K−Kさんより紹介していただいた南京軍事法廷に関する文献を調べて思ったことですが、田中軍吉氏に関する、記述が少ないことに気がつきました。 『証言・南京大虐殺』や『南京事件資料集2中国関係資料編』を読んでも大雑把な経緯しか判りませんでした。『皇兵』を読む限りでは証拠とするにはあまりも不十分であると思います。 『皇兵』山中峯太郎編(同盟出版社)より P12(現物はページ表記なし)の写真には「悲願三百人斬りの隊長愛刀助廣」のキャンプションは確かにありますが、南京で300人斬ったという記述は何処にもありません。 田中軍吉隊長が中国兵を斬った記述は、一箇所のみでした。 【引用開始】(P246〜P247)------------------------------------------------------------ 誰か突くだらうと何の気なしに行き過ぎ様とした私が、何がなしにつき上げる怒りに四五歩もどりました。首を長くして地上に長く伸びた姿。『エーイ』と右片手上段に振つて下せば『ヒイツ』といふ声。もう夢中です。そのまゝ『古川の仇、仇、仇だつ』続けて三太刀、五分位おいて上にきざみ上げました後で、宮園軍曹が、『中隊長どんな、気が狂ひやつたかと思つて心配した。物すごかつたの何のつて、話しにならんでや。怒いやつたとけぶつつかつたツンゴこそよい災難ぢや、ひで目におたが、ヒイツヒイツチユたぞ』と語つてゐました。然しあとでしらべてこやつこそが最後まで山麓の測防陣地に残つてチエツコを討ち、一番後に壕を出た奴とわかりました。古川君をたほした当人であつたのです。私の手で斬られたことこそ、何とも恐ろしき因縁です。 【引用終了】------------------------------------------------------------------------------- 熊猫注:【ツンゴ】とは中国兵のこと。中国人「チョンゴーレン」が訛ったものと思われます。1939年3月20日、武寧県張家庄附近での出来事。
李璿と田中軍吉氏の細かなやり取りの資料がないか、調べて見ます。田中軍吉氏が人を斬るところの写真とされているものは見ましたが、私にはそれが田中氏であるとは確認ができませんでした。
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