>えらく拡大しましたね。私の発言が意図したのは、 >多くの基準がある場合にどれを優先させることを公平と呼ぶのか「判断できない」ということです。
では、一体、国内法以外の何で判断する基準があると仰るのでしょうか?
>これは個人の信念によって違うと思います。
論理上の整合性は、個人の信念によって違うのですか? 一般的には、最も妥当な基準になるはずですが?
>「非常に解り易く、かつ簡潔に書かれている」からといって >それを公平公正といえるかとは別問題です。
私は、以下の様に書きましたね? >この点に関しては、最初の指環さんの投稿にも触れている部分だと思われますが、 >【 ちゃんと読まれていますか? 】 >非常に解り易く、かつ簡潔に書かれていると思われますよ。 私は、この文章で、「公平公正といえる」根拠として、「非常に解り易く、かつ簡潔に書かれている」ことを挙げているでしょうか?
>そういうわけではなくて、統計的に >高裁と比べて多くの人が「?」と思う判決が出ることがあると思うということです。
すみませんが、その「統計的に」という根拠を教えていただけませんか? 「論理的な矛盾点がある」わけではないと言うことではないそうですが、「多くの人が「?」と思う判決が出る」ということは、具体的にどういう意味があるのでしょうか?「地裁レベルの判決」という意味は、世論に迎合していない、ということなのですか?そのことが、私が「妥当である」という見解をもったことに対して、どの様な批判となりうるのですか?
>裁判の仕組みもそれが前提だから、上告という制度があると思っていました。
俺氏がどう思うかは知りませんが…。
>国家とは単なるシステムで、システムは感情を持ちません。 >反省とは個人的な感情です。 >国民の一部が反省することはあっても >システムは反省できません。
反省が個人的な感情というのは、今ひとつ理解しがたい日本語解釈だと思います。 反省とは、過去を振り返り、間違いがなかったかどうかを考えることだと思いますが、当然、国家は、そのように考えることは可能でしょう。そして、その結果として、法律や言明などという形となるわけです。 「考え」がなくして、形が作られるというあなたの考えはおかしいですね。
|