Re 論点は何?
まず断っておきますが、私のスタンスは、「事実と判断できることを積み重ねて全体像を捉える。現在の自分の知識で事実と判断できないことについては判断保留とし、極力言及を避ける」というものです。
「百人斬り」について言えば、「白兵戦の中で百人斬ったかどうか」ということは、今の「百人斬り」論争の論点ではないでしょう。論点は、「捕虜の据え物斬り」という形で「百人斬り」に近い事実があったのか、それともそんな事実は何も存在しなかったのか、ということだと思います。
私は、今の時点では、そのどちらとも断定できるだけの材料を持っていません。とりあえずの関心は、「存在しなかった」派のいう「日本刀3人限界説」が正しいかどうか、ということだけでした。その上で、とりあえずは、「正しいとする決定的材料は存在しない」という結論を出しています。
まあ、それだけの話です。
>私に言わせれば、百人切りを「できる」とするために捕虜を切ったんだとか切っては研ぎに出せば切れるんだとか、んなこと言う前に百人切りなぞ記者の創作であって、両将校の任務から考えてもそんなこと不可能だし、実際に切ってなどいないのだと考えた方がすっきりしますが。
まず「記者の創作」という表現には、無理があると思います。紹介した「週刊新潮」の記事の通り、「本人が言ったままを記事にした」と考える方が妥当でしょう。記者が「事実でないとわかっていながら記事にした」という非難も、少なくとも浅海氏本人は否定していますし、決定的な「根拠」はないと思います。
また、「任務から考えても<不可能>」と簡単に「断定」してしまうことにも、賛成できません。「日本兵が夏服を着ているからこれはニセ写真」「モーゼル銃を持っているからこれは日本兵に偽装した中国兵」など、浅はかな「常識」が「事実」によって裏切られる例を、私はいくつも経験しています。もし「断定」を行うのであれば、山本氏のような感覚的なレベルではなく、もっと綿密な「考証」を積み重ねるべきでしょう。(私はこの点については、まだ「保留」です)
(「ラーベ日記」批判によく見る、「軍医が戦場の最前線に出ることはありえない」という「常識」に対する「反証」をふたつばかり発見したのですが、これはまた別の話。そのうち機会があれば投稿します)
いずれにしても、「南京事件」論議全体を考えた場合、「百人斬り」が事実であろうがなかろうが、たいした問題ではありません。
もともと、本多氏にとっても、「百人斬り」は軽いエピソードであるに過ぎませんでした。
山本七平氏は、「諸君」誌上での本多氏との論争の中で、「百人斬り」エピソードは中国人が語る「伝説」にすぎない、とする「勇み足」をやらかしました。本多氏から当時の新聞記事などの存在を指摘されて引っ込みがつかなくなり、「日本刀の性能」やら「任務として不可能」やらの説得性の薄い「根拠」をもとに大論争を仕掛けた、というのがこの「論争」の発端だったと思います。
その意味では、「百人斬り」を世に広めた「責任者」は山本氏である、と言えるかもしれません。
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