時間がないので、簡単に・・・。
「日本軍歩哨の米大使館構内侵犯」事件についてちょっと調べてみたのですが、どうもよくわかりません。
まず、アベンドが米国の抗議のベースになった、と述べている、「ジョン・M・アリソン領事の南京からの報告」ですが、アリソンが本国に報告した、という記述は、とりあえずは「エスピー報告」にある、次の文章しか発見できませんでした。
○エスピー報告より
アメリカ人財産への侵害は引き続き依然として発生している。一月十八日午後四時付、国務省宛てアリソンの電報には、これら事件の概要、および当日発生した連合キリスト教伝道団の財産に関する件の報告がなされているので、参照乞う。 (「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P245)
「日本軍歩哨の米大使館構内侵犯」事件に触れているかどうか、はっきりしません。少なくとも「エスピー報告」のこの前後には、「事件」のことは出てきません。
私は、これに類する事件は、「飯沼日記」の中にしか発見できませんでした。日付が「一月二十四日」よりはるか前の「十二月二十三日」のことですし、「歩哨」の記述もありませんので、これが「対抗措置」のきっかけとなったこの事件かどうか、はっきりしませんが・・・。
○飯沼守日記 十二月二十九日
英米独伊の大使館員、領事館員等来るとのことに之が応対法研究中の所へ福井書記官(南京領事)来り 米大使館使用支那人の言に依れは二十三日日本兵来り支那人の持物を掠奪し且館員の居室等を荒し扉を剣にて突き刺したりとか 独大使館にては軸物を掠奪せりとかにて米人より領事宛の手紙も置き行きたり。困つたことをする者あり 全部を真とすることも出来さるも善後策を研究する要あり。 (「南京戦史資料集T」P171)
このあと「飯沼日記」は、「善後策」について触れます。
○飯沼日記 一月元旦
今日午後ソ連大使館焼く、此処は日本兵決して入り込まさりし所なれば証拠隠滅のため自ら焼きたるにあらすやと思わる。 他の列国公館は日本兵の入り込みたる疑いあるも番人より中国軍隊の仕業なりとの一札を取り置けり。唯米国のみは四囲の状勢巳むを得ざるも当時番人の親戚等五、六十人入り込み居たる関係上敗残兵ありとの噂に依り進入したるも米大使館と判り直に引き上けたりと云ふこととす。自動車其他番人の損害等は兎も角返すこととす(方面軍特ム部の処置)。 (同 P173〜P174)
「・・・と云ふこととす」だそうです。「米国」以外はしっかりと「中国軍隊の仕業」にしてしまったようですが、「米国」だけは日本兵侵入の事実を否定できそうにないので、仕方なくこういうストーリーにしたようですね。しかし「略奪」までしているのに、この言い訳はちょっと苦しい。
しかし、こんな「大事件」のあと、またもう一度「米国大使館構内侵犯」事件を引き起こした、とは考えにくい。やはり、この事件のことなのでしょうか?
(実はこのあたり、渡辺さんの「横レス」を期待しています(^^)。こちらの掲示板には、まだ登場されないようですが、お忙しいのでしょうか?)
しかし、どうも私の知る資料だけからでは、「それはもちろん「中に中国兵がいる」と思ったからですね」という断定はできそうにありません。むしろ、逆の結論が出そうです。「しーほぁん ちょんくお」さんは、他に何か、資料をご存知なのでしょうか?
まあいずれにしても、「王新倫事件」の実情を知っている我々から見ると、この日本軍の発表がかなり杜撰なものに見えるのは事実です。(これが私の主要論点だったのですが・・・)
今週はちょっと多忙です。明日からも、忘年会の合間を縫って年末へ向けた仕事を片づけなければなりませんので、しばらく掲示板への投稿をお休みさせて下さい。m(__)m
・・・結局、長文投稿になってしまいました(^^)。資料にじっくりと当たる時間もなく、また推敲も不十分な投稿ですので、内容は荒っぽいと思いますが(ひょっとすると、例によって、何か「勘違い」をしているかもしれません(^^; )、ご容赦下さい。
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