> 日本は中国を承認しており、いろいろな問題の当事者としてこの政権と交渉しているじゃないですか。近衛秀麿首相が「以後、蒋介石政権を相手にせず」と見栄を切ったあともいろいろな和平工作は重慶に移った国民党政府としています。
そう言うことですね(^^; 外務省の国際連盟対応の苦労苦肉苦策をもう少し勉強すべきでしょうね。
南京の人口の推移についてはいわゆる代表的否定論です。 以下、以前に某所へ投稿した文章で申し訳ないが転載します。(と、言うよりここ (http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/2/kbdqrf/index.html) にも書いてあるんだけど(^^;(^^; )
--- 南京の人口を、どうこう言う前に**さんは正に南京大虐殺とはなんなのかを勉強せねばなりません。 南京事件と言うのは南京攻略戦中及び陥落後の混乱期に軍兵軍属民衆が不法に殺害され、暴行を受け、略奪された日本軍の蛮行の事です。
「南京特別市は南京城壁内とその周辺地域からなる南京城区(中国の都市は西欧の都市と同じように周囲に城壁をはりめぐらした中にあるので、城あるいは城市とも言う)と、行政区として南京特別市に属する近郊県城(中国の県は県都にあたる小都市も城壁に囲まれていたので県城という)と村を合わせた近郊区からなる。」 「南京の金陵大学の社会学教授ルイス・S・C・スマイス(三六歳)の当時の調査によれば、<中略>近郊6県全部を合わせれば人口は150万人を超えていたと思われる。」 以上、南京事件(笠原十九司)
○南京攻略戦下の人口(南京城区) 1937年3月末 1,019,667人 200,810戸 (首都警察庁調べ) 38年2月末 200,000人(難民区人口を南京市自治委員会と特務機関が推定) 38年10月末 329,488人 82,195戸 (南京市自治委員会調べ) 39年10月末 552,228人 132,403戸 (南京特別市政府調べ) 41年3月末 619,406人 140,439戸 (南京市政府調べ)
○南京市政府(馬超俊市長)が国民政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡 「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万人と予想される難民の為の食料送付が必要である」 #中国抗日戦争史学会編『南京大虐殺』
○1997年現在の人口(行政区として南京特別市内の人口) 六合県68万人 江浦県30万人 江寧県76万人 りつ水県40万人←漢字が出ない(^^;「りつ」は さんずい に栗 高淳県43万人 句容市60万人 南京城区263万人
○スマイス調査による当時の近郊区と城区の人口 近郊区(除く高淳県六合県半分) 120〜135万人 南京城区 100万人
わかりましたか皆さん。 これが否定論のトリックなのです。
「当時の人口は20万人」と皆さんが聞いたら、南京と言うのは20万人都市だったのか。と思ってしまいませんか。実は南京特別市全体で200万〜250万人、南京城区だけでも100万都市だったのです。
ところが南京攻略戦勃発後市民はどんどん避難をはじめて人口はどんどん減っていきました。南京陥落が12月です、大混乱の中人口がどのくらいあるかなどわかりようがありません、で2月頃になってはじめて難民区の人口を調査し20万人と言う数字が確認できるのです。つまり「つまり当時の人口は20万人」というのはこの数字を差します。
ここをビターと抑えとけば今後否定論者の人口うんぬんのトリックに引っかかることはありません。試験に出るからチェックしておくように(笑)
こういうのもトリックです。 「南京城市と言うのはとても狭い範囲の城壁で囲まれてます、人口も20万人でした。」なんて言われると、なんだか小さな町なんだな〜〜、って思うでしょ? 所が現在の人口を見てください260万人が城区だけに住んでます。考えても見てください、中国の首都だったのですよ。
これもそうです > 虐殺が証明出来なくなったら、地域と期間の範囲を広げる(笑)。
今は南京の人口の話をしているわけです。虐殺の定義は**さんに合わせる、と私ははっきり宣言をしてます。例え「南京城区で6週間」という定義であっても南京攻略戦の全体像から検証しないことには南京に流入した数を掴めません。
いかなる事項もより狭い範囲に限定し読者に見せ、錯誤をあおるわけです。 これから以降の**さんの言動を見ているとそれがよくわかりますのでお楽しみ下さい。
>南京は戦前は、スマイス報告書にもあるように100万人都市でした。 > ですが、南京市民は日本機による爆撃によって避難して行く様子が、ラーベ日記や、マギー牧師の16ミリフィルムにも納められています。
南京渡洋爆撃が行われたのは同年の八月です。 南京陥落が12月です。 確かに市民が避難をはじめたのは爆撃からですが、そこにどんな違いがあるのでしょう?面白いですね否定論者の末路は。
さてと、南京特別市が200万人を超える都市であったことは、ご理解いただけましたでしょうか。南京事件の前哨戦であるところの一連の爆撃は1937年8月15日に始まります。在南京日本大使館員と日本人居留民団員の最後の一団が午前中までに中国国民政府の四十名の憲兵に護衛され外交部の係官二名を随行し南京を離れた後、午後になって始まりました。
その後数10度に渡るこの爆撃は宣戦布告を伴わない無防備都市への爆撃であり中国全土に及び、南京城区だけで民間人392人死亡、破壊家屋七、八百戸に達っする大虐殺でありました。 世界の世論は一斉に日本を非難しました。
さて、この8月15日というのは、2次上海事変交戦開始の二日後です。上海事変とは宣戦布告もせずに中国に本格的に侵略をはじめた事件です。ところがこの時は南京攻略は予定になかったのです。軍中央、政府ともに居留民の保護が目的であり派遣軍には決して戦線を拡大しないように厳命しておりました。
よって南京攻略戦は予想が難しく南京市民もまだ対岸の火事程度の認識です。ここで皆さん考えてください。我が国日本は南京爆撃の何百倍もの壮絶な爆撃をその後経験しております、その時の東京の様子を考えてみてください。何人の人が避難できていたでしょうか?80%もの人たちが避難していたでしょうか?日本の場合は戦争をしていることを確実に都民は認識しております。 が、南京市民は戦争がはじまった、と知らされていないのです。当たり前です、宣戦布告もなにもしてないのですから、爆撃にしろ全く唐突なのです。
確かに空爆を避けるために非難をはじめましたが東京の例を考えてもこの時点で避難した人たちも大勢いましたが押して知るべしでしょう。
南京渡洋爆撃 > 日本海軍が爆撃を行ったのは、主に飛行場や発電所、港湾施設などの軍事施設のみでした。
「爆撃はかならずしも目標に直撃するを要せず、敵の人心に恐怖を惹起せしむるを主願とするをもって、敵の防御砲火を考慮し、投下点を高度二千ないし三千メートル付近に選定し、かつ一航過にて投下を完了するごとく努められたく」 (南京空襲部隊制空隊の戦闘要領に関し希望事項)
>これもウソです。7月7日盧溝橋事件が始まり19日に蒋介石はいわゆる“最後の関頭”演説を行い、日本軍に対する抵抗である戦闘を宣言したのです。
これは抵抗戦、中国への侵略に対し抵抗すると言うことです。つまりもうこれ以上は日本に譲歩しない、と言う「演説」です。日本が侵略するか否かは日本が主体です。侵略しなければ当然戦争になりません。**さんは戦時中のプロバガンダに犯されているようです(^^;
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