>捕虜虐殺、陶物切り競争というのは推測が混じっているでしょう? >確かに彼らが捕虜を虐殺したという記録はあるのですか? >彼らが白兵戦を交えたにしても、捕虜を切ったにしても、公式の記録がちゃんと >残っているはずでしょう。
公式の記録が残されていない戦闘というのはいくらでもあります。記録がないから といって捕虜の虐殺がなかったということにはなりません。
>浅海記者が確かに事実を書いたのか。 >向井、野田少尉が語ったことは確かに事実なのか。 >これらに関しては果たして証明されたといえますか? >野田少尉が語ったことなのか、向井少尉が語ったのか、それすら明らかでない。 >また、浅海記者は彼らの話をそのまま記事にしたわけではないでしょう。 >新聞の記事になるように手が加わっていることは確実です(現代でもそうなのですから)。
具体的な論点を提示して下さい。例えば「浅海記者は事実を書いていない」と主張 されるのなら、その論拠を示して下さい。やみくもに疑問を呈しても議論は一歩も 進みません。
「新聞記事に手が加わっている」と主張されるのなら、どの部分がそうか、論拠を 示して下さい。
>>したがって、なにごとか「日本刀」による「競争」が事実行われていることは疑う >>余地はないでしょう。
>余地が無いって、そう断言できる根拠や物証はあるのですか?
根拠は今までに示した通りです。物証はありません。物証がなくても資料から 推定されれば歴史的事実として認められます。資料から推測されることを すでに書きました。
>>向井遺書では「公平な人が見れば戦闘行為」であるところの競争を行っている >>と書いています。白兵戦での人斬りは「誰が見ても戦闘行為」であるのは明白です。 >>では「誰が見ても戦闘行為」以外の【公平な人】だけが「戦闘行為」と認定する種類 >>の「戦闘行為」とは何なのでしょうか。
>これって曲解ではありませんか?
曲解であるという貴方の論拠を示さずに、疑問を呈しても議論は一歩も進みません。
>「公平な人が見れば」ということはつまり法的に問題が無いということでしょう。 >もし彼らが捕虜を切ったとしても、それは違法ではない、全く問題が無い行為で >あったということになります。
「法的に問題が無い」、それが、向井元少尉の「認識」であったということです。 捕虜の斬殺は当時も今も立派な国際法違反の虐殺行為です。向井元少尉はそれを 知らなかったから堂々とやったと言っているわけですね。
>こうなると「百人切り」という問題自体が問題でなくなるわけでして、一体何が 問題なのです?
本人が犯罪行為と思っていなくても犯罪行為は成立するのです。 それとも、ローデシアンさんは「自分が犯罪行為と思っていなければ何をやっても 犯罪行為を構成しない」と考えているのでしょうか。
|