田村定男のページ http://www7.gateway.ne.jp/~swtamura/ と言うところに以下のような言説が家永三郎著『太平洋戦争・第二版』の後書きの中からと言うことで引用されてました、このページの紹介では植村正久とは明治のキリスト者とか紹介されてませんでしたが、明治期にこうした言説が存在するのを見ても歴史修正主義(皇国史観等)が横行し毅然として批判していた人達がいるのがわかります。
「国の古を慕い、その歴史の光栄を楽しみ、もしくは国家の屈辱を悲しむのみならず、よく自国の罪過を感覚し、その逃避する責任を記憶し、その蹂躙せし人道を反省するは、愛国心の至れるものにあらずや。(中略)わが国のいわゆる愛国心なるもの、(中略)滔々たる天下歴史に心酔するものにあらざれば、悲歌慷慨外に対して意地を張らんとするに過ぎざるなり。自ら国家の良心をもって任じ、国民の罪に泣くものはほとんどまれなり。甚だしきはこの種類の愛国心を抱くものを非難するに国賊の名をもってす。良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。このために国を誤りしもの、古今その例少なからず。」(植村正久「三種の愛国心」一八九六)
こうした批判に対して、そんなもの(皇国史観とか)誰も信じていないよ、そんなトンデモが世間に影響するわけないじゃん、として扱われもしたでしょう、ここの掲示板にもそう言う人がいます。が、歴史はどうなっていったのでしょうか? 明治政府はこの後どうなっていったのでしょうか?そして昭和の時代はまさにこの植村の予言どおり亡国の時代となったのではないですか?
世間に影響するようになってからでは遅いのです。歴史修正主義はその批判が出来るうちに徹底的に叩いておかねばならんのです、そう「もう一度言っておけばよかった」と後悔しないうちに、、、。
またこの記述があったのは「田村定男のページ」サイト内の 「日本近代史配布プリント」 http://www7.gateway.ne.jp/~swtamura/nichiA02.htm と言うページにあったものですがご一読をお薦めします。家永教授とへんてこ教科書を作る会の検定に対する姿勢が全然違うものであることが納得できると思います。
それにしてもこのページは田村先生がおそらく授業用に公開されていたものだと思いますが、学生の授業に対する姿勢について最初に述べられており数十年前に学校からはおさらばした私ですが、いやー、学生ってのはきびしいねー(^^;、、(゜゜;)ハ゛キッ\(--;
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