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  スマイスはなぜ南京市民の死者数を誤って判断したか。 タラリ 2003/03/26 23:19:53 

スマイスはなぜ南京市民の死者数を誤って判断したか。 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/03/26 23:19:53
スマイスはなぜ南京市民の死者数を誤って判断したか。

  ( この投稿も実は北村稔批判の一環として構想してきたものです。しかし、
   現在の組立では北村本の文章に即して展開するのが、適当でもなくなって
   来ました。 )

スマイス報告に記載される南京市民の被害は死亡3250人、拉致4200人、拉致は
その後殺害された可能性大であるので併せて死亡としても7450人に過ぎない。国際
委員会のメンバーは早くから殺害された市民は5万人との認識を持っていたと考えられ
る。

そのため、スマイスは調査報告と自らの実感との補正をするために日本軍によって殺害
された南京市民の数は当時の段階での「正確な埋葬資料」を援用して1万2000人と
併記するしかなかった。

なお、農村部として挙げた4.5県における死者は2万6870人である。農村部の
範囲には南京市の郷区が含まれるが、郷区の中の衛星都市は含まれていない。また、
農村部には南京市区外である四県半が含まれる。南京大虐殺の範囲は一般に南京市区と
することが合意されているが、この報告からは南京郷区の被害推定も出来ない。したが
って、スマイス報告では南京市区の死者が依然として不明であるのは残念である。

スマイス報告は昔から否定派が「肯定派がスマイス報告を無視するのはおかしい」と言
ってきた。例えば田中正明は『南京大虐殺の虚構』において述べる。

《東京裁判は[スミス]博士の口供書は朗読したものの肝心の博士が心血を注いだ右の
『一九三七年十二月より一九三八年三月に於ける南京地区の戦禍及都市村落の調査』は
却下し、記録にとどめることさえしなかった。なぜか。いうまでもなく、南京事件の
中国側の被害者数があまりにも少なすぎたからである。この数字ては西のアウシュヴィ
ッツに比較する東の”大虐殺”にはならないからである。同じ理由で「大虐殺派」の人
びとはこのスミス博士の統計をつねに敬遠する。》pp44

田中の主張に符節をあわせるように北村も主張する。

# スマイスの力量に対するベイツの大きな信頼を、「虐殺派」の人々はどのように
# 理解するのであろうか。『スマイス報告』の南京市内の人的被害に関する調査
# 結果を無視しようとする「虐殺派」の態度は、自説に都合のよい資料だけを引用
# し都合の悪い資料は引用しないとの誹りをまぬがれないのではないか。

これに対して肯定派の反論はこのようであった。
以下の洞の主張は北村の引用するところである。

(「南京大残虐事件資料集2 英文資料編  洞富雄による解題)
「こうした抜き取り調査で犠牲者の総数を推定しようとしても、それはおおざっぱに
すぎると思う。(中略)国際救済委員会による南京現住市民の特殊な統計的調査に
もとづく犠牲者数の推計や、その調査を指導したスマイス教授が同調査書の注記で
記している別の推算は、あまり当てにならないものであることが知られたと思う。
[中略]この軍事裁判でも、検察側はこの調査書を証拠として提出していない、その
資料価値を認めなかったからかもしれない。なお、この報告はむしろ被告にとって
有利な証拠とみなされなくもないのだが、弁護側もこれを書証として提出しなかった。
この資料の示す数字の信憑性については、弁護側さえ疑問視していたからであろう」

また、肯定派のもうひとりの論客笠原は反論する。この反論は洞も別のところで共通
して述べている。

(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P17 笠原八十司氏による解説)
<・・・調査は一九三八年三月段階で南京市内の家屋に入居中の家族にたいしておこな
われている。しかも、調査は五○戸に一軒を抽出して調査し、得られた平均の数値を
五○倍して全体の犠牲者数を算出している。当時、南京には南京戦前の人口の三割程度
しかいなかった。それに、離散してまだ戻っていない家族、家が焼失してしまって戻れ
ない家族、家族全員が犠牲になったもの、家族に犠牲があったゆえに恐ろしくて戻れな
い家族等々、犠牲者を出した家族ほど原住地に入居していない可能性が高かった。>

スマイス報告は統計手法による被害推定であり、軽々しくは否定できない。一方では
肯定派が「虐殺0派」の主張を批判するときに使われ、また一方では昔から否定派が
肯定派の過剰な見積もりを非難するときの論拠として使われてきた。

