山田旅団による捕虜大量殺害は南京事件論争の当初から、重要論点のひとつであっ た。平林証言は大量殺害を証言した栗原証言と対立する内容であり、否定派の論拠の ひとつとなっている。
鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』(1973年)他による平林証言の検証を私 なりの方法で行った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− この証言の真偽については対立する証言・記録や、否定派が指示する証言・記録から 議論されている。古くから事件を研究しておられる諸兄にあっては先刻ご承知の証言で あり、真偽についても他の証言との比較から一定の認識をお持ちであろう。しかし、私 はこの文章自体を子細に点検することだけで、真偽の判定を行ってみたいと思うのであ る。
その理由のひとつは、私は職業上、体験の聞き取りの豊富な経験があり、述べられた ことが真実か、虚偽かは予備知識なしにでもかなり正確に言い切れる自信があるからで ある。
もう一つの理由は私が史料批判は外在批判でなく、内在批判で行うのが正しいと主張 しているからである。外在批判、内在批判とは何か。
証言・資料の真偽を判定する方法には資料の来歴を調べ、正しく当人が述べた証言・ 資料であることを立証したり、あるいは当人が真実を述べたということを証明する方法 がある。これは史料批判のうち「外在批判」とされる。
証言・資料の真偽を判定するもうひとつの方法として資料そのものが持つ内容をその 資料自身や他の資料に照らして検証する方法がある。これを史料批判のうちでも「内在 批判」と呼ぶ。
外在批判はいつもなしうる検証方法ではない。むしろ、歴史資料の多くは外在批判 の余地が非常に限られるのが常である。ところが南京大虐殺の否定論者がとる方法論は 外在批判だけであることが多い。私の史料解析の方法は、史料の内在批判こそが本質 的な史料批判であるということの例証としても行っているのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「南京大虐殺」のまぼろし pp198-199より 「大量のホリョを収容した、たしか二日目に火事がありました。その時、捕虜がにげた かどうかは、憶えていません。もっとも、逃げようと思えば簡単等に逃げられそうな竹 がこいでしたから。それより、問題は給食でした。われわれが食べるだけで精一杯なの に、一万人分ものメシなんか、充分に作れるはずがありません。それに、向こうの指揮 者というのがいないから、みずを分けるにしても向こうで奪い合いのケンカなんです。 庭の草まで食べたという者もいます。ただし、若い将校はしっかりしていました。感心 したのを憶えています」《中略》 だから、「捕虜を江岸まで護送せよ」という命令が来た時はむしろホッとした。平林氏 は、「捕虜は揚子江を船で鎮江の師団に送り返すときいていたという。月日は憶えてい ない。
■ここまでの記述には取り立てて疑問・矛盾を感じない。
「捕虜の間に、おびえた表情はあまりなかったと思います。兵隊と捕虜がてまねで話 をしていた記憶があります。出発は昼間だったが、わずか数キロ(二キロぐらい?) のところを、何時間もかかりました。
とにかく、江岸に集結したのは夜でした。その時、私はふと恐ろしくなってきたのを 今でも憶えています。向こうは素手といえども十倍以上の人数です。そのまま向かっ て来られたら、こちらが全滅です。とにかく、舟がなかなか来ない。考えてみれば、 わずかな舟でこれだけの人数を運ぶというのは、はじめから不可能だったかもしれま せん。
捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。突然、どこからか、ワッとトキの声が上 がった。日本軍の方から、威嚇射撃をした者がいる。それを合図のようにして、あと はもう大混乱です。一挙に、われわれに向かってワッと押しよせて来た感じでした。 殺された者、逃げた者、水にとび込んだ者、舟でこぎ出す者もあったでしょう。なに しろ、真暗闇です。機銃は気狂いのようにウナり続けました。
