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  田岡良一氏の「戦数論」について−1 靴屋 2003/10/23 16:45:27 
  田岡良一氏の「戦数論」について−2 靴屋 2003/10/23 16:46:14 

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靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/23 16:46:14
田岡良一氏の「戦数論」について−2

2 戦数肯定論
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 De Visscher が戦数を論ずる其の著の中に言ふ様に(三)、戦数の学説を初めて真に體系的な形で述べたのは独逸の十九世紀の学者 Lueder であり、更に此の説は Christian Meurer 其の他の学者によつて精繊化せられたのである。故に先づリューダーの言を籍りて戦数学説を紹介しよう(四)。
 リューダーは戦数の語を、交戦者が戦争法の拘束から免れる場含を総て抱擁する廣い意味の言葉として用ひる。従つて敵が戦争法に違反して行動する爲に我軍も戦争法の拘束から免れて行動する場合と、戦略又は戦術上の非常的必要に基いて戦争法から離脱するの止むなき場合とを含む(二五四頁)。通常の用語に於いて前者は戦時復仇又は戦時報復と稱せられ、後者のみを戦数と呼ぶのであるが、リューダーは二つを戦数の語を以つて蔽ふのである。しかし前者については、「当【101】事者の一方の不履行は、彼をして相手方の履行を請求する権刹を失はしめる」と云ふ法原則の一つの現はれとして、自明の問題であるとして多くの説明を加へす(二五五頁)、後者の説明に移る。
 「同様に、戦数が緊急的事態の発生の際に、正當化されることも否定することは出來ない。個人の場含にすら緊急状態が彼の爲す重大な侵害行爲を不可罰のものとするならば、より多くの利益が賭せられて居る戦争に於いては、尚更左様でなくてはならない。故に戦争目的の達成及び重大危険からの回避が戦争法の障壁によつて妨げられ「戦争法の障壁を破ることによつてのみ戦争目的が達せられ、又重大危険が避けられ得るが如き事情の下に於いては、戦争法の障壁を破ることは許される。……勿論かゝる衝突(戦争上の必要と戦争法との)は甚だ例外的にのみ発生するであらう。何となれば戦争法の規則は、恒常行はれる慣習と善く衡量された條約とによつて、原則として遵守され得るやうに作られて居るからである。此等の規則は、通常発生する事実関係の上に打建てられて在ること、恰も國内公法及び私法と同じく、從つて同様に特別の例外的状態のみが遵守を不可能ならしめる。……故に戦数が頻繁に軽々しく勝手氣儘に適用せられ、実際上の使用について戦争法と同一線に立つが如く見なされることは、本來有り得ベからざることである。【102】只例外的にのみ起ることであり、從つて戦数を許すことは元より危険視さるべきことではない。併し一旦例外が発生した時其の例外たる性質に基き原則を排除して、戦数は戦争法に優先する。
 戦争法の恒常的有効性は、斯く単に例外的にのみ可能なる戦数の登場によつて保たれる。若し人あつて、戦数が非常の緊急且つ例外的に認めらるべく、且つ認められざるを得ないごとを理由として、「結局拘束力ある戦争法なるものなし、何となれば、戦争法は戦略的必要との衝突と言ふ正に重要な場面に於いて遵守さるることを要せざるものなればなり、故に戦争法なるもの無く、只(法的拘束力なき)戦争の習はし(Kriegsgebrauch)なるもの有るのみ」と稱するならば、其れは所謂的を超えて射るものであり、総ての法的制度及び総ての法規に内在する局限と言ふものを如らないものである。戦数の戦争法に對する関係は、緊急状態の刑法に對する関係に等しい。人は、右の議論と同程度の正しさを以つて、結局刑法なるものなし、何となれば其の規定は緊急状態の場合に遵守さるることを要せざればなり、と言ひ得るであらう。一が誤りならば他も亦誤りなることは明白となるであらう」(二五五-二五六頁)
 リューダーの説は多くの独逸学者によつて祖述せられたが、其の中モイラーの意見を左に紹介【103】したい(五)。
モイラーは Kriegsr<a>son oder milit<a>rische Notwendigkeit として「戦藪」と「軍事的必要」とをシノニムとして用ひる(八頁)。彼は、軍事的必要を(一)Gesetzespolitikと(二)Rechtsdogmatikとの両方面から研究する。
 (一)軍事的必要ば、戦争法関係の條約を作るに当つて、充分の顧慮を梯はれるごとを必要とする。條約は戦争の目的を達する爲に必要ならざる加害行爲を禁止するが如く作らるべきであり、共れ以上に亙つて(戦争の目的を達する爲の必要を阻害して迄も)交戦國の行動に制限を加へようとする條約は失敗に帰せねばならぬ(九-一二頁)。
 (二)若し実定法規が軍事的必要を阻害するが如く作られてある場含には、軍事的必要は、実定法の設ける障壁の前に停止することを要しない。リューダーの言ふが如く、戦数と戦争法との関係は、刑法上の緊急状態が刑法に對する関係と同一である。軍隊の生存の維持の爲に、又は他の方法によつては避け難き危険を回避する爲に必要な場合、又は其れ白身違法ならざる軍事行動を遂行し、又は其の成功を確保する爲に必要なる場含に執られる軍事的措置は、戦争法の侵犯と【104】ならない(一二-一五頁)。
 以上がモイラーの戦数について説くところの要旨である。尚ほ余談に亙るが、リューダー及びモイラーは、戦数によって優先さるべき通常の戦争法規を指す爲にKriegsmanierと云ふ言葉とKriegsrechtと言ふ語とを交互に用ひて居る。後に戦数否定諭者中に述ぶべきオッペンハイム等の学者がKriegsmanierとKriegsrechtとに異る意味を付與し、前者は法たらざる戦時の習はしを指すものであるとし、從つて独逸の法諺Kriegsraison geht vor Kriegsmanier は、戦数が「法たらざる慣行」に克つことを意味するのみであつて、戦争法規 Kriegsrecht を破ることを意味しない、と稱するのに鑑みて、右の事実は注意されねばならない。
 我が國に於いては、千賀鶴太郎博士の國際公法要義の中に、右のリューダーに類する一節を発見する(六)。
「交戦條規(Kriegsmanier)と相ひ對する者は即ち所謂戦時非常事由(Kriegsraison)是なり戦時非常事由とは非常の場含に際して交戦條規に背くことを許すをi云ふ而して斯る非常の場含に二種の別あり即ち【105】
 第一種は對手國に於いて先に交戦條規を犯したるに因り報仇として我よりも亦之を犯すことを云ふ報仇は戦時に於ては平時よりも一層之を利用すること多し時としては報仇を行はさるか爲に却て我軍の夫敗を來すとと無きに非す但し戦争中第三國の同惰を得んか爲めには成るへく報仇を行はさるを可とす就中無益の報仇は一切之を行ふへからす
 第二種は特別の事情あるか爲めに交戦條規に背きて我敗衂を防止する者を云ふ例へは城塞を攻むる爲めに已むを得す近傍の民家を焼き盡すとも可なり又俘虜の数非常に多くして遙に我兵員の上に出て且つ蜂起する虞ある時に悉く之を銃殺するとも可なり此種の場含に於て戦時非常事由は其性質たるや交戦中の緊急法に属す既に緊急法とあれは之を濫用することを許さす殊に第三國の同情を得んと欲する時は決して之を口実として容易に交戦條規を犯すへからす」
 又高橋作衛博士の戦時國際法要義は、戦数に関する独逸学者の説と、英國学者の反對説とを掲げ、自説としては
「余の見る所を以てすれば今日の実際に於て必数の原則は之を認むるを可とす」
と言はれる(七)。【106】


