▼92/12/06 東京朝刊 26 頁 日追い深まる日本軍介入 朝鮮人慰安婦、国立公文書館の新資料 --- 今回、国立公文書館から発見された旧満州の従軍慰安婦関連文書の特徴は、朝鮮人慰安婦を管理した記述が、これまでで最も古く、日本軍が展開したのに合わせるように事実上の慰安所ができていったことだ。
政府が7月に公表した調査で、朝鮮人慰安婦の登場時期については「昭和11年(1936)末現在、酌婦数131名、うち内地人102名、朝鮮人29名」(外務省警察史、在上海総領事館)が目立つ程度だった。手がかりがほとんどなかった旧満州で、少なくとも3年さかのぼることが確認された。
また、これまでの資料は、ほとんどが「点」の情報で、1年以上の期間に及ぶ「線」で軍の動向が把握できる文書は、前例がない。事実上の慰安所設立の経緯から、診断実施要領の作成、検診結果の掲載、と日を追うごとに軍が介入し、管理していく様子がわかる。関東軍、上海派遣軍の性病感染率にも言及するなど、性病予防に軍が大きな関心を寄せていたことを示している。
また、記述の中では、朝鮮人の比率が日本人に比べて圧倒的に高い。検査の記録によると、日本人と朝鮮人の数が「3対35」「7対37」などとなっている。一方で、地元の遊郭について「有毒者多し」との理由で立ち入り禁止にするなど、性病を恐れて朝鮮人慰安婦の管理を強化していった様子がわかる。
政府は、7月に資料を公表して以降は、表向き沈黙を守ったまま、水面下で韓国政府筋と接触するなど「補償に代わる措置」を模索している。しかし、調査を指示した立場にある総理府が管轄している公文書館から膨大な文書が出たことで、アジア諸国などからの新たな反発を招く可能性もある。
●朝鮮人慰安所の開設時期に関する資料(◆印) 1931年 9月 満州事変 32年 1月 上海事変 ◆32年 上海で海軍慰安所設置=朝鮮人に触れず (政府資料) ◆33年 4月 旧満州で朝鮮人慰安所開設(今回の文書) ◆36年末 上海で朝鮮人酌婦29人 (政府資料) 37年 7月 盧溝橋事件、日中全面戦争へ ◆38年末 上海で朝鮮人酌婦20人 (政府資料) 41年12月 マレー半島上陸、ハワイ真珠湾攻撃 [朝日新聞社]
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