次の日、全員で、死体の始末をしました。ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、 あんなにむごたらしく悲痛な思いをしたことはありません。我が軍の戦死者が少なか ったのは、彼等の目的が、日本軍を”殺す”ことではなく、”逃げる”ことだったか らでしょうね。向こうの死体の数ですか? さあ・・・・・千なんてものじゃなかっ たでしょうね。三千ぐらいあったんじゃないんでしょうか・・・・・」
平林氏は、「鬼哭啾々」という古めかしい形容詞を二度も使った。他にいいようがな かったのかも知れない。
検証はひとつひとつの文章の解析を経て内容の検討に続く。
(1)捕虜の間に、おびえた表情はあまりなかったと思います。(2)兵隊と捕虜が てまねで話をしていた記憶があります。(3)出発は昼間だったが、わずか数キロ (二キロぐらい?)のところを、何時間もかかりました。
■「おびえた表情」「てまね」の話は出発以前の話。これは実際に見ていることでは あろう。しかし、捕虜の護送の時間的経過の中に埋め込まれた叙述でもなく、必要の ない叙述である。その後の捕虜の動静については具体的な描写がない。してみると、 この二つはカムフラージュである。
(4)とにかく、江岸に集結したのは夜でした。(5)その時、私はふと恐ろしくなっ てきたのを今でも憶えています。(6)向こうは素手といえども十倍以上の人数です。 (7)そのまま向かって来られたら、こちらが全滅です。(8)とにかく、舟がなか なか来ない。(9)考えてみれば、わずかな舟でこれだけの人数を運ぶというのは、 はじめから不可能だったかもしれません。
■(4)(8)とも「とにかく」の語句は説明を無理矢理排除した感じを受ける。 (5)「その時、〜ふと」が作為的。(7)−(9)まで説明が過ぎる。
■「怖い」という感情はこの証言にあっては特に原因なくして生じている。例えば、 《 集結して舟がいつまでたっても来ない、捕虜の間に動揺が見られる、万一の暴動 を予想すると怖くなってきた》これなら通るのであるが、集結したとき「ふと恐ろし くなってきた」の次に「とにかく舟がなかなか来ない」では続き具合がおかしい。
(10)捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。(11)突然、どこからか、ワッ とトキの声が上がった。(12)日本軍の方から、威嚇射撃をした者がいる。(13) それを合図のようにして、あとはもう大混乱です。(14)一挙に、われわれに向か ってワッと押しよせて来た感じでした。
■(10)憶測の必要はない。伏線にしたいようである。(11)極めて不自然な展開 である。(後述)(13)(14)劇的な場面であり、文章の素養がないひとでもこう いうときだけは言葉が生き生きとするものであるが、なぜか緊迫感皆無である。例えば 結びの句「ワッと押しよせて来た感じでした」。
(15)殺された者、逃げた者、水にとび込んだ者、舟でこぎ出す者もあったでしょ う。(16)なにしろ、真暗闇です。(17)機銃は気狂いのようにウナり続けまし た。
■(15)唐突に想像を言い始める。(16)「なにしろ、真暗闇です」ののんびり感 と(17)「機銃は気狂いのようにウナり続けました」の動的内容とがつながらない。 それから、どう考えても(17)の機銃掃射の方が(15)より先に来るべきでしょう。 (18)次の日、全員で、死体の始末をしました。 ■あれれ、場面転換が不自然。これだけの重大事件に対する総括的言葉、感想が一切 ない。疲れて帰ったとか、ほうほうのていで帰ったとか、失態に対する責任追及を心 配するとか何かあっていいはずでしょう。暴動鎮圧とまったく無関係に死体処分に出 かけた印象を受ける。
(19)ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、あんなにむごたらしく悲痛な思 いをしたことはありません。 ■曲がりなりにも本人の感慨。
(20)我が軍の戦死者が少なかったのは、彼等の目的が、日本軍を”殺す”ことで はなく、”逃げる”ことだったからでしょうね。 ■概念的、説明的である。
(21)向こうの死体の数ですか? さあ・・・・・千なんてものじゃなかったでし ょうね。三千ぐらいあったんじゃないんでしょうか・・・・・」 ■死体の数を訊かれて「さあ?」はないでしょう。(後述)
平林氏は、(22)「鬼哭啾々」という古めかしい形容詞を二度も使った。他にいい ようがなかったのかも知れない。
