体では存在しません。パトリオティズムと両極を為すものですが、モノポールが存在しないのと同じです。パトリオティズム無くして国民国家は成り立ちません。「パトリオティズムは本来郷土愛の事であり愛国心とは異なる」とする上野千鶴子流の解釈も国民国家論においては成り立ちません。愛国心と郷土愛は同じものであり、愛「国家」心と異なるだけです。

>****

ところがそれが現実です。子が親にもつ愛着は後天的なものです、ジェンダーの一種です。子が成長した時親は捨てられます。誤解のないように付け加えれば「そうあるべき」と主張しているわけではありません。どうあるべきかは個人の自由だと思います。前投稿でも触れましたが、社会がどうあるべきかは民衆が決めることです。社会は民衆が構築した想像の共同体ですから親を思う心を育てていく事は大事だと思います。がそれが想像であることを認識して国家は論じなければなりません。

パトリオティズムを「子供が親を愛する気持ち」と揶揄するのであれば、親を愛する子供は親が「こうしろ」と言えばそうするでしょう。それがショーヴィニズムです。

> ****

日本(日本に限らないかもしれません)のスポーツ観戦マナーの啓蒙は皇室によって為されました。日本スポーツ界と皇室は切っても切れない縁にあります。

> ****

「指針」はそれ以外に世界秩序を保つ道はありません。先の投稿に有るとおりです。
「日本よ、差別を恐れるな、差別は恐れるものではなく克服するものである」
「難民とは、国境があるから難民なのである」
受入れ準備がないのであれば受け入れ準備を急ぎましょう。経済の流れに逆らわずコントロールするのです。私が申しているのは「あるべき姿」を申し述べているのです。有るべき姿が「富が全世界の人に行き渡り、たった一人の人権をも保護される世界」であることに異議がございますか?異議がありませんでしたらそれを指針に経済運営をしていくのです。それが平和立国国家の取るべき「指針」であり、平和立国国家の「国益」です。

ドイツ統一、東欧世界の崩壊のとき一番危惧されたのが先進諸国の経済ですが、苦しみながらももパンクはしてません。我々は恐れているだけです、克服しなくてはならないのです。

現状における具体的政策としても日中韓台ロの国境の廃絶は可能です。日本への労働圧力は供給側にとっても不利益です、フィリピンのアロヨ政権の申し入れ等はとんでもない事です、熟練労働力(看護士等)を日本が受け入れたりしたら、フィリピンの熟練労働力はなくなります、賃金格差の是正が先です。供給側と協議を重ねながら、圧力のかからない状態へ持っていけばよいのです。資本を供給国へ投入していけばよいのです。日本はその経験があります。地方の労働供給圧力の軽減に成功してます。都市もスラム化することは有りませんでした。フィリピンの場合は先にフィリピンの国内での地方から都市部への圧力を軽減させなくてはなりません。中国の場合はまず身分差別制度を撤廃し地方産業の振興に資本を投資します。当然 EU は一つのモデルになるでしょうやる気になれば出来ます。

ゲゼル経済の研究、地方通貨の研究、特に地方通貨は提唱者自身が「あくまでボランティアの発想から生まれたアイディア」として過大評価に懸念を示していますが、それは地方通貨が日本と言うグローバル経済があってはじめて成り立つように日本をローカルとしてグローバルな通貨が存在するなら希望はあるはずです。

こう言う「指針」を持ってODAにしろ労働市場問題にしろ南北問題解消にしろ解決に当たるべき、と言っているのです。

> ****

第二次大戦は、特に英米と戦争する必要はありませんでした。

> ****

しつこくいきます(^^;
主権を維持しようと思えばヴェルサイユ体制の受容『しか』なかった。です。

> ****

軍を配置する、とはあらゆる事態のうちどのような事態に備えているのですか?
日本の首相が言っているような「軍の復興支援」みたいな事ですか、治安出動ですか?

