▼とほほ:
>定義しなおすというより、定義していないのです。これは半月城通信によれば憲法の「国民」を英訳したときには peoples になるらしく、大体「国民」と言う言葉は peoples の訳語ではないだろうか?だから漢字の与えるインパクトと言うのは馬鹿に出来ないのだと思う。本来は「国民」ではなく「民衆」「人民」と訳されてしかるべきなのではないだろうか?
国民主権と言う言葉がある。
日本国憲法の根幹を成す概念であり、何人たりと例え改憲論者であれ、この概念を否定するものは現代社会には存在しないだろう。しかし、この概念を口にするたびに立憲主義や近代法理との矛盾を伺わせる場面に出くわしたことのある方は少なくないのではないかと思う。
例えばよく指摘されるものに(以前に半月城さんも指摘していたと思うが)納税や勤労の義務に関しては国民ではない外国人にも適用されるが、こと福祉を受ける権利に関しては外国人は対象外であることなどだ。これはこの「国民」と言う言葉の解釈が一義性を持たないことの証明であろう。
言わずもがなではあるが、問題は「国民」と言う訳語である。私はこれまでも度々、この「国民」と言う言葉は誤訳ではないか?peopleの訳語としては誤りではないか?と言う指摘はしてきた。ではネイション(nation)の訳語としては正しいのか?と言うとこれまた違和感を感ずる、ネイションとはステーツに居住するアプリオリな人間の塊を表現しているからだ、民族と訳すのも必ずしも妥当ではあるまい。
そんなことを漠然と考えていたときに「とちぎ教科書裁判を支援する会通信、第2号」と言う小冊子が郵送されてきた。その中にある「黒羽から歴史と教育を考える会代表・白崎一裕氏」の論考の中に面白い記述を見つけた。氏の提示するルソーの社会契約論から言えばネーションが「国民」と訳されることは明らかな誤りである、ネイションとは居住する人間の塊であるのであるから人民、市民、国民(同一の法体系契約を結んだ人間の塊)を包括することになる。少なくとも人民と訳すべきだと私は考える。
本来フランス革命によってもたらされたネーションステートの概念のネーションとは国民と言う意味ではない。
こうした人民・国民・市民と言う概念が混同して使われ、本来の立憲主義の意味や目的を隠蔽してしまっていることには私も白崎氏に共感する。
白崎氏が指摘する事実の中に興味深いものがある。
一つが、「国民」と言う訳語は日本政府がGHQ側の憲法草案を翻訳する際に意図的に people や person を「国民」と言う訳することにこだわったと言う事実である。(氏は出典を『憲法制定史、竹前栄治・岡部史信著、小学館文庫、等を参照』としている。)
今ひとつが韓国の事情である。
氏の解説によると、韓国の憲法でも「国民主権」となっているらしい。興味深いのは韓国の場合は元々は「人民主権」となっていたことである。これは韓国にしろ日本にしろ政権が【意図的に】国民と訳していることになる。となればこの事により立憲主義の本来の意味が隠蔽されている事実から、【意図的に】隠蔽した、と言う事実が見えて気はしないだろうか?
これに対して日本の場合は「人民と言う言葉になじめが無い」、韓国の場合は「人民と言う言葉が共産主義的である」と言う説明があるらしい。しかし白崎氏の言うようにこれはたとえそうであっても混同(統一)して使うべき言葉ではない。人民になじみが無いのであれば「国民」よりも「人々」と言う言葉が適切である。我々が憲法を読むときに政権が意図的に隠蔽した言葉を本来の意味に読み直して理解することは重要ではないかと思う。
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