にょろさんの議論と私の議論は論点が異なっているんです(^^;それはお互いにわかっているんですが、どちらに論点を持っていくのか?こそがまた「真実とは何か?」と言う問題で、だから難しいのだと思います。
つまり認識できない真実など可も否もない、つまり認識できない事実は真実とは言えない。がまずにょろさんの議論の前提でしてもちろんこれはこれで一つの論理です。ただここで守一雄さんの実験を根拠にするのは誤りだと思います。被験者 A・B 二人が虚偽の真実を見せられているわけですのでその伝達が間違いになるのは当たり前のことで、目撃証言等があやふやになることなど経験的に我々は知っています。ましてや同一の真実を見ている、と信じているもの同士で互いの記憶を確認しあって再記憶を繰り返す事により記憶と言うのは作られていくわけです。
逆にあの実験で互いに一切相談させず別室で互いの目撃証言をさせてみたらその結果は互いに自分が見た真実に近い伝達をするでしょう。あの実験はあくまで人間の記憶と事実認識に対する実験であり、真実とは何か?と言う議論とは異なると思います。 現に被験者はその後実験者から事実を伝えられる事により「真実」を認識できるわけで明らかにそこには真実はあるのではないでしょうか?
とはいえ(^^; にょろさんの論理で考えて行くと結局観測すると言う行為は観測される物に対して必ず影響を与えてます。よって正しく観測された結果もまた真実ではない、も真理です(笑)これは量子論の基本的考え方だと思うのですがやはり難しいです(^^;
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