Re:勝手な無断引用転載...要約しては如何
石川保昌さん、 渡辺と申します。 ご指摘の「無断引用転載」は、下記のタラリさんの投稿内容に対するものだと思います。 「連続写真撮影の経過について」 http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/6/ikxqrf/gcpqrf.html
上の投稿は、私の「LIFE」1938年1月10日号の記事についての疑問に答えたものですので、間接的には私に関係がありますし、他の投稿でもかなり長い引用をしていますので、ご指摘の疑問や要望について返信いたします。
(1)タラリさんへの提案 問題のスレッド全体から見ても「引用」としては長すぎる感はあります。 タラリさんへの提案ですが、返信の内容は了解しましたので、作者が不快に感じられるということであれば、投稿の内容を記事の要約にするとか、削除するとか柔軟に対応されては如何でしょうか。
(2) 石川保昌さん:>インターネット上であろうと、筆者に著作権が認められている刊行物の無断引用転載はお断りします。版元に連絡を取れば、私の連絡先はわかります。
「引用」自体は、著作権所有者の承諾がなくても、著作権法・第32条(引用)で認められているものです。 問題は、ご指摘の引用が許される範囲であるかどうかであると思います。 一般的には、自分の主張が主で、引用部分が従であることが必要です。このような引用に対しても著作権者に対して承諾を得なければいけないとすれば、近代史の議論に資料を使用することは困難になります。 『従軍カメラマンの戦争』p.95に引用された LIFE 1937年10月日号 の H.S.Wong の写真ついて、石川保昌さんは著作権所有者から承諾を得て掲載されたかと思います。 その際の手間を思い出していただければ、特に歴史の議論のように多数の資料引用からなる文章を書くのに、引用のひとつひとつについて、著者の承諾を得るのは非現実的であることを理解していただけると思います。
2-1)短い引用について 研究者の論文では、必要最小限度の引用しかしないのが一般的です。読者も研究者であるので、引用された資料が比較的容易に入手できる環境にいるという前提であると思います。 この場合、上述のように、引用について著作権の問題は生じません。しかし、短い引用の問題点として、引用個所がどういう脈略で現れたのか、読者に分からないということがあります。引用元を見て、はじめて「ああ、そういう意味で書かれていたのか」と理解できることも、少なからずあります。
2-2)長い引用について 一般向けの書籍などでは、比較的長い引用がみられます。これは、読者の多くが研究者でないことや、紙面に余裕があることが理由かと思います。 例えば、洞富雄『「まぼろし」化工作批判 南京大虐殺』(現代史出版会,1975年)では、「向井少尉と最後まで同じ拘留所にいた」K氏の手紙が、山本七平氏と鈴木明氏の両者が紹介したものを2頁以上に渡って引用し、その違いを検討しています。この場合も、論旨からみて長い引用でも許される範囲であると思われます。
以上 2-1)、2-2)を比較して、引用元の脈略を明示するため、私は比較的長い引用をしています。
(3) 石川保昌さん:>なお、私は私の著述に対して好意的であろうとなかろうと、筆者あるいは発言者の責任所在が不明なハンドルネームでやりとりされる論評には引用転載を許可いたしません。
発言者の責任所在が不明な筆者への転載を拒絶されることは当然の権利で、それはご自由であると思います。
(以下、 http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/6/ikxqrf/txcqrf.html#txcqrf に投稿の内容から引用) (4) 石川保昌さん:>正直申し上げて、右からも左からも自分たちの都合のよい部分だけ使われるのに迷惑しております。
著作物が出版された以上、いろいろな脈略で引用されるのは、やむをえないと考えます。 必要最小限度の「引用」は「自分たちの都合のよい部分だけ」を使っているように見えますが、基本的には著作権法に言う「正当な範囲内」で引用するために生じる現象です。 例えば、LIFE 1937年10月日号 の H.S.Wong の写真について、「やらせ」かのような趣旨[P.93]で引用されているかと思いますが、こういった撮影者が希望しないと思われる脈略でも、資料として写真の引用が認められなければ自由に発言することが難しくなります。
(5) 石川保昌さん:>あなた方が現代史について深い興味をお持ちなのはわかりますが、存在した事実について発言するのに、なぜ匿名で行うのですか。
ペンネームで発表している評論家や作家が無責任とは言えないように、ハンドルで発言することも無責任とは言えません。 現代史についても、ペンネームで執筆することは一般に認められていることではないでしょうか。 特に、インターネット上で、本業が別にある者が議論するときは、自由な発言ができるように実名は明かさず、ハンドルで投稿することが一般に行われています。 私の場合、言論で「反論されたり、中傷されたり、攻撃されるの」のは怖くありませんが、実生活に支障をきたす妨害があることは防がなくてはなりません。従って、プライバシーの秘匿に気を使っています。
以上(2)〜(5)のような認識において、(1)のようにタラリさんに提案いたしました。
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