<<再掲示>> >えらく拡大しましたね。私の発言が意図したのは、 >多くの基準がある場合にどれを優先させることを公平と呼ぶのか「判断できない」ということです。
では、一体、国内法以外の何で判断する基準があると仰るのでしょうか? <<終わり>>
>「論理上の整合性」は基準がひとつ以上になれば >どれかを優先する必要があります。 >そのバランスを「個人の信念」といっているだけです
「論理的な整合性」の基準がいくつもあるというのは、今回の場合は、どのような点を指しておっしゃっているのですか?
>その判決を否定するつもりもありませんが、 >私は「画期的」や「公平」などという表現がおかしいと思います。
論理の検討をせずに判決を出すやり方よりも、論理の検討し、かつ、今までの論理的整合性を比較した点では、「画期的」であり、「公平」だと思いますが? あなたは、提示された論理を検討せずに判決を出す方法が公平だと思われますか?
>あなたの言う「一般的」という考え方がアメリカ的な独善に思えてなりません >少なくとも、中華人民共和国内の「一般的」はあなたの「一般的」とは異なる >と思われますし >日本国内の一般的も様々な意見があります。
で、あなたの見解は「論理上の整合性は、個人の信念によって違うのですか?」ということですか?私の論点は、「一般的」ではなく、この点なのですが…。
>その■全ての意見を尊重■することが民主主義であり、最も妥当な基準で >あり、公平公正だと思われます
意見を尊重することと、論理的な整合性を比較することとは別問題だと思われます。
>ありません。想像です。 >ですから「思う」という表現を使用しました
では、「統計的」でもなんでもないわけですね?
>ここに謝意という感情が入らないのなら私も同解釈です。
まず、『日本国が「反省」などするはずがない』というあなたの当初の見解が誤りであったことを確認します。
>「画期的」や「公平公正」が独善的な表現であることを認めてください。
あなたの見解には、残念ながらまったく感心できませんね。
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