> ****

EU統合は、国民国家というジェンダー境界を超えようとしているのです。文明論で見ることは誤りです、東欧諸国の加入が説明できません、文明論で見るならばソ連邦の有り方のほうがそれらしく見えます。
国連の制度強化は危険が大きいと思います、アメリカに抱いた幻想による世界秩序の破滅と似ています、世界帝国の出現を回避できません。軍備が廃棄されるまで国連の制度の強化は慎重に行われるべきだと思います。現状のまま国連の制度強化をすると言うことは国連に強大な武力を与える事と同義になってしまいます。国連の戦争(国連軍)も否定せねばなりません。国連に緒方さんと言う人がいるじゃないですか、今は日本の公職にいるのかな?あの人がアメリカのアフガン戦争を支持したときに私は国連の限界を見たつもりです。

が、国連が重要な役割を果たすであろう事に異議はありません。

> ****

議論が混乱しているようです。確認します。
「悪の枢軸と呼ぶにふさわしい人物」と主張しているのは私です。次に北朝鮮に対して日本が「同化政策、殖民支配」を行ったのであり、日本の対北朝鮮外交において「同化政策、殖民支配」と「拉致事件」とは関係ない、と言う事はない、と主張しております。

> ****

さてどうでしょうね?スパイされて困る事を日本はやっているのですか?日本のスパイ事件で有名なのと言えばゾルゲ事件とかありますがゾルゲは何をしたのですか?
もしかしたら我々は謂れなき猜疑心や妄想の上に「想像の共同体」を構築しているのかもしれませんよ。テロリズムとスパイを区別した上での議論である事を考えて御一考願えればと思います。

> ****

では何に関心があるのですか?スパイは?

> ****

弾道ミサイルの観測員?ですか(^^;
なぜ、北朝鮮は日本にミサイルを向けているのですか?北朝鮮の「謂れなき猜疑心」ではないのですか?

> > ****さんは旧日本兵のBC級戦犯いや極悪非道な行為を行ったDEF級戦犯も国際指名手配され処罰を受けさせる事を当然だと思いますか?カトリックがナチスの戦犯逃亡に大きな役割を担った事実を批判しますか?人間の正気をまだ信じているのですか?中帰連の会員さんたちは正気の人間ではないのですか?

> ****

いえ、制度的な事を議論しているのではありません。処罰を受けるのは当然だと思うか?と言う設問です。私の答えは仕方がないかもしれないが、当然とは思わない、です。

> ****

私はバチカンを支持します。ナチスであろうと私は「死刑」を許しません。

> ****

人間に正気などありません。中帰連の会員さんが人間である事も真実であれば鬼であることも真実です。もし現代の私が現代の記憶と知識をもったまま当事へタイムワープしたとしても、私も鬼になると考えます。

> ****

ですから、別に賛同を求めているわけではない、と先に私が主張したとおりです。何が正しいのか?を議論しているわけです。賛同を得られないことが正しくない事にはなりませんよね。

> ****

日本にこう言う法律があるとは知りませんでした。こう言う危険な法律は廃止すべきです。国家に対する犯罪とは何の事でしょう?
少なくとも、では、日本では北朝鮮スパイをスパイとして認定するだけの証拠がないので適用されてない、と言う事ですよね。つまり何をしているのかと言えば、雑誌の収集くらいでしょう。

> ****

「主権も行政システムも自衛隊もお渡しします」と言う姿勢です。

> ****

では、やはり戦争を認めるわけですね?「正義の戦争」であればやむなし、と言う事ですよね?正確に軍事施設のみを破壊し民間人を殺さず、政権を抹殺するのであれば「正義の戦争」であるわけですね。
私にはこの方が幻想に思えるのですが。

> ****

違憲な行為を行う人物がなんで首相なのですか?
中国の心配よりもそっちの方がよっぽど問題ではないですか?
そして、うろ覚えですみません、間違っていたら教えてください、確かこの判決は首相の靖国参拝を違憲としたものではなく玉ぐし料や公用車の使用を違憲としたものですよね?つまり首相の私的な参拝は違憲ではない、と言う内容の判決ではなかったですか?
政教分離に対して違憲であり、9条に対するものではないですよね?

>****

なぜでしょう?何が不都合になるのかわかりません。
「中国の侵略戦争犠牲者の数が一億人であろうと数百万人であろうと政治外交とは何の関係もありません、なぜなら侵略戦争被害国である事に何も変わりはないからです」
と修正しておきます。

> ****

平和立国国家の国益とは、世界中が平和である事が自国の豊かさに繋がる事、です。そうした世界秩序を目指さねばなりません。そう言う外交官がいないのであればそう言う外交官を育てたら良いだけの話です。

