はじめまして にょろ 2002/05/25 09:32:16
└こんちは(^.^) とほほ 2002/05/25 17:14:53
└量子論を批判して「神はサイコロを振らない... にょろ 2002/05/25 23:03:53
├むっむつかしーーしゅーー(^^; とほほ 2002/05/26 17:26:15
├真実=客観的事実=科学的事実ということで... とほほ 2002/05/26 19:08:03
└むっむつかしーーしゅーー(^^; にょろ 2002/05/27 22:23:39
└にょろさんの提示された本多氏の文章を読ん... とほほ 2002/05/28 16:43:17 (修正5回)
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Re: むっむつかしーーしゅーー(^^;
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とほほ <yclfglvbxs> 2002/05/28 16:43:17 ** この記事は5回修正されてます
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にょろさんの提示された本多氏の文章を読んで少し意味がわかってきました、この本多氏の文章を前提として踏まえた場合においてにょろさんの見解にはほぼ同意しますが以下の部分に少し反論させてください。
> 経験的事実を元に主張を行う、が議論の基本形だと思うのですが、立場が違う者同士だと、経験的事実に付帯している論拠、実のところこれが論者が一番言いたいことであるわけですが、これの説明がないと生産性や説得力のある議論にはならない。「真実」や「客観的」という単語はこの肝心な論拠を省く方便に使われすぎじゃないかと思うんです。確かに、このふたつの単語を使えばそれは本来絶対的な事実であり論拠を説明する論証不要となるので使いたくなるのでしょうが、実のところ実態がない単語なので大概相手に受け入れらない。
この論理はいわゆるジャーナリストとしての視点から為されている論理です。ジャーナリストとはいわゆる「観測者」でありしかもそれを他者に伝える使命を持ち合わせています。ジャーナリストとはジャーナルする為にまず事象を「観測」します。この観測すると言う行為はその主体があくまで観測者でありますので「主観にすぎない」とはおっしゃる通りです。 ただ、ここで本多氏の言っている事は自分の主観にたいして嘘を付いてはいけない、と言っているのでは無いでしょうか?
例えば「科学」です。科学者はジャーナリストではありません、己の主観である「観測」を根拠に論理を構成します。その論理も「他者に伝える事」は根源的には科学者の使命には含まれません。他者がその論理を評価する場合において「客観性」が正当になるのです。科学者を名乗る人物が「観測」した、と他者にコミュニケートしたときの内容に「嘘」がある場合、これが擬似科学です。(もちろん間違いと嘘の意味は違います、がその間違いを認めず、破綻した論理を繰り返すのは「嘘」を付いているのと同じです。)
「嘘や間違い」を判定するのは「論理」です。
同様に掲示板上で己の見解を表明する立場、と言うのはこれも根源的にジャーナリズムではありません、己の見解を表明するとき己の観測した事実に基づき表明しているだけに過ぎません。つまり根源的には「議論」を前提とはしていないのです。もちろん「自分の観測に自信のない場合」また「論理構成に自信のない場合」は議論を前提として書きこまれる事もあるでしょう。
補足しておけば、自身が為した言説が「他者の宗教観、人生観」において重大な侵害をしている場合に「反論」が出現するわけです。その反論が確かに論理的であれば論者は反論に対し答えねばならないでしょう。
私が「客観性に意味がない」とする言説に否定的に「真実とは何か」を主張するときは、客観性を根拠に「嘘の主観」を発見したと判断したときです。
#あーもー、何回修正したらきがすむねん<とほほ(笑)
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├対象が自分の主観であれなんであれ嘘をつか... にょろ 2002/05/28 23:43:22
│└ちょっとまってください(笑) とほほ 2002/05/29 00:30:23 (修正1回)
└ちょっとまってください(笑) にょろ 2002/05/29 22:11:07
└わかりました。では、前半部分は置いて、後... とほほ 2002/06/01 00:04:53 (修正1回)
└本多氏がそのように問いかけているのはどの... にょろ 2002/06/01 07:58:30 (修正2回)
└「部分ではないです。」 とほほ 2002/06/01 13:45:40 (修正1回)
└なるほど。 にょろ 2002/06/01 20:26:14
└にょろさんの議論と私の議論は論点が異なっ... とほほ 2002/06/02 23:37:37