虐殺肯定派はその数字には信憑性がない評価してきた。その根拠は裁判における検察
側、弁護側の扱いであった。これは評価の基準が自分では示せないことを意味してい
る。また別の根拠は埋葬数など他の資料であり、あるいは、南京市の郷区や全滅家族
などスマイスの調査対象外の被害数であった。そこには南京城内残留市民のうちから
失われた被殺市民の数が間違っているという、スマイス調査に対する内在的な批判は
なかった。

しかし、南京城内残留市民のうちから失われた被殺市民の数は精々7450人くらい
の少数なのであろうか。私は南京市の人口統計を研究しているうちに南京城内残留市
民の間から失われた被殺市民は決してそんな少数ではないことを確信した。そして
スマイスがなぜ過少な被害推定しか出来なかったかを研究した。

スマイスが見抜けなかった被害家族の心理とそれ故の報告の欠陥を正しく指摘するこ
とは、否定派の主張を退け、「中間派」の疑問を一掃するために重要であろうと思う
のである。

      ◇      ◇      ◇

スマイス市民調査の人的被害についてはスマイスはまったく意外であり、戸惑いを隠
せなかったと言えるだろう。聞き取り調査で正しい報告をしなかったというスマイス
の証言は多数ある。

 ■死亡を申告していない例が確かに存在する。

「以上に報告された死傷者に加えて、四二〇〇人が日本軍に拉致された。臨時の荷役
あるいはその他の日本軍の労役のために徴発されたものについては、ほとんどその事
実を報告していない。」(『南京大残虐事件資料集 2』pp223、以下すべて同書)

「実際には、多くの婦人が短期または長期の給仕婦・洗濯婦・売春婦として連行され
た。しかし、彼女らのうちだれ一人としてリストされてはいない。」pp223

 ■女性の拉致が1件も報告されていない。

「三月中に国際委員会の復興委員会によって調査をうけた一万三五三〇家族のうち、
拉致された男子は、十六歳から五十歳にいたる男子全部の二〇%にも達するものであ
った。これは全市人口からすれば一万八六〇人となる。」pp223

 ■復興委員会調査では、拉致は少なくとも10,860人はいるはずなのに、
  4、200しか申告されていない。
  一方で「拉致されたものは6月になってもかえってきたものはない」と書き
  ながら「10、860人と4、200人の差」は労働から戻ってきたからだ
  ろう、などと矛盾したことを書いている。

「負傷しても何らかの形で回復したものは、負傷を無視するという傾向がはっきりと
見られる。」
「三月中の調査によれば、強姦による傷害は十六歳から五十歳に到る婦人の八パーセ
ントを占めていた。・・・十二月・一月のように強姦がありふれたことになっていた
間は、・・・遠慮なく認めた。しかし、三月になると家族たちは・・・もみ消そうと
した。」
 
 ■負傷者の報告も強姦時の負傷の報告も出来るだけ言おうとしなかった。

      ◇      ◇      ◇

つまり、スマイス報告においては日本軍の暴行はめったに申告されなかった。このこと
をスマイス自身が認めている。しかし、スマイスにはその原因を正しく理解出来なかっ
た。その理由をスマイスは日本軍による報復の恐れと説明するしか方法がなかった。

「占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由
がある。実際に、報告された数が少ないことは、暴行による幼児の死亡の例が少なか
らず知られているのに、それが一例も記録されていないことによっても強調される。」
(『南京残虐事件資料集』pp222-223、以下同書)

また、先に記したように拉致から帰ったものはないと言いながら、スマイス調査に先立つ拉致被害調査との違いを労働から帰ったためというように矛盾した説明を試みている。つまり、スマイスの中で実感と調査の溝は埋めることが出来なかったのである。

      ◇      ◇      ◇

被害家族が死亡者、拉致被害者をあえて報告しなかったのは、今日、研究が深まっている犯罪被害者家族の心理に照らして見れば、当然のことである。遺族の心理からすると、
被害を申告することすら出来ないほど酷い心の傷を負っていた。それが、報告を【あえて】しなかった意味のすべてである。

「調査員は、ただ事実を質問するために来たこと、委員会の通常業務の仕事を目的と
する家族救済調査員として来たのではないことを注意深く説明した。」 
 pp217 −1.実地調査の手続き−より