> ****

チンピラどもに関係が有ります。

> ****

はい、承知してますよ。学問と政治は関係ない、と言う言葉通りです。いかなる意味と言われても政治は政治です。
1471 Re: 日本人のお行儀 とほほ 電気的手紙 敷地(URL) 2004/10/22 12:39
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議論整理の為引用多少前後します。

> ****

そうですか、それでは残念ですがそう言う議論をしましょう。

|とほほ[1467]> その場その場の言葉を取りあげて議論するのは止めましょう。議論にはこれまでになされてきたものの蓄積の上に成り立ちます。

「その場その場の言葉を取りあげないで」議論しましょうよ、と申してます。「言葉を取りあげるな」とは申してません。「その場その場の言葉を取りあげずに議論する」ということは互いの主張を論理的に組み立てながら反論であれば反論しましょう、と言う意味です。つまり全体的な議論の整合性を見失わないためにです。が、ご了解がいただけないようなので、****さんの趣旨に沿って議論します。

|****氏[1466]> ****

|とほほ[1458]> 私が現日本政権が行おうとしている日本の愛国心教育に否定的なのはそれが愛国心を装った国家畏敬心の醸造であり戦前皇国史観の復活であるからですよ。

わかりますか、****さんのこの発言は否定論者の常套手法で、トリミングと言います。
そして私は「愛国心」とは「愛国家心」の事ではない、と明確に定義しております。もちろん「日本の愛国心教育に否定的」を「日本の愛国心もどき教育に否定的」とした方が文意は通りやすいでしょうが、そんな事までいちいち議論せねばならないのでしょうか?

> ****

「他国が侵略してくれば戦争は起こるでしょう。」当たり前の事です、他国が侵略してくる事がないような外交国際秩序を構築してゆかねばならない。と言うことであり他国に侵略戦争をさせないことを前提にした国際秩序を構築してゆかねばならないのです。これを夢想だ幻想だ、で済ませておいてはならないのです。戦争放棄と言うのはそう言うことです。そうでないのであれば「世界平和」だとか「戦争反対」等と言うのは単なる絵空事にしか過ぎません。

****さんのこの発言はつまり防衛戦争であれば仕方がない、と言うお考えだと理解してよろしいのですね。実を言えば私は****さんにこの結論を出していただきたくないがために遠まわしに議論しているんです。日米安保の破棄と自衛隊の増強と超法規的扱い、と言うのは私の自論でもあります。が、私は防衛戦争を絶対に認めていませんし長期的な指針は自衛隊の廃棄です。****さんは防衛戦争を認めた上で自衛隊の存置を主張してますが、それに間違いはないでしょうか?まず確認しておきます。

もし、その通りであれば、
1、****さんの「防衛戦争」の定義を教えてもらえますか?****さんは、歴史上のあらゆる戦争がどの国家にとっても「防衛戦争」である事をご存知のはずですから、かなり厳密な定義がおありのはずです。一旦防衛戦争を認めてしまえば軍備強化にどのような歯止めが成り立つのでしょうか?

2、ブッシュの戦争は防衛戦争ではないから反対なのですか?
フセインの戦争は防衛戦争であるがゆえに正当と認めますか。(あくまでブッシュの戦争に対する防衛ですよ)

以上よろしくお願いします。

> ****

いえ、「周知」でいいのです。そう言うことは議論を読んでいる周囲の人間もわかっていると言う意味です。

#私現在事情があって一日一回30分ほどインターネットに繋いでいるのですが今日は****さんはどんな事書いているのだろうな、と楽しみにしながら通っています、その途中もしかしたらこの「周知」について揚げ足取りしてくるかな?いやそんな馬鹿馬鹿しい事をしてくる人ではないだろう、でも確かに周知ではなく承知と書くべきだったよな、なんて考えながらネットに繋げたのです(笑)
#だから、そのときの為の理論武装はしておきました(^^;

> ****

いや、それはありませんのでご心配なくご議論ください。私はよく、言葉の意味をわかっているのか?と頭の悪い議論相手には詰め寄られるタイプですから。私は言葉を字義通りに受け取ると筋が通らない文節等は「この言葉をどのような意味で使っているのだろう」と前後を通しながら読解します、もし、この事をご指摘になっているのでしたら私の誤読と言う事になると思いますが、今回の****さんのレスを読んでみても誤読はしていないと思いますよ。

