ご存知だとは思いますが
「朝日新聞」に掲載された記事の全文を紹介します。これをきっかけに、もっと詳しい情報が出てくるといいのですが・・・。
1984年6月23日夕刊 第14面
(見出し) 南京大虐殺目撃の中山老 「語り部」 記録映画に 中国での講演など収録 (四段、顔丸写真付き)
(リード) 一兵士として目撃した南京大虐殺を語り続けている東京都江戸川区平井の中村重夫さん(七二)の記録映画が近く完成する。この五月、中国の黒竜江大学で講演した模様を中心に、日本での活動などを三十分、16ミリカラー作品にまとめた。戦争の実相を証言する全国反戦行脚を始めてすでに百五十カ所。「死ぬまで語り続ける」という”戦争の語り部”にふさわしく、題名は「中山老の証言」と決まった。
(記事) 昭和十二年十二月、南京が陥落した時、中山さんは陸軍戦車隊の上等兵として、その状況をつぶさに見た。「私は整備兵だった。戦車を修理しながら進む道すがら、累々と重なる死体の中にとても戦闘員になれそうにない女性や老人が多く交じっているのを見て不思議に思った」
忘れられないのは南京入城の二日前。郊外の雨花台で見た光景。白旗を掲げて来る中国人を壕(ごう)の上に座らせては、日本兵が次々と銃剣で刺し殺していく。一突きでは死に切れず苦しんでいる人を軍靴で壕にけ落としては土をかける。年寄りであろうが、子どもであろうが見境なしの殺りくが続いた。
「四時間余りも凝視していたでしょうか。それまでは国のため、天皇のためには仕方がないと考えていたのが、その日から「はああ戦争はいやだ、と思うようになった」
戦後、一貫してこの体験を語り続けてきた。五十七年夏には静岡市の中学教諭森正孝さん製作の8ミリ映画「侵略」と出合った。南京大虐殺や三光作戦を扱ったこの作品に「私が言葉で語ってきたことを映像で証明してくれた」と感動。自費で買い求め、各地で上映会を開きながら戦争の悲惨さを訴える反戦行脚を始めた。都内はもちろん、大阪、名古屋、福岡、広島、宮崎と各地に足をのばし、この二年間で語りかけた人は十三万人にのぼる。
「今さら日本人の恥をさらすな」「戦争で殺すことがなぜ悪い」といういやがらせや脅迫じみた電話も、日に二十本近くかかってきた。自宅に「殺してやる」と乗り込んできた男もいた、という。それにも屈せず続けている。
”戦争の語り部”としての活動が、中国の光明日報に紹介された。今年三月には中国のテレビ局、黒竜江省電視台訪日団が中山さん宅を訪問。これが縁となって五月十一日から二十四日まで二週間の訪中が実現した。
映画「中山老の証言」は、十九日黒竜江大学の日本語専攻学生約百二十人に対する講演を中心に、ハルピン周辺の石井七三一部隊や東北歴史記念館を訪れる中山さんを紹介。日本での活動をスチール写真で挿入していく。製作の日中映像企画によると、現在編集の仕上げ段階で、六月中には完成させたい、としている。
(末尾の問い合わせ先は省略します)
旧松尾さんのサイト(今は誰のサイト?)の記事では、「今さら日本人の恥をさらすな」の段落が「中略」されていますね。
さて、中山老、右派の言うように「ニセ証人」なのか。「場所」を勘違いしただけ、という可能性もありますので、何ともいえないところである気はしますが・・・。
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