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  田岡良一氏の「戦数論」について−1 靴屋 2003/10/23 16:45:27 
  田岡良一氏の「戦数論」について−2 靴屋 2003/10/23 16:46:14 
  田岡良一氏の「戦数論」について−3 靴屋 2003/10/23 16:46:53 
  田岡良一氏の「戦数論」について−4 靴屋 2003/10/23 16:47:30 
  田岡良一氏の「戦数論」について−5 靴屋 2003/10/23 16:48:12 
  田岡良一氏の「戦数論」について−6 靴屋 2003/10/23 16:48:45 
  田岡良一氏の「戦数論」について−7 靴屋 2003/10/23 16:49:18 

Re: 田岡良一氏の「戦数論」について−1 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/23 16:49:18
田岡良一氏の「戦数論」について−7

7 反対論の誤り
−−−
 七

 若し戦数の理論が誤りであるとすれば、我々の與すべきは第二説即ち「戦争法規が軍事的必要によつて破られることが可能なのは、法規自身が豫め明示的に之を許して居る場合に眼られ、然らざる法規は総て絶對的効力を持つ。若干の戦争法規は『軍事的必要の許す限り』、『軍事的必要を害せざる限り』、『軍事的必要なき限り』、『事情の許す限り』等の言葉によつて、其の効力を制限して居る。かゝる條款を含まない法規は軍事的必要に籍口して之を破ることを許さない絶對的命令を形作る」と言ふ説でなくてばならぬ様に思はれる。併し性急に此の説に荷擔するに先立って次の一事が考慮されねばならない。
 戦数を論するに當つて右の説を述べる諸學者は、各個の戦争法規を解説するに当つては、屡々右の様な明示的條款を含まない法規、即ち此の論者の説に從へば絶對的命令である筈の法規が、軍薯的必要によつて破られることを説いて居る。
 例へば海牙陸戦條規第二十三條(ニ)號「no quarter を宣言すること」の禁止(投降者を助命【122】せざるごとの宣言の禁止)は、何人も知るが如く「軍事的必要約款」を含んで居ない。
 然るにウェストレーキの戦時國際法によれば(二一)
 「此の規定が実行不能なる場合として一般に承認されて居るのは、戦闘の継続中に起る場合である。此の時投降者を収容する爲に軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止すれば、《勝利の達成は妨害せられ、時として危くされるであらう》。のみならず戦闘の継続中には、俘虜をして再び敵軍に復帰せしめない様に拘束することが実行不可能なる場合が多い」。
 此の言葉は、戦争法に遵つて行動しては勝利の獲得が困難な場合には、法を離れて行動することを許すものではあるまいか。戦争法が戦術的叉は戦略的目的の達成を妨げる障壁をなす場合には、法の障壁を乗り越えるごとを許すものではあるまいか。
 叉オッペンハイム國際法の戦時の部にも
 「投降者の助命は、次の場合に拒否せられ得る。第一は、自旗を掲げたる後尚ほ射撃を継続する軍隊の将士に對して、第二は、敵の戦争違法反に對する報復として、第三は、緊急必要の場合に於いて(in case of imperative necessity)即ち俘虜を収容すれば、彼等の爲に軍の行動の自【123】由が害せられて、軍自身の安全が危くされる場合に於いてである」
と言ふ一句がある(二二)。但しオッペンハイムの死後の版(第四版)の校訂者マックネーアは、第三の緊急必要の場合云々を削り去り、第五版も之に倣つて居る。恐らく校訂者は此の一句がオッペンハイムの戦数について論ずる所と両立しないと認めたからであらう。両立しないことは確かである。しかし陸戦條規第二十三條(ニ)號の解釋としては、右のオッペンハイム及びウェストレーキの見解が正しいことは疑ひを容れない。此の見解は多数の戦争法研究者によつて支持される所であり、戦数を肯定する嫌ひある独逸学者の説の引用を避けて、たゞ英國の学者の説のみを探ねても、戦争法の権威スペートは共の陸戦法に関する名著「陸上に於ける交戦権」の中に、投降者の助命が戦時の実際に於いて行はれ難く、且つ其の行はれないのは止むを得ないことを論じ(二三)、又投降を許して収容した俘虜さへも、軍の行動の必要により鏖殺するの止むなき場合があることは、ローレンスが、一七九九年ナポレオン軍による土耳古ジャッファ守傭隊四千人の鏖殺の例を引いて説く所である(二四)。故にオッペンハイムの戦数論と陸戦條規第二十三條の解釋とが両立しないならぱ、後者ど削除するよりも、寧ろ前者に向つて反省が加へられる必要がある【124】のではあるまいか。
 又ロディックは、既に述べた様に、必要の理論と戦争法との関係を述べるに当つて、オッペンハイム、ウェストレーキ等の説に賛成した後に、個々の陸戦法規及び海戦法規について、軍事的必要が交戦者を法の拘束から解く場合を列挙するのであるが、此の列挙の中には、法規が軍事的必要條款を含んで居ない場合も見出される。右に論じた不助命宣言禁止の海牙條規については、彼も亦、此の條規の違反が「軍事的必要に基いて辯解され得る場合のあることは擬ひを容れない」
と言ひ(二五)、又英國が南阿戦争に於いてなした所の、占領地の非戦闘員を捕へて concentration camp と名附ける収容所に強制的に収容した事は、軍事的必要に基いて正当化せられ(二六)、又英國がナポレオン戦争中に、佛國の沿岸小漁船の多数を、之が英國侵入の爲に使用せられる危険ありと稱して拿捕抑留した事実も、必要の理論によつて正當化せられる(二七)。
 困みに、此の最後の問題即ち漁船拿捕事件はウェストレーキも亦其の著「國際法の原理に関する数章」の中に、又國際法教科書の中に論じて居るが、彼も英圃の行爲の正当性を認めるのである(二八)。【125】
 要するに、戦数を論ずるに当つて之を否定する諭者も、個々の戦争法規を解説するに当つては、軍事的必要によつて法規の拘束が解かれる場合の在ることは認めざるを得ないのであり、彼等の唱へる「軍事的必要によつて法規から離れることが許されるのは、法規が明示的に之を許す條款を含む場含に限られる」と言ふ断定を、自ら打破って居るのである。かゝる矛盾の生じた理由を我々は反省して見なければならない。