> ****

ですから「区別、区分」が明確に存在する事は私も認めている、と再三再四申し上げております。その上でホモロジーである(相同の語義を再定義する必要はないですよね?ホモロジーと言うのは明確に区別がつくのですよ、ドーナッツとコーヒーカップは幾何学的ホモロジーである、と同じ意味ですよ)と申し上げており、その根拠も示しております。ホモロジーと言う言葉ではわかりにくいかもしれないので、ジェンダーつまり性差を例に挙げているのです。男と女は明確に区分できるが人間である事は同じである。

パトリオティズムとショーヴィニズムという語を「他国との優劣比較の有無」をもって区分できるが、ナショナリズムとして同じものである。そして私の主張はこれらは単独ではともに成り立たないものである、と主張しているのです。
パトリオティズムに他国との優劣比較はないけれど、それが伝統の防衛と言う形になり自領域からの他文化の排斥が始まり方向を変えてショーヴィニズムが発生する、ショーヴィニズムもまたパトリオティズムが先になくては出現の余地はない。いわゆるモノポールが存在しないのと同じ事である。

このように、****さんが持ち出す区分法すべてに渡りホモロジーであり単体で存在し得ないことを実証的に主張してきているわけです。ですから****さんはルネ・ジラールの特殊な再定義における区分に従って単体で成立しているショーヴィニズムを実証的に示してください。

> ****

語義をめぐる議論などしてないのですよ、よく読んでください。

> ****

そんな読み方はしてませんて(^^;
帰化した在日の人たちを在日とは呼びませんでしょう?つまり
「日本人にしようとしている」=「戦後の政権が『一つの日本というフィクション』
に腐心している」と言うことになりますでしょう?ゆっくりおちついて言葉の意味を考えてください。私には議論で相手をへこまそうとかやっつけようとかそう言う邪心は一切ありませんから安心してください。あくまで合理性を議論に求めているだけです。

在日の人たちが本名を名乗るようになったのは最近の事です。私が子供の頃は皆日本名を名乗っていました。わかりますか?「戦後の政権が『一つの日本というフィクション』に腐心している」事が。

> ****
> ****

そうですか、ではなぜ「在日韓国・朝鮮人」や「在日中国人」には選挙権がないのですか?なぜ朝鮮学校は認められないのですか?

単一民族国家では【ない】と言う主張は正しいですが、それではなぜ「在日」を持ち出してきたのですか?帰化していない「在日」は日本人ではないでしょう?日本国民ではないでしょう?

どうにも論理的整合性がありません。

よろしいですかちゃんと議論の流れを掴んでますか?この議論は
> ****
と言う****さんの発言に対してそれを言うなら日本だって同じ事だ、それと排外ナショナリズム(ショーヴィニズム)を結びつけてサッカー暴動批判はおかしいだろう、と言っているのですよ。

○戦後の政権が『一つの日本というフィクション』に腐心しているのなら、『在日韓国・朝鮮人』とか『在日中国人』という言い回しが存在すること自体がおかしいでしょう
○「日本の戦後も『一つの日本というフィクション』の維持に腐心している政権であり、それは全世界的なもの」というとほほさんのご主張は、端的に誤りでしょう。

これらを総合すると、****さんは、戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心していない、と言う主張をしてますよね。
つまり「在日韓国・朝鮮人」とか「在日中国人」という言い回しが存在する、から戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心していない、と言う事ですよね?
単純に考えれば「在日韓国・朝鮮人」とか「在日中国人」という言い回しが存在すること自体がおかしい事はありませんでしょう、単純に在日アメリカ人在日外国人と同じ事です。

それをあえて『在日韓国・朝鮮人』とか『在日中国人』を持ち出しているので、私はその因果関係を考えねばなりません。ここまでわかりますか?

そこで****さんは【帰化している『在日韓国・朝鮮人』とか『在日中国人』】の事を言っているのものとします。だとすれば帰化そのものが「一つの日本というフィクション」に腐心している事なのですよ。そう言う言い回しが存在するのは在日差別として存在しているのであり、帰化する時に日本名にしなくてはならなかった事はご存知でしょう。
また、頑なに帰化していない在日の人たちのことであるとすれば「一つの日本というフィクション」に腐心しているから彼らは「日本人」になりたくないのですよ。
わかりますかね?

