ええっと、例えばゆうさんのページには「文化人と「南京事件」」に石川達三や大宅壮一といった比較的知られていると思われる名前が上がっていますが、田中正明が例の文章の中でも述べている杉山平助については、『日中戦争史資料8』の付録にあるというのは実はあまり知られていないのでしょうか? 正直ネット上議論などでこの名前が挙がっているのを見たことがありません。付録はあんまり読まれてないのかな?
一応というか、手持ち資料がある方は御覧になれば済む話なのでしょうけども、参考のためにここに引用します。
南京事件と日本の新聞報道 菊地昌典 (ソビェト史、東大助教授) 『小雨のそぼ降る目に、支那人の死骸がツクダニのやう に折り重なつた南京の城壁のほとりを、ひとり静かに歩 いて行つた時、「夢かや、うつつかや」といふ古い物語 にあるやうな文句が、そのまま私の胸によみがへつてき たことも思ひ出された。これは夢であらうか、うつつで あらうか。もし一九三七年の初頭に、何人かが、今年の 年末に、日本軍は南京に入城してゐるであらうと予言し たら、世界中の何人も、彼を荒唐無稽の浮説をなすもの として一笑に附したことであらう。しかし到底起り得べ からざることと思はれることが、現実には、実に易々と 簡単に生じ得るのである。孫文の理想も、蒋介石の覇業 も今いづこ。南京城内外、鬼哭啾啾たるの恨みを、私は 耳に聞いたのだ。この老廃しつつある民族を、血清の注 射によつて蘇らせようとした新生活運動の本拠たる励志 杜の建物の、破屋のごとく投げ捨てられてゐるのを私は 見たのである』 作家、杉山平助は、「信じ得ぬ平和」と題した従軍記録 を発表し、「南京で見て来たさまざまの光景はあまりにも 痛く私の脳裡に焼きつけられてゐた。私の感情はむしろ沈 欝であつた」と述べ、うららかな陽光をあびた芝生、フリ ージャの匂うわが家、静かにピアノの音が聞こえてくるこ の日本が現実のものとは思われない、「私は、もうこの平 和を信ずることはできない。南京の印象は、あまりに強烈 だ。私の心はレストレスである。不安である」と書いてい る(「東京朝日」昭和十三年一月十八〜十九日)。杉山は、 具体的に南京の惨状を語ってはいない。否、当時として は、それは語るわけにはいかなかったことである。だが、 上海から南京に至る中国の破壊のひどさ、そして中国民衆 の惨禍は、杉山の心に、「ひとたび戦争を始めた以上は、 絶対に負けてはならない」「我々は今こそ鬼の如く、徹底 的に戦つて、徹底的に勝つより外にはない。そして勝つた めには、且その戦果を確保するためには、如何なる手段と いへど辞すべきではないのである。この期に至って、中途 半端な温情主義や人道主義などは、百害あつて一利がな い」とまで言いきっている。杉山は、みずから、「事変」 の当初は、片隅からではあるが、執拗に不拡大主議を主張 してきた一人であったと告白している。その杉山すらが、 南京の惨状に衝撃をうけ、「鬼の如く、徹底的に戦つて、 徹底的に勝つ」ことを固く心に決心させたのであった。 〔洞富雄編,『日中戦争史資料8 南京事件1』,河出書房新社,1973,付録pp1-2〕
原資料は東京朝日新聞(昭和十三年一月十八〜十九日)のようですが、私自身は未だ確認してません。
|