(二一)ウェストレーキ、前掲(詳九の方)、八一−二頁。
(二二)オッペンハイム、前掲(註一一)、§109第三版によれば、一六九−一〇七頁。本文にのベたる如く第四版以下は修正されたり。
(二三)Spaight, War rights on land 一九一一年、九三-九四頁。
(二四)Lawrence國際法、第三版、三三七頁。其の後の版には此の記事は省かれて居る。
(二五)ロディック前掲(註一五)七〇頁。
(二六)同書、七九頁。
(二七)同書、九五頁。
虜(二八)ウェストレーキ前掲(註八の方)二四四頁。同氏前掲(註九の方)、一五七-一五八頁。
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 この反対論の内包する矛盾の解決は、次項で示されているのでここでは述べない。ここで重要なことは、個々の条文上の解釈に於いては、戦争法を必ずしも守らなくて良い場合があると、彼等反対論者はちゃんと認識しているということである。田岡はこれを矛盾というが、論理的に矛盾していると考えることは否定されないが、捉えようによって矛盾でないと見ることも出来る。

 何故ならば、ハーグ陸戦条約中に「一層完備したる戦争法規に関する法典の制定せらるるに至る迄」とあるように、明文法自体に完備性が欠けることとに対してそれを補足解釈を加えた上で、不完備な法を実情に応じて適用することと、法という存在の一般観念上で戦数を否定することは両立するからである。これは戦争法に限った話ではなく、一般論としてあらゆる法が完全ではないことは当たり前のことであるわけで、法に沿って厳しく判断すべきではあっても、実情を踏まえた上で法的判断は為されるべきなのは当然である。もちろん、彼等反対論者が「軍事的必要によつて法規から離れることが許されるのは、法規が明示的に之を許す條款を含む場含に限られる」と述べたところで言われた「法規」をそもそも不完備なハーグ陸戦条規などと捉える限り、厳密には誤っていると言わざるを得ないが、法理的判断に於ける理念として誤っているわけではないのである。

 無論のことだが、ほぼ田岡氏の次項に説明される持論もほぼこの趣旨の主張である。
<次項に続く>

  田岡良一氏の「戦数論」について−8 靴屋 2003/10/23 16:49:53  (修正1回)
   └靴屋さん、こんにちは。 K−K 2003/10/25 21:48:06 

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