平林証言の検証−その2 田中正明聞き取り
田中正明『南京大虐殺の虚構』(1984年)にある平林証言
この証言は鈴木明のインタビューの後である。内容は対鈴木証言より豊富であり、事前 の準備があったかのようである。また、インタビュアーによる編集が行われており、 話者の肉声は感じられず、話をするときの心の動きは読めない。平林氏の証言という よりは田中正明提供の「証言」資料となっており、その点、資料的価値は減じている。
証言内容が大筋で他の二つと食い違いが生じている。また、田中正明氏の「校正」を 経ているにもかかわらず、この証言内容内部で矛盾を生じている箇所もある。
以下(No.)を付したものが本文。(鈴)は鈴木明に対して行った証言、(田)は 田中正明に対して行った証言の略号。▲は証言間の異同、■はコメント。
(1)わが方の兵力は、上海の激戦で死傷者続出し、出発時の約3分の1の1500 足らずとなり、その上に、へとへとに疲れ切っていた。しかるに自分たちの10倍近 い1万4000の捕虜をいかに食わせるか、その食器さがしにまず苦労した。
▲「食器さがし」は初出。
(2)上元門の校舎のような建物に簡単な竹矢来をつくり収容したが、捕虜は無統制で 服装もまちまち、指揮官もおらず、やはり疲れていた。山田旅団長命令で非戦闘員と 思われる者約半数をその場で釈放した。(3)2日目の夕刻火事があり、混乱に乗じて さらに半数が逃亡し、内心ホットした。その間逆襲の恐怖はつねに持っていた。
■この「その場」は「収容する前に非戦闘員をより分けて」というニュアンスを感じ る。とすると「1万4000の捕虜」の食器さがしをしたはずなのに、「その場」で 釈放したとはどういうことなのか。収容所から離れたところでなく、収容所の門口で というなら、いったん収容したものをより分けたとするなら、非常な混乱があり、時 間を要するだろう。
■「逆襲の恐怖」−逃亡には捕虜側の実力行使が示されていないのに「逆襲の恐怖を 持つ」というのは理解しにくい。伏線であろう。
▲(鈴)捕虜が逃げたかどうか憶えていない→(田)半数が逃亡し、 ▲(鈴)憶えていない → 内心ホットした。■そのときの感想まで付け加わった。
(4)彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛 ったが縛ったことにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部 隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは正午すぎ、列の長 さ約4キロ、私は最後尾にいた。
▲「私」が最後尾、「ゲートルで縛った」は初出。 ▲■(鈴)わずか数キロ(二キロぐらい?)と距離が不明だったのに、(田)では列の 長さがなぜわかるのか?
(5)騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉 な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも 喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。(6)最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴 り響き、捕虜は算を乱し、私は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが 精一杯であった。(7)静寂にかえった5時半ころ、軽いスコールがあり、雲間から 煌々たる月が顔を出し“鬼哭愁々”の形容詞のままの凄惨な光景はいまなお眼底にほ うふつたるものがある。
▲騒動の時刻:(鈴)夜、暗闇 → 薄暮れ ▲騒動のタイミング:(鈴)集結して舟をしばらく待った後 → (田)最後尾が まだ道路上にあるとき ■「前方で叫喚とも喊声」が上がるから「最後列まで一斉に狂乱」というのは不審な 展開である。崖と揚子江に挟まれた狭い道でいったい捕虜はどこに逃げようとするの か。また、平林氏はどう逃げようとするのか。軍刀を「振り回しながら」逃げるとい うのも無理な描写である。 ▲暴動時平林の行動:(鈴)<記載なし> → (田)軍刀を振り回す ▲暴動終了時の光景:(鈴)では暗闇であり、スコールも月も出て来ない。 (田)では5時半のスコール後に月が出て“鬼哭愁々”という。 ■この叙述からすれば平林氏の胸中にこの光景は刻まれたはずである。ところが(鈴) には出てこず、鬼哭愁々”だけが共通する。とすれば、この美文の叙述はまったく信用 できない。 ■暴動の後にどうしたか、どう思ったかが書かれていない。
(8)翌朝私は将校集会所で、先頭付近にいた1人の将校(特に名は秘す)が捕虜に 帯刀を奪われ、刺殺され、兵6名が死亡、10数名が重軽傷を負った旨を知らされた。 (9)その翌日全員また使役に駆り出され、死体の始末をさせられた。作業は半日で 終わったと記憶する。中国側の死者1000〜3000人ぐらいと言われ、(注(1) )葦の中に身を隠す者を多く見たが、だれ1人これをとがめたり撃つ者はいなかった。 我が軍の被害が少なかったのは、彼らが逃亡が目的だったからと思う。
▲殺害数:(鈴)千なんてものじゃなく、三千ぐらいあった → (田)1000〜 3000人ぐらいと言われ − 判断の主体が変わっている。 ■全員総出すなわち1500人出たとすれば、一人一体処理したか、二人処理したか の感じで概数はすぐに出ると思われる。 ▲「身を隠す者が多く」−初出。■翌日になって現場の近辺に捕虜が「多く」隠れてい たとはにわかには信じがたい。
この証言では連行の際に最後尾にいて銃はもたず、軍刀を所持していたと具体的であ る。ゲートルで巻いたという証言も流れとしてそれらしいので、多少連行に参加して いる感じが出てきた。しかし、暴動の時刻、場所、様子は対鈴木明証言とは大いに異 なる。前証言から11年経過しているとはいえ、同じ人の証言とも思われないほど違 っている。
参加した感じは出てきているが、暴動の発生と経過は依然として納得しがたい。暴動 の後に何をしたか、何を思ったかも書かれていない。月が出た後の描写は絵空事であ る。悲惨な感じを抱いたのはの二つの証言に過剰と思えるほど書いてある。しかし、 具体的な記述に即していないので、その感情表現が上滑りになっている。
この証言を読んでも平林氏が連行に参加したという感じはやはり持てない。悲劇を見 たのはおそらく、翌日の死体処理においてであろう。それを当日の感情として書こう とするから無理が出るのだとしか思えない。
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