「救済」を目的に掲げた調査では明らかにスマイス調査における、拉致被害者数を
上まわっている。

「三月中に国際委員会の復興委員会によって調査を受けた一万三五三〇家族のうち、
拉致された男子は、十六歳から五十歳にいたる男子全部の20パーセントにも達する
ものであった。これは全市人口からすれば一万八百六十人となる。」pp223

ただし、全市人口から10,860人という数字はいかなる計算に基づくものなのか。
適当と思われる方法で試算して見た。

南京戦前の人口統計として、1932年のスマイス調査を使用する。実はスマイス調査には幾分の欠陥があるのであるが、それはさておき、戦後の1938年3月のスマイス調査と較べるには同じ調査法である戦前のスマイス調査を利用するのがもっとも合理的である。

 計算の便宜上、戦前の女性人口が10万、男性人口が11.4万であると仮定する。: (1932年の男女比は114.5 第2表による)

 男子人口のうち16才から50才までは男子人口の55.6%を占める。
(1932年の年齢別、性別分布 第2表より比例配分によって計算)

 「十六才から五十才にいたる男子全部の二十パーセントに達する」とされているから
 11.4万人 × 55.6% × 20% =1.26万人

 1.26万人が拉致されたことになる。しかしこの計算は元の人口が
 10万人 + 11.4万人 = 21.4万人 であるとの仮定の下に計算で
 あるが、実際にはスマイスの推計では戦後に26万人、その倍率を考慮して
 1.26万人 × 26万人/(21.4−1.26万人) =1.55万人
 が拉致された人口でなければならない。

      ◇      ◇      ◇

また、ボートリンは12月16日だけで彼女の収容所の4000人のうちから442人
が拉致されたと記しています。これを全市に当てはめれば全市の人口を25万人として
27,625人が拉致された比率になります。

ボートリンの収容所の数字を全市に直ちに当てはめるのが適当であるという証拠はあ
りません。この数字が全市の平均より、多いか少ないかを判断する材料はないのです。
ただし、12月16日はまだ、便衣兵摘出に名を借りた拉致が始まったばかりであり、
収容所の入所者が特に偏った家族構成をしたとは思われない時期です。収容所に入っ
た難民は遅れて安全区に入った市民であり、かつ安全区の家屋に入る家賃を持ってい
ない貧しい最下層の市民を代表していると思われます。

しかし、国際委員会のメンバーやその他の人々によって推定された市民殺害数の中には
はっきりした根拠を提示されたものはないということを確認しなくてはなりません。そ
れらの数字もおそらくは、自分が見聞した範囲の殺害数や拉致被害者数を母数として全
市に敷衍して算定したものでしょう。その限りにおいて、この数字は少なくとも算定の
経過が明瞭なだけ信頼がおけるものと思われます。

さらにボートリンは1月21日の数日前から行方不明者のリストを作りはじめました。
2月8日までに738人がまだ戻ってきていないひとでした。これを全市に当てはめ
ると46,125人になります。

この時期には特に安全区内に居住していて、なお日本軍による暴行による被害を経験し
たり、見聞したりして収容所に移動した家族が多くなっていると考えられます。特に
ボートリンの収容所は強姦を経験したり、あるいは見聞したりした女性中心に多く入所
していたと考えられます。既に暴行の経験があるということでは家族にも拉致被害者は
多いかも知れない。また、ボートリンを頼って他の収容所やときには城外からの訴えも
捜索願いもあった。しかし、この頃にはすでに死亡を確認したり、望みを失って訴えを
なすことさえ行わなかった被害家族も多くなってきたであろう。したがって、この予想
数も多いとも少ないとも決めつけられないであろう。

      ◇      ◇      ◇

スマイスが危惧したように明らかに市民は被害を過少に申告していました。それは復興
委員会、ボートリンによる行方不明者調査で明らかです。この違いは拉致被害者の帰還
に望みを繋ぐような調査の形式であったら、もっと実状に近い数字が得られたことは確
かです。

スマイス調査は拉致被害者の帰還を求めるようなことをむしろ排除していました。
そして、そもそも南京市民が被害を過少に申告したのか、その心理に分け入って検討
することが求められています。

  Re:スマイスはなぜ南京市民の死者数を誤って... 渡辺 2003/03/27 01:56:08 
   ├スマイス報告はいい線? タラリ 2003/03/28 22:04:28 
   │└Re:もうしばらくお持ちください 渡辺 2003/04/07 02:43:31 
   └渡辺さんと私の違いは・・・ タラリ 2003/03/28 22:15:37 

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