■平林氏が殺戮後の現場を見てそう感じたのは確かであろう。
【 単文の総括 】 具体的な叙述が少なく、説明、憶測が叙述の中にしょっちゅう割って入っている。そ の説明、憶測は一つの断定に向けて次々と伏線として与えられている。連行や待機、 暴動の開始と終了が常に曖昧である。事実関係は必ずしも時間の流れに沿って叙述さ れていない。
【 事実関係 】 一度これらの説明的描写を除いて事実関係についての文章にして再掲する。そして、 事態の流れの不審な点を一部他の資料も交えて追及する。
「(捕虜を連行したとき)出発は昼間だったが、わずか数キロ(二キロぐらい?)の ところを、何時間もかかりました。江岸に集結したのは夜でした。舟がなかなか来な い。突然、どこからか、ワッとトキの声が上がった。日本軍の方から、威嚇射撃をし た者がいる。あとはもう大混乱です。一挙に、われわれに向かってワッと押しよせて 来た感じでした。真暗闇です。機銃は気狂いのようにウナり続けました。次の日、全 員で、死体の始末をしました。ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、あんなに むごたらしく悲痛な思いをしたことはありません。向こうの死体の数ですか? さあ ・・・・・千なんてものじゃなかったでしょうね。三千ぐらいあったんじゃないんで しょうか・・・・・」
■根本的におかしいと思うこと。ただ舟を長く待たされるだけで捕虜が反抗をはじめ るのは不審に思える。10分の1の人数の機関銃、小銃を持った兵士に監視されてい る。兵舎の火事の際にも積極的には逃げなかったらしい。仮にも釈放を約束されてい るとすれば、具体的に日本兵の方からの違約・殺戮が始まらない限り、夜明けまでで も待つのが捕虜の心境であると思われる。また、一人や二人が反抗・逃亡することは ありえるだろう。多数が一度に反抗・逃亡するような共謀が成り立つにはそれなりの 状況と準備が必要である。その可能性はまったく示されていない。いきなりワッと立 ち上がるというのは起訴事実の省略が多過ぎるか、あるいはウソである。
■この話には話者が何をしたかと一切書かれていない。翌日に死体の始末をしたこと が書いてあるのに、暴動の当日にしたことは一切書かれていない。
■暴動の描写に精彩がない。それは、暴動の開始、展開の時間順がしばしば乱れ、 「あとはもう大混乱です」とか「押し寄せて来た感じでした」と腰砕けの描写になっ ているためである。話者はそのときどうしたのであろうか。当然、銃(機関銃?、歩 兵銃)を駆使して鎮圧・殺戮したはずであるが、その肝心の描写もない。
■もしも、証言のように「真暗闇」ならば、日本兵も機関銃をどちらに向けてどう撃 ったのであろうか。捕虜たちが一斉に立って日本兵の方に押し寄せてきたとしたら、 どの程度の捕虜を機銃掃射によって撃ち殺しうるであろうか。
■逃がすように言われていて、殺してしまったとの主張である。とすれば、死体の数 には敏感でなければならない。そもそも、護送のときには何人の日本兵で何人の捕虜 を送ったのであろうか。捕虜の数は護送する兵士の数の十倍くらいとは書いてある。 だから、どれくらいを殺してしまったのかはそれとの比較でキチンと目視するはずで ある。
■万のオーダーなら、数え切るのも難しかろうが、戦場にあった将校ともなれば、千 か三千かは確実に数えられるのではないか。例え自分で数えなくても報告は上がる。 衝撃を受けた重大事件と本人が証言している以上死体の数を忘れることもなかろう。 今になって話している途中で千とか三千とか揺らぐのは不自然である。
■翌日に死体処理に際して持った感慨は事実であろう。しかし、殺害に加わっていた としたら、殺害の合理化にしろ、反省にしろもっと複雑な、痛切な感慨の色が滲みで るはずである。むしろ、単調な感慨に見える。
【 文体・内容からする判断 】 話者が当日は護送に関わっていた感じがまったくない。暴動のストーリーは不自然で あり、作り話が相当入っているか、事実の一部を故意に隠しているとしか思えない。 翌日の死体処理には実際に参加したと思われる。死体の数を知らないはずはないが、 なぜか忘れるのは隠しているのであろう。
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