東中野氏の文章です。
>当時の支那に、火葬の風習はなかった。「土饅頭」が象徴するように、支那では土葬が中心であった。日本軍が木を組み、そこに遺体を積み上げ、少量のガソリンをかけて埋葬している光景は、支那人の眼にも、とまったであろう。それを垣間見た支那人が、日本軍は人を生きながら焼き殺したと噂したのであろう。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/higasinakano131.html
例によっていいかげんな文章なのですが、果たして「当時の支那に火葬の風習はなかった」のかどうか、ということまでは、突っ込みきれませんでした。(渡辺さんからは、「荼毘に付す」という習慣があったはずだ、とのご指摘をいただいたことがあります)
ところで、「南京市政概況 民国27年」に、こうあります。
火葬場 当防疫緊張之中 凡有疫死者 均応火葬 以免伝染 査香○(木へんに緑)樹地方 火葬場業巳毀壊無存 特絵具団様 勘定中華門外空場 筋工承造 巳於九月中成功 焚去病屍六具。
私は中国語を全く解しませんので、漢字から大意を察するしかありません。おおまかにこのような意味なのでしょうか。
「防疫に当たる緊張の中、疫病による死者があったので、火葬をもって、伝染を防ごうとした。火葬場は壊れてなくなっていたので、中華門外の空地に建設、9月には病死体6体を焼いた」
わからない部分は全部飛ばしましたので自信はないのですが、この解釈で正しいとすると、この文書から、次のことが読み取れます。
1.民国27年(1938年)9月、6体の病死者が火葬された。 2.火葬場が壊れていたので、新たに建設した。(つまり、これ以前にも「火葬場」はあった)
「火葬の習慣はなかった」という東中野氏の文章が、怪しくなってきます。
中国語を解する方を、私は熊猫さんしか存じ上げません。 図々しいお願いで恐縮ですが、これを翻訳していただけないでしょうか? 何とぞ、よろしくお願いしますm(__)m
|