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本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」 ゆう 2005/02/03 20:40:09
├ とりあえず、ネタをひとつ ゆう 2005/02/11 13:10:04
│└ 丸山進氏の回想 渡辺 2005/02/11 22:22:29
├ またも、東中野氏のチョンボか? 熊猫 2005/02/11 19:02:16
│└ Re:またも、東中野氏のチョンボか? 渡辺 2005/02/11 21:59:26
│ ├ なぁ〜んだ、渡辺さんも気が付いていたんだ... 熊猫 2005/02/12 01:33:32 (修正2回)
│ │├ はじめまして。 msq 2005/02/15 00:26:04
│ ││└ はじめまして熊猫です。 熊猫 2005/02/16 04:33:58 (修正1回)
│ ││ └ 熊猫さん、ありがとうございました。 msq 2005/02/16 22:45:35
│ ││ ├ msqさん、皆さんはじめまして ピッポ 2005/02/17 07:58:30
│ ││ └ 中国側のネットを検索しました。 熊猫 2005/02/18 19:25:15
│ ││ └ 熊猫さん、ありがとうございました。羅瑾氏... msq 2005/02/21 21:19:46
│ ││ └ 30枚の元ネタは「南京軍事法廷」かも? 熊猫 2005/03/02 23:25:42
│ │└ 検証サイトのご紹介 ja2047 2005/02/20 16:28:36 (修正2回)
│ │ └ msqさんでしたか ゆう 2005/02/20 21:56:39 (修正1回)
│ │ └ 皆さんのように多数の資料にあたっているわ... msq 2005/02/21 21:20:40
│ └ 写真ネタには興味がなかったのですが、自分... 熊猫 2005/02/14 03:00:16
│ └ Re^2:またも、東中野氏のチョンボか? 渡辺 2005/02/14 22:18:42
├ 小ネタでもう一つ ja2047 2005/02/12 15:58:51 (修正3回)
│└ 私も騙されました(^^; ゆう 2005/02/13 15:09:02
├ 陸戦隊員 ja2047 2005/02/20 16:16:22 (修正2回)
│└ 新掲示板の始動おめでとうございます。 ja2047 2005/03/19 21:50:18 (修正2回)
├ 階級証 ja2047 2005/02/22 06:37:33 (修正3回)
│└ 別の部分のお話 ja2047 2005/02/26 02:06:50
├ 「恥」の写真集の謎 熊猫 2005/02/23 08:59:42 (修正1回)
│├ 紹介していただいた msq 2005/02/23 20:08:16
││├ http://www.js.chinanews.com.cn/2005-02-1... 熊猫 2005/02/24 03:16:13 (修正1回)
│││└ 熊猫さん素晴らしい翻訳有難うございました... ピッポ 2005/02/24 09:06:38
│││ └ いえいえ、私の翻訳はお遊びですから・・・... 熊猫 2005/02/24 22:00:21
││└ http://www.ch815.com/zuanti/nankingnew/d... 熊猫 2005/03/02 03:59:50 (修正1回)
│└ 独立工兵第一聯隊小池部隊(内容少なし) 渡辺 2005/03/13 15:26:31 (修正3回)
├ 初心の質問で恐縮です。 ピッポ 2005/02/23 20:25:57
│├ ようこそ、です。 とほほ 2005/02/23 20:38:11 (修正2回)
││└ ご忠告有難うございます。 ピッポ 2005/02/23 22:04:42
│└ 「16枚の写真帳」と表現するべきでしょうか... 熊猫 2005/02/23 22:10:06
│ └ 熊猫さん有難うございます。 ピッポ 2005/02/23 22:35:07
├ 添付した写真は『日寇暴行実録』(1938年7月... 熊猫 2005/02/25 19:27:06 (修正2回)
├ 棲霞山 熊猫 2005/02/26 03:15:50 (修正3回)
