群雄割拠で宣戦布告が出来ないなどと大嘘ですね。当時の中国は国民党が政権を握っており、日本は中国を承認しており、いろいろな問題の当事者としてこの政権と交渉しているじゃないですか。近衛秀麿首相が「以後、蒋介石政権を相手にせず」と見栄を切ったあともいろいろな和平工作は重慶に移った国民党政府としています。
ところで師団単位で兵を動かすのは必ず天皇の許可が必要なのにそれをしなかった。これは日本陸軍の統帥権干犯に当たります。そしてそれを止めなかった天皇にはあえて止めなかった戦争責任が生じます。
歴史修正主義者はよく国民党軍は「清野作戦」を取ったといいますが、どの範囲でどれだけ清野作戦が行われたかは知らないまま、あるいは知らないふりをして、都合のいいときだけ「清野作戦」を持ち出していますね。
南京に迫った日本軍はその「清野」になったはずの中国人の民家に押し入って徴発をしながら、食べていたんですよ。南京城外の写真が松尾一郎氏の否定サイトに掲載されていますから見て下さい。否定派の諸氏が「案外、家が建て込んでいる」とコメントしていましたよ。当然です。上海からの日本軍の追撃は凄まじい速度で行われており、時に中国軍を追い越すほどの速度でしたから、中国軍が清野作戦を行う閑なんかありません。そう見えたのは先行した日本軍部隊のためです。日本軍は略奪した後に、必ず焼き払いましたからね。後から来る部隊の寝るところがなくなるから焼くのを止めろと指示が出たほどです。 南京城外に人がいないなんてのも大嘘。南京に駐屯した日本軍は食糧を求めて城外に出ては略奪、強姦、殺戮を繰り返していました。このことは確かな被害証言、加害証言がたくさんあります。
南京陥落時の人口について正確な資料というものは存在しない。しかし、生存者の証言があり、多数が残っていたのは確実である。また、15万人近い埋葬数やスマイス報告による被害調査によって城外では確認されただけで3万1000人の被害者があった。しかも、これには事件以後南京を離れた家族や事件で全滅した家族のことは反映されていない。 なぜ、混血児が多数生まれなかったのか。答えは簡単。強姦した女性も片端から殺したからですよ。なぜかというと憲兵に見つかると捕まる恐れもなくはなかったので証拠隠滅したわけです。
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