であるから【戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心している】と言う私の主張は間違っていないわけです。

いいですか、あくまでここでの論点は【戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心している】か否かですよ。つまりここで****さんが『在日韓国・朝鮮人』とか『在日中国人』を持ち出した事はその意味を「帰化している在日」「帰化していない在日」どちらの場合をとっても、****さんの『国家観』は完全に【戦後の政権の「一つの日本というフィクション」】によって刷り込まれているのです。

「一つの日本というフィクション」について以前にも言及していることですが、私の田舎である奄美諸島民族をはじめ琉球民族は日本民族ですか?日本民族=大和民族ですか?
そもそも国民国家そのものが「想像の共同体である」としてフィクションである事を主張したのは****さんですよ。

【戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心している】例をもう一つあげておきましょうか?
1980年代政府首脳人が人種差別発言を繰り返し、アメリカに叩かれ、その言い訳に「日本は単一民族国家だから人種差別がない為、不用意な発言をしてしまった」と言う趣旨の発言をしてますよね?なんでしたら柿沢弘治・加藤紘一両氏の全発言を投稿しましょうか?無論両氏の発言をして【戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心している】と言う事にはなりませんが、根拠の一つにはなります。

この件につき最後にもう一度論点を確認します。
【戦後の政権が「一つの日本というフィクション」に腐心している】のか否か?が論点です。従って****さんが日本を単一民族国家だと思っているかどうか等は関係ないのです。

> ****

『在日韓国・朝鮮人』とか『在日中国人』の問題を持ち出してきたので「市民権」と「国籍」と言う概念の違いを示し解消すべき問題点として「二重国籍」の問題を提起したわけです。これは一つの日本と言うフィクションから逸脱するためには必要な議論だからです。

> ****

わからないはずはありません、****さんが怒っていることがその証明です(^^;
わからないのであれば怒りが現われるはずもありません。では私の議論の目的をはっきりといっておきましょう。****さんの普段の主張と今回の主張(中国の排外ナショナリズムの主張)が矛盾している事を****さんに気づかせる事が目的です。

先にも投稿しましたが、我々に必要なのは戦争を絶対否定する理論であり、そこから生ずるいかなる論理であれ戦争否定と矛盾する理論であってはならない基礎理論である。と警告したのですが、残念ながら****さんはとうとう戦争を肯定しました。よって論理破綻です。この論理破綻と言うのは****さんが戦争否定論者であれば破綻していると言う事であり、戦争肯定論者であれば破綻はしていませんよ。

****さん、行き当たりばったりの思いつきの議論で論理破綻してしまうのは基礎理論が間違っているからなのですよ。基礎理論さえしっかりしていたらどこをつつかれようが終始一貫した論理を通す事が出来ますので頑張ってください。
ただ私の議論は行き当たりばったりの思い付きではありませんよ。基礎理論をきちんと持っているからどのようなシチュエーションにおいても揺らがないだけなのです。ヒントを差しあげましょうか?
常に「人権」を念頭において議論する事です、どんなに「人権」と関係ないことのように見えてもそこに結び付けて考えるんです。簡単ですよ。

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こう言う議論がご所望であるということなのでもう一度書いておきましょう。
私の要求は
○それは日本も同じです。日本は「日本民族」と言う途方もないことを捏造したのです。そんな事はない、と言うのであればまず日本が単一民族国家である根拠を示してください。
です。
日本は「日本民族」と言う途方もないことを捏造したのでないのであれば【日本民族が】単一の民族である事を挙証せよ、と言っているのです。在日を持ち出して逃げたところで仕方ないでしょう。

○****
○****

以上は「戦後の政権が『一つの日本というフィクション』に腐心していない」と言う****さんの主張です。

そこで****さんが、「戦後の政権が『一つの日本というフィクション』に腐心していない」と主張している者、であるなら在日と言う言い回しがなぜ存在するのか?と言う問いかけはどういう意味を持ちますか?
なぜ在日の存在が「戦後の政権が『一つの日本というフィクション』に腐心していない」事の根拠になるのですか?