├ 皆さんお気づきでしょうか? 熊猫 2005/02/26 15:46:03
│└ マー ja2047 2005/02/26 19:07:34
├ スレ主から一言 ゆう 2005/02/26 19:54:20 (修正1回)
├ 「在南京被日寇用刺刀殺戮之七歳児童」 熊猫 2005/02/28 23:36:19
│└ 写真19について。 msq 2005/03/01 22:38:32 (修正2回)
│ └ またまた、騙されました(^^) 熊猫 2005/03/06 11:57:42
│ └ >東中野氏は実際のマギーフィルムではなく... ja2047 2005/03/06 19:28:16 (修正1回)
│ └ 「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」〜... ピッポ 2005/03/07 00:51:51 (修正3回)
│ └ >ところで、もともとのソースのマギーフィ... ja2047 2005/03/07 06:45:27
│ └ ja2047さん有難うございます ピッポ 2005/03/07 08:46:25 (修正1回)
│ └ >そのダイジェストはこれですね。 ja2047 2005/03/07 20:31:48 (修正1回)
│ └ >「日本兵の軍紀が乱れていたのは事実であ... ピッポ 2005/03/07 21:14:51 (修正2回)
│ ├ >つまり、蘇州・でも・ ja2047 2005/03/07 22:31:50
│ │└ なるほど、知らぬと騙され知ってると爆笑と... ピッポ 2005/03/07 23:03:11
│ └ ChinaWeeklyReviewについて 渡辺 2005/03/08 00:29:53 (修正4回)
│ ├ CNN記事は今年1月に再燃しましたね。通州事... ピッポ 2005/03/08 09:02:43
│ │└ 今後ともよろしく 渡辺 2005/03/08 23:57:04 (修正1回)
│ │ └ 私もまさかCNN記事が1996年のものとは思いも... ピッポ 2005/03/09 10:48:34 (修正1回)
│ │ └ 「チベット」の写真 渡辺 2005/03/13 00:19:30
│ └ 上海で日本人が経営する写真館が「大阪毎日... 熊猫 2005/03/12 10:54:26 (修正1回)
│ ├ ちょっと的外れかと思いますが、戦前の上海... ピッポ 2005/03/12 21:12:10 (修正1回)
│ └ Re:上海で日本人が経営する写真館 渡辺 2005/03/13 00:04:14 (修正2回)
│ └ Re:何か資料があるのでしょうか。 熊猫 2005/03/13 21:11:27 (修正2回)
└ 東中野修道氏自身によるダイジェスト2点。 ピッポ 2005/03/05 20:46:42 (修正1回)
本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」 ゆう 2005/02/03 20:40:09 ツリーへ
本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ゆう <pmyqfxtjon> 2005/02/03 20:40:09
本屋に平積みになっていましたので、早速買ってきました。 第1章「南京戦とは何だったのか」は、これまでの東中野説のまとめ。第2章以下が、写真分析です。とりあえず第1章を斜め読みしたのですが、いやあ、東中野先生、相変わらずです。 >このように陥落後の人口は「二十万」もしくは「二十五万」と認識されていたのである。・・・かりに殺人の蔓延が目撃され、城内で一万二千人が殺されたと非難するのであれば、その非難を強める意味でも、誰かが「一万人以上が虐殺され。人口は十九万以下になった」と書いて然るべきであった。ところが誰ひとりとして人口減とは記録していない。(P54) 「二十万」自体、幅を持った「見当」の数字なのですから、一万の虐殺があったとしても、「人口は十九万以下になった」なんて書く人、いるわけないじゃない。先生、「集会は200名の参加を得て成功した」という文章を見たら、「私が行かなかったら199名だ、ウン」なんて大真面目に言いそうな気かする(^^) 「反日工作撹乱隊」説は復活しているわ、「捕虜の4条件」を真面目に論じているわ、安全区敗残兵狩りでは「反抗的でない市民が処刑された可能性はかぎりなく低い」なんて言い切ってしまうわ、王固盤の雑談は「談話を発表する」なんてものものしいことになってしまうわ。