いや、実は・・・
「纏足物語」という本を買ったら、1930年代では、「纏足」は「河北」には残っていたが「華中」や「華南」にはもうほとんど見られなかった、という記述がありました。
まあ、この本の記述が正確なのかどうかわかりませんし、実際問題として「纏足」ひとつで「証言」を否定しようとする阿羅氏のやり方は無茶ではありますが(「纏足」が「ない」とまでは断言できません)、念のため、正確なところがわかるまで、私のページからは外してあります。
個人的には、我ながら力の入った文章で、気に入っておりましたので、何とか復活させたいところなのですが・・・。
*ちなみに「南京戦 被害者120人の証言」では、こうなっています。
「纏足が減少しだしたのは、封建制度の打倒を叫ぶ国民党の北伐軍(1926〜28年)がきてからである。したがって民国26年(1937年)といえども、まちがいなく中国各地で纏足の女性はなお少なからず見受けることができたのである」(P386)
**次は、「ラーベ日記は「三等資料」か?」を予定しておりますので、お楽しみに。
東中野氏は、内藤智秀氏の「史学概論」から「三等資料」の概念を引っ張り出したようですが、実は内藤氏の記述について、ひどい「トリミング」をやっております。「南京事件」と全然関係ないところでまで、こんなことをやるなよな・・・。
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