どうやら国際委員会住居委員会は王信労が中国軍将校だとは知らずに彼を雇い、難民介護の仕事をさせるために収容委員会に派遣したという事のようですね。 第6収容区長の呉氏はもともと王を知らなかったのですから、過去の経歴について詳しい事がわかるはずがありません。「かつて自分は南京警察の刑事だった」という彼の言葉を信用するしかないわけです。王は呉氏と同郷であり、難民の面倒見がよくて評判もよかったのでしょうから、それで信用したのでしょう。 12月4日つけのニューヨークタイムスでは「実のところ教授たちはこの大佐をそのキャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。」とあるので一介の収容委員にすぎない王信労とは別人だと思います。そして任則賢もさして有能ではなかったとの事なのでこの人とも別人だと思います。ウィルソンの手紙の記述は、当初王信労が「大佐」と目されていたという事なのでしょう。「大佐」が書いていた中国語の書類というのは部下の紹介状だと思います。
もし捕まった4人(あとで人力車夫の愈懐永が加わり5人)が本当に全て大学の職員や門番それから難民の息子だったとしたら、王は何故「銃を埋めたのはこれらの四人である」と言ったのか、呉氏からも信頼されているのに、どうして普通の民間人を告発したのか不審に思っていました。
「ここで、昨日福田氏に、またより簡単には田中氏にも述べ た口頭声明を繰り返させてください。私たちはこれまでつね に捜索・調査にオープンであったし、いかなる種類の犯罪を 行った特定個人をも保護しようとしませんでした。私たちは 一般兵士の不当かつ頻繁な侵入を好みませんが、将校が正当 な方法で行ういかなる調査もつねに歓迎します。この陳また は王という男はこれまで決して本大学に関係を持っていませ んでした。実際、他のヘルパー(難民区工作員)は本学の教 職員であるか、私たちが個人的に知っている者ですので、同 様な事件はもう起きないものと考えます。」 ベイツもこの事件にかなりこたえて反省しているようです。
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