先生は、絶対にこの「思考錯誤」板を見ていないぞ。 映像資料の検討は、タラリさんなり渡辺さんなりja2047さんなりにお任せするとして、ただまあ、いくら「写真の問題」を暴いたところでそれは別に「南京虐殺」を否定する材料にならないのは、あちこちで言われている通り。 実は私の関心は、「盧溝橋事件」の方にあったりします。この分野、結構真面目な議論ばかりで、私がネタにできるようなトンデモ論にはなかなかお目にかかれないんですよね。右派の中村粲氏にしても岡野篤夫氏にしても、ストライクゾーンぎりぎりという気はしますが、十分「研究」のレベルに達している。ところが、この東中野氏は・・・。 >北京郊外の蘆溝橋で、日本軍はいつものように実弾ではなく空砲を使って演習していた。ところが、昭和十二年七月七日二十二時四十分、日本軍が発砲される。秦郁彦『盧溝橋事件の研究』でも明らかなように、これは中国第二十九軍が放った一撃であった。 >一発のみで終わっていたのであれば偶発的なものだったとも言えるが、さらに第二撃、第三撃、第四撃とつづいた。そうなると偶発的どころか意図的な射撃、すなわち挑発と言わざるを得ないであろう。そう判断した日本軍は、結局、第一撃から七時間が経過した七月八日の視界明瞭な午前五時半、第四撃を受けたのち、ようやく反撃に出たのである。(P27) さて、どこがおかしいか。ちょっと御存知の方でしたら一目瞭然でしょうが、ちょうどコンテンツ作成中ですので、「答え」はそちらに書いておくことにしましょう(^^) *「問答有用」と、マルチポストになってしまいました。 あちらにレスがついてもうっとおしいので、削除しておくことにしましょうか。
├ とりあえず、ネタをひとつ ゆう 2005/02/11 13:10:04 ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ゆう <pmyqfxtjon> 2005/02/11 13:10:04
とりあえず、ネタをひとつ 東中野氏のこの本は、最初の2ページほどが前置き的部分。そこを通過した最初の文章に、早くもおかしな記述が見られます。 **************************** そうするうちに疑問が出てきた。南京で戦死体の埋葬を指揮した南京特務機関の丸山進氏にお会いしてみると、氏は南京陥落(昭和十二年十二月十三日)から三カ月後の昭和十三(一九三八)年三月十五日をめどに埋葬を完了させたので、ラーベの言うような三万体の死体はそのころはもうなかったはずだと語られた。(P10) **************************** ここで私も引っかかりました。埋葬完了は3月15日とのことですが、ラーベは2月中にはもう南京を離れていたはずです。 そこで、「ラーベ日記」を確認してみると・・・。 **************************** 二月十五日 委員会の報告には公開できないものがいくつかあるのだが、いちばんショックを受けたのは、紅卍字会が埋葬していない死体があと三万もあるということだ。いままで毎日二百人を埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。この数は、下関に殺到したものの、船がなかったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したということを物語っている。 (文庫版 P290〜P291。今手元に英語版がありませんので、翻訳が正確であるかどうか、定かではありません) **************************** やはり、「二月十五日」の話でした。丸山氏は「三月十五日」の時点で「三万体の死体はそのころはもうなかったはずだ」と言っているようですので、これはラーベの記述が間違いであると決め付ける根拠にはなりません。 「三万」という数自体はおそらくは目分量によるもので正確ではないでしょうが、「紅卍字会」の埋葬記録を見ても、「二月十五日」以降に下関方面で相当数の死体を収容しています。(二月二十一日5000体、三月六日1772体、など) これはおそらく、丸山氏が「ラーベ日記」を十分に読まなかったための単純な勘違いでしょう。しかし、これをそのまま紹介してしまった