田岡良一氏の「戦数論」について−6
6 肯定論の誤り
−−− 六
然らば上述の三つの説の内第一説即ち戦数肯定説を以つて正しとすべきか。 第一説に向けられる最も有り触れた非難は、斯かる説が容易く戦争法を蹂躙する口実を交戦國に與へ、戦争法の拘束カを弱める結果を生ずることである。かゝる危倶は根據なきものでは無い【118】とは言へ、交戦國が戦争法の拘束から解かれる今一つの場合として学者の説く戦時報復の権利も亦濫用の危険多きことは経験上明かであり、現欧洲戦争に於いては交戦國の戦争法侵犯によつて我が國が迷惑を蒙つた事例も、此の権利の濫用に基くのである(二〇)。併し濫用の危険あることは必ずしも権利自身を否定せしめない。交戦國の一方が戦争法規を侵犯する時相手國も亦此の法規の拘束から解かれるのは当然であるから、報復の権利は國際法学者の大部分によつて是認せられて居る。故に戦数に就いても問題は、戦数が理諭的に正当と見倣されるか、の点に重点が置かれねばならぬ。 此の点に就て、戦数否定論者の側から戦数の不合理性を諭證せんとする多くの試みが爲されて居るが、就中前に引用したクンツの言は決定的な様に思はれる。「本來戦争法規は軍事的必要と人道的原則との妥協点であつて、戦争法規を作るに当つて軍事的必要は顧慮せられてある、其れにも拘らず更に之を軍事的必要に籍口して侵犯することは許され得ない。かくては戦争法全體の効力は疑間となるであらう」。誠に彼の言ふが如く、戦争法は、交戦國の戦争遂行上の必要を尊重しつゝ、人道的要求を活かさうとする試みに外ならない。海牙第四條約の前文に謳はれて居る【119】様に、戦争法は、軍事上の必要の許す限度内に於いて、戦争の惨害を軽減するを以つて旨とする。時として戦争法規が多少の軍事的利益を制限することはあつても、夫れは制限さるべき軍事的利益が重大でなく、他方この制限によつて活かされるべき人道的利益は比を失して大きいと認められる場合である。此の衡量の上に築かれた戦争法規を、戦争遂行上の必要を理由として破ることを許すならば、法規の作られた意義は全然没却されることになるであらう。 戦数の肯定論者は其の説の支持点を緊急権に求め、或る法規に遵依する行動が國家の生存を危くする時に此の法規からの離脱を許すのは、國際法の一般原則であり、從つて戦時國際法も亦此の原則の支配を受げねばならぬ、と主張する。併し緊急権が平時國際法に於いて一般に認められる以上、戦争法に於いても当然に認められねばならぬと考へるのは、戦争法の特質を知らないものである。 一度び外國に向つて剣を抜いて立つた國民は、其の安危存亡を勝利に賭ける一種の緊急状態に身を投じたものであり、法は此の國家の立場を認め、其の故を以つて國家を恒常的國際法の拘束から解放する。単に敵者に對する関係に於いて然るのみならす、第三者に對しても、戦争遂行の【120】必要上或る範圍の権利侵害を爲すことを得しめる。之れ法が交戦國の緊急状態を認めるが故に然るのである。從つて恒常的國際法に代つて行はるべき戦争法は、其の安危存亡を戦勝に賭ける國家の状態と両立すべきものとして考案せられて作られた法規の一團であり、緊急状態への顧慮は此の法規の中に既に含まれて居るのである。 此のことが了解せられたならば、緊急状態に基く違法の阻却が法の一般原則なるごとを理由として、戦争法にも亦此の原則の支配を主張する説の價値は、明かとなると思ふ。 第四項に紹介した様に、リスト、フェァドロス等の學者は、一方に於いて戦数の不含理を認めながら、今一方に於いて平時國際法を支配する緊急権の原則は当然に戦争法にも適用がなくてはならぬと考へた爲に、戦数を否定しながら緊急権に基く戦争法規侵犯を肯定する説を唱へるに至つた。かゝる説の到達すべき矛盾は既に説明したが、其の根本的な理論的誤謬は本項に述べた所によって知り得られると思ふ。緊急権は平時國際法を一般に支配するが故に、戦争法をも支配すると見傲すのは単純な考へ方であり、此の考への誤りは、彼等の所説の内部に生する右の撞著によつて證明されるのである。【121】
註 (二〇)拙稿、英佛の對独報復措置について、外交時報、昭和十五年新年號。 −−−
この議論で興味深いのは、反対論ではなく、中間説として示されたクンツの立論が、肯定論の決定的矛盾をついていると田岡氏が指摘する所である。実は前述したように反対論者のウェストレーキも同様の論理的矛盾をついているのであるが、何れにしても、「最も論理を貫かないもの」である中間論にしてさえ、肯定論は鋭くその矛盾をつかれているのである。
ところで、注意しておかなければならないのは、リューダーによって体系化されたと言われる「戦数」は、復仇は別として、本来緊急権をその正当化の理論的根拠としているということであり、この事は念頭に置かなければならないと思われる。次項で田岡は反対論の矛盾も指摘するが、元々主張されていた戦数は否決された、と言わねばならないだろう。何故なら、反対論が内包する矛盾にのみ着目して、「戦数は否定されていない」というのは誤解を招くものだからである。
戦数はそもそも、「Kriegsrason geht vor Kriegsmanier(戦数は戦規に優先する)」という法諺にみられるような論理、これ自体が国際法学者の反対論者が反対する動機であり、このようにいわば戦争法を無効化してしまうような論理こそが否定されるのである。従って「戦数は否定されていない」と主張する場合でも、それは必ずその正当化となる根拠を示した上で主張されなければならず、ここで否定された肯定論とても「緊急権」を根拠としているように、単に「戦数によって戦争法を逸脱出来る(ことは否定されていない)」などと主張することは許されるべきではないと思う。 <次項に続く>
|