証言を読むときは、まず証言の合理的な解釈をしようという気持ちで読まなくてはな りません。というのは、人の言葉なり記録されたことというのは、ある程度の多義性、 ある程度の不確定性というのが必ずあるからです。
新聞やテレビの報道する事件などでもそういうことは無数にあります。そして私たち は通常は理解可能なように多少の解釈を施しつつ、読んだり、聞いたりしているはず です。それをあえて矛盾、不審な点を探そうとすれば必ずそういうものはあるわけで す。例えば爆笑問題などはそういう矛盾、不審な点をほじくり出してはお笑いのネタ に変換しています。
この証言は裁判の証言であり、法廷の陳述です。この場合、時間の経過を時刻を詳述 しつつ、証言するということは慣れたものでないと難しい。私たちが普通に話してい るときでも、ある行動を述べ、また次の行動を述べるときには言外に時間の流れがあ るということが非常に多くあります。その時間の経過はその行動内容によって判断す るしかありません。
#私は、射撃の始まる直ぐ前に地上に仆れました。忽ち私の上に屍骸が覆ひ被さりま #して私は気を喪ひました。 # 約五分後に私は死骸の山から這ひ出して、さうしてそこから逃げ私の家に帰るこ #とが出来ました。
「気を喪う」の後にはそれから数時間経っているということが省略されています。気 を喪っているので、その間の時間の経過について述べることが難しいわけです。「約 五分後」というのは意識を取り戻して「五分後」ということだったのです。
「ああ、私はすんでのことで殺されるところだったのだが、まだこうして生きている。 死体が私の上に折り重なっているが、どこも撃たれてはいないようだ。日本兵はまだ いるのであろうか。もう暗くなっており、どうやら日本兵の気配もしない。このまま、 ここにじっとしていてもしようがない。危険はあるが直ちに逃げ出そう」。
こんなことを五分間の間に考えたと思われます。
この証言に対してはいきなり「五分間」というところが唐突ですが、「気を喪ってい た空白の時間」を正しく表現しているとも読めます。これに対して弁護人は特に反対 尋問をしなかったようです。それは質量ともに圧倒的な証言があったために見逃され たことがひとつと、反対尋問をしても私が示したような再証言が出るという予想が容 易だったため見送られたことの双方の理由でしょう。
また、証人が「十六師団と思われる」と発言したのはまさにそう思ったというだけで あって、これをもって「偽証である」とも「矛盾がある」とも言うことはできません。 また、
>「中島部隊」についての証言を弄するは、第16師団の下関における激しい追激戦 を、虐殺にすりかえようとする意図が見え見えである。
証言にはどこにも追撃戦のことは述べておらず、「下関における追撃戦を虐殺にすり かえる意図がある」などとはまったくもって見当違いの非難です。
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