新聞記事コレクション3
南京において日本軍の暴行についての「デマ」が「乱れとんで」いる、という記事の紹介が熊猫さんからありました。このテーマに沿った記事を、三点ばかり紹介します。
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大阪朝日新聞 1938.2.17付
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二十六日発】 皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、南京玉■村五〇号、上海路十四号、幹河路一〇六号の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか・・・の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。(ゆう注.氏名は一部判読困難、また書き写すのが大変なので省略しました)
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南京における「種々の暴行」を、ひとつの強盗団の仕業にしてしまおうという、苦心の発表です。そもそも「通訳の腕章」しかつけていないわけですから、「将兵」の「数々の暴行」を彼らのせいにしてしまうのは、無理があります。
「一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れた」という部分が、問わず語りで、なかなか笑えます。つまり、「日本人と信じきつてゐた」ら、中国人たちは日本側に「通報」することはしなかったようです。
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「東京朝日新聞」1938.1.29夕刊
米・対日抗議 「南京・抗州の権益侵害」
【ワシントン特電二十七日発】
米国国務省は二十七日米国政府が去る十七日グルー駐日大使を通じ日本政府に南京、抗州その他各地に於ける日本軍の米国権益侵害に対し抗議を提出せる旨発表した、
右はパネー号事件に関し日本より提出された十二月二十四日附文書における誓約に反するといふのであるが、同日グルー大使より国務庁に達したる公報によれば日本政府は米国政府の抗議に基き高級武官を南京に特派して調査せしめ適当なる処置をとるべく命令を発したる旨が併せて明かにされた、
尚米国の抗議と併行して英国政府も同様の行動をとつたものと解され、また発表が抗議の時から十日間も遅れた理由については何等の説明はなかつたが日本軍の外国人権益侵害に関する公報が年初以来頻々と到着 国務庁では事態を憂慮してゐる
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外国からの抗議を、何の批判的コメントもなしに報道した、珍しい記事です。この記事は、例の、「チャイナプレス」や「アベンド記事」で知られている「1月24日記者会見」の直後であり、この「記者会見」が日本の報道陣向けには行われていなかったことを伺わせます。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/higasinakano127.html
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「東京日日新聞」1938.1.7夕刊
南京城内の怪火は敗残兵の仕業 我が軍、一犯人を逮捕
【南京本社特電】(六日光本特派員)
南京城内では皇軍入城警備後も元旦のソ連大使館の怪火をはじめ城内の空家から頻々として怪火を発するので佐々木警備隊で厳重警戒中、五日午後三時ごろ中山路中央飯店北方の一民家に放火せんとした一支那人を発見、直ちに捕へた、
犯人は敗残兵でこれによつて今までの怪火は避難民にまぎれ込んだ支那敗残兵の所為であることが愈々確認され引続き敗残兵に対し捜査を進めてゐる
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「否定派」が飛びつきそうな記事です(笑)。
続報は全くなく、「飯沼日記」等当時の軍幹部の記録にも全く登場しないことから、当時の状況から推して、ある程度の「デッチ上げ」がある疑いが濃厚です。この逮捕を材料に過去の「怪火」まですべて「支那敗残兵の所為」にすることも、ちょっと無理でしょう。
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