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すみません、ありません(^^;
おそらくですが読み手は****さんが何を主張しているのかわからないと思います。私もかなり読解に苦労してますから。だから論点整理をしようとしているのですが、****さんは避けています。****さん、読みながら書いていくからわけがわからなくなるんですよ、2,3度通読してその投稿の趣旨を読み取り、それに対して反論を書いていくのです、そうしたら引用も必要部分だけで済みますから、私はそのようにしてますよ。

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私はリヴィジョニズム、歴史修正主義、歴史再審論そのものを字義通りに解釈するのであれば私はリヴィジョニストですよ。ここではホロコースト否定論や虐殺否定論の事として議論しておりますが、、、。

まあ、それはよしとして、よろしいですかもう一度コピペしておきましょう。

【「相殺する」と言う言葉の意味はそれで「チャラにする」と言う意味なのですよ。わたしが言っているのは「チャラにする」と言うことではなく、関係ないとして議論はできない、と言っているのです。中国が日本の戦争犯罪を持ち出して外交カードを切ってきたときに「それは関係ない」とすることはできない、と言っているわけですね。相殺と言う言葉に反語があるとすれば「相殺」するのではなく「相生」しなくてはならない、と言う事です。
これが****さんに理解できていないはずはありません、言い逃れはよしましょう】
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> >「中国が特にそうだというわけではありません」
> >「日本だってアメリカだってどこでもそうしてます」
> ****
> >「それは日本も同じです」
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どこか矛盾してますか?すべて同じ事を言ってますでしょう。これらは全て中国のナショナリズムをショーヴィニズムとして指摘された時にその程度の事であればどこでもそうしている、と事実を提示しているだけです。

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これももう一度書いておきましょう。

私が昔泥棒をしたことがあるとします。それについて反省しているとします。だれか他の人が泥棒をしているのを見かけたら当然非難します。その時に「お前だって泥棒ではないか」と詰問された時「確かに私も泥棒をした。反省も謝罪もしているし悪い事をしたと思っている、だからこそあなたも泥棒は止めなさい」と言えるかもしれません。
ここで大事な事は「反省も謝罪もしているし悪い事をしたと思う」事です。
「お前の泥棒と私の泥棒は関係ない」と言う言説の方が私にはチンピラのように思えます。

> ****

これももう一度コピペしておきます。
【ですから、別に賛同を求めているわけではない、と先に私が主張したとおりです。何が正しいのか?を議論しているわけです。賛同を得られないことが正しくない事にはなりませんよね。】

> ****

これももう一度コピペしておきます。
【核兵器反対の為にODAを引き上げたら「南京虐殺」の批判がなされたわけでしょう?その批判には当然こう言う姿勢で臨むべき、と言っているのです。「南京虐殺」とは関係ないとするのは子供の喧嘩のやり方です。】

よろしいですか?いちいち過去ログを検索するのも面倒ですが中国のショーヴィニズムの例として人民日報でしたかね?その新聞で「日本のODA引き上げに対し南京虐殺について言及している」という趣旨の投稿をしたのは****さんですよ。ですからもしそう言う対抗ショーヴィニズムが中国にあるのであれば日本は
「中国の核兵器開発には断固反対します、どうしても「南京大屠殺」を許していただけないがゆえ核兵器が必要であるならば、どうぞ主権も行政システムも自衛隊もお渡ししますので、国際社会と歴史の前で、日本人民一億数千万人の行動の責任をとってください。それで核兵器がなくなるのであれば我々はそれを選択します。そして我々は民主主義者であるがゆえ如何なる民主主義に対する敵対政策はそれを拒否します」と言う立場には固守すべきです。
と私が言っているのです。

>****

うーーん(^^;
****さん落ち着きましょう、その二重括弧は****さんが付けたものです、私はそれをコピペしているだけです。人民日報の記事が「南京大屠殺」となっていると言う****さんの投稿に対して為したものですのでその言葉をそのまま使っているだけです。

> ****

ではあきれ果ててください(^^;
****さんは歴史修正主義などはだれもまともな言説とみなす人はいないだろうから歴史修正主義者と議論をしないのですよね?でしたら私の言説も****さんにとってまともではないのであれば、ほおって置いて構いませんよ。

なぜ、中華思想の容認がショーヴィニズムになるのですか?中華思想について議論しますか?かなり長くなるでしょうけど、、、。

これもコピペしておきましょう。
【こう言う史観は誤りであり、それこそ日本地域が中華思想を持っていたからこそ中華があるのです。西欧人が東方に「黄金の国」の幻想を描いていたのと同様に、「中華」とは周辺諸国の持つ幻想にすぎません。
まあ、こうした中華論議を始めるとそれこそ本1冊でも足りないでしょうし、論点も異なってきますので簡単に言及しましょう。
「日本」とはどういう意味の国名でしょうか?元々は大和朝廷の当事の価値観における「世界(太陽の本)」という意味です、「日出ル国」は皇国史観の創造です。これを国名にしたのが「大日本帝国」です、その大日本帝国から国名を引き継いだ「日本国」は帝国主義でしょうか?
日本の「南蛮」や「土人」は中華のそれとは異なるものなのでしょうか?攘夷の夷とは中華のそれと違うのですか?日本の国名は倭が適当ではないですか?

