確かにひどい文章ですね
なるほど、本来は、第6師団の内、第13連隊は12月16日に南京を出発しているけれど、第45連隊(の本隊)が南京を出発したのは12月22日だということですね。
東中野氏は、第45連隊の12月22日の出発には触れず、第13連隊の12月16日の出発でサンドイッチにして、あたかも第6師団全体が12月16日に出発したかの様に見せかけた。みっともない小技ですね(笑)。
45連隊第2中隊や47連隊第2中隊の陣中日誌が、『南京戦史資料集2』P388〜403に載っていますが、そこでも、 第45連隊第2中隊 ---- 引用 ---- 十二月二十二日 天候 晴 行軍 一、新警備地区へ移動のため午前七時上河鎮西端出発、南京城門東側附近に於て連隊主力の行軍序列に入り南進・・・ P393 ---- 終わり ----
第47連隊第2中隊 ---- 引用 ---- 十二月二十一日 晴天 候家村 二、師団は蕪湖附近警備に任することとなり、中隊は六・二○出発、南門大隊集合場に至り○六・五○南京城出発、○八・○○安徳門を出発・・・ P402 ---- 終わり ---- となっていますし、一緒に載っている福田続日記(45連隊第11中隊・上等兵)でも出発は12月22日になっています。 また、23連隊は年が明けた1月3日頃に南京を出発している様です(『南京戦史資料集2』折小野末太郎日記P340)。
そもそも、『南京戦史』P232にも次のように書いてあります。 ---- 引用 ---- 師団その後の情況 南京占領に伴う爾後の配備に関する方面軍命令により、第10軍は太湖中央を東西に連ねる線以南の地区を警備することになり、第6師団は太平府、蕪湖へ転進を命ぜられ、【おおむね12月20日以降】逐次に南京を発ち蕪湖へ転進した。 ---- 終わり ----
残念ながら13連隊の全体的な行動ありませんが、第6師団の大まかな行動としては、『南京戦史』の記している様に、12月20日以降に南京を出発したというべきでしょう。
【東中野氏】 >従って、中華民国は第六師団が十六日から南京を離れ始めていたことを >知らなかったのである。そうとも知らずに第六師団は「二十一日迄」 >南京で虐殺したと書いていた。
ゆうさんの仰るとおり、まったく呆れた文章ですね(笑)。 12月16日【から】南京を離れ始めたのであるならば、「21日まで虐殺を行っていた」としても矛盾ありません。一体、何が「そうとも知らず」なのか、まったく意味が不明です。 学者の文章とは思えませんね。
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