(三)De Visscher, Les lois de la guerre et la theorie de la ne'cessite' 佛國際公法雑誌一九一七年抜刷、二七頁。
(四)Holtzendorff, Handbuch des V<o>lkerrechts 第四巻、一八八九年、二五三頁以下。
(五)Christian Meurer, Die Haager Friedens-Konferenz 第二巻、七頁以下。
(六)千賀鶴太郎、國際公法要義、七版、四五六頁以下。
(七)高橋作衛、前掲(註二の終りに在り)、一一頁以下。
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 注意しておかなければならないのは、リューダーなどが言う「戦数」の意味である。田岡氏によればリューダーは「戦数の語を、交戦者が戦争法の拘束から免れる場含を総て抱擁する廣い意味の言葉として用ひ」ているわけである。この「廣い意味」とは、一般に言われる戦数と復仇である。従ってリューダーは、戦争法上違法性のある行為についてその違法性が免責される場合を全て、戦数という枠組みで考えたのであろう。しかし、通常の場合、復仇は戦数と同列には論じられることはないし、ウェストレーキが指摘するように復仇と戦数は違法性を免責する論理的根拠が異なるので、特に含めて考える必要はないだろう。一般に復仇は、敵が違法行為を行うならば、同程度の違法行為を相手方にも認めるということを意味し、先に違法行為を行った敵側にその責任があるということである。この場合は違法性阻却と言うよりは、責任性阻却と言うべきかもしれない。

 さて、戦数の枠組みを正当化する理屈としてリューダーは、(1)戦数が適用となるのは例外の稀有な場合に限られ戦争法を否定するものではないこと、(2)むしろ戦数があることによって戦争法が恒常的有効性を保つ、という二点が述べられている。またモイラーはよりはっきり、戦争法(条約実定法として)は交戦国の行動を妨げるようなものであってはならず、軍事的必要を妨げるようなものならそんな実定法など守る必要はなくそのような場合は違法ではない、と言う。

 無論これらの前提には、「緊急性」が念頭に置かれていることは言うまでもない。なお、高橋作衛氏が『戦時国際法要論』の「戦規と戦数」で紹介するウェストレーキの所論では、「緊急性」のような必要すらもないのに戦規を守らないでも良いとさえ公言するようなフランスの将官もいたそうである。
<次項に続く>

  田岡良一氏の「戦数論」について−3 靴屋 2003/10/23 16:46:53 
  田岡良一氏の「戦数論」について−4 靴屋 2003/10/23 16:47:30 
  田岡良一氏の「戦数論」について−5 靴屋 2003/10/23 16:48:12 
  田岡良一氏の「戦数論」について−6 靴屋 2003/10/23 16:48:45 
  田岡良一氏の「戦数論」について−7 靴屋 2003/10/23 16:49:18 
  田岡良一氏の「戦数論」について−8 靴屋 2003/10/23 16:49:53  (修正1回)
   └靴屋さん、こんにちは。 K−K 2003/10/25 21:48:06 

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