中華民国は漢民族を中心にして周辺の中華思想をもつ地域の統一に成功したものです。ただ袁世凱の出現に見られるように帝政の国家観からは脱し切れていません。国民国家的国家観はあくまで15年戦争開戦以降から作られていったと見るべきです。中共と国民党は犬猿の仲です。薩長同盟と似ているかもしれません。】

> ****

中共はソ連邦崩壊後日本ナショナリズムの仮想敵国であり日本侵略戦争の紛れもない犠牲国だからです。

が、私の主張ですね。
なぜ、仮想敵国といえるのか?はまず「共産主義国家」である事が理由の一つとしてあげられるでしょう。そう言う意味ではベトナムもそうですが、どういうわけか中国のみを攻撃しております。その理由はナショナリストに聞くしかありませんが、これが現実でありナショナリズムとはそう言うものである、としか言えないでしょうね。戦争被害国であることを挙げている理由は日本ナショナリズムが中共の戦争被害教育を攻撃しているからです。

この私の言説に納得する人がいないと思うのであればほおって置いたらいかがですか?

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誰もふれてはならないなどと言ってはいないでしょう?またコピペしますか?
疲れてきました(^^;
中国のショーヴィニズムに言及する場合は、日本ショーヴィニズムの動向に注意を払いながら慎重に行ってもらいたい、と言っているだけです。

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「9・11以降のアホブッシュが全てをぶち壊したのです」説には賛同を得ているはずですが前言を撤回しますか?
「9・11以降のアホブッシュが全てをぶち壊したのです」説に「善玉/悪玉」観を発見されましたか?具体的に説明してもらえますか。それとも「9・11以降のアホブッシュが全てをぶち壊したのです」説をもう一度コピペしましょうか?

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はい、もしそうであれば全く自分では気がついてません。具体的にご指摘ください。

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右翼を私は別にそれほど嫌ってませんのでそれは構いませんが歴史修正主義者に絶好の言質を私が与えているのであれば反省せねばなりません、どうぞ具体的にご指摘ください。歴史修正主義と反歴史修正主義の二項対立は当たり前のように成り立ちますよ。この二項対立図式から離れて歴史修正主義と議論する気はありません。歴史修正主義批判で2項対立を批判するのはその図式の上で関係もない事象を説明するからです。

例えば中国を批判する時に日本対中国と言う二項対立図式を前提に中共も国民党もごっちゃにして語るようなパターンです。そう言う場合はこうした図式から抜け出して見ないと正確に事象を把握できない、と言うことであり二項対立図式が悪いと言う事ではないです。
歴史修正主義と反歴史修正主義の二項対立で私が歴史修正主義と何かをごっちゃにしているのでしょうか?

生得太子氏批判の事でしたら、彼は紛れもない歴史修正主義者ですがその言説全般を否定しているわけではないですよ、歴史修正主義者に絶好の言質を与えている、として****さんを批判しているのです。生得太子氏の件の発言[1320]が間違っているとは私は一言も申してません。

私も江沢民の国粋教育と言うのが存在し中国のショーヴィニズムが放置できないほど顕在化しているのであれば
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に全く同意し私もなんども同じ主張をしてますよ。
が、江沢民の国粋教育によるショーヴィニズムの発露はそれほど見られない、と言う事です。つまり再度言います。
****さんはサッカー暴動と中国ショーヴィニズムを結びつけるのに失敗してます。よって「江沢民の国粋教育とそれによるショーヴィニズムの発露」をより具体的に示す必要があります。

以上で今回の投稿は終ります、やっぱりこう言う議論の仕方は私は好きにはなれません、きちんと論点を整理し互いの主張を論じ合っていきませんか?おそらくROMも何を議論しているのかさえわかりません、掲示板上での議論の意味がありません。
もし****さんが私の主導で議論が進むのが気に入らないのであれば、どうぞ****さんの方で論点整理をして議論を進めてください。この議論はあくまで私の[1351: 日本人のお行儀]に対する****さんの批判に私が反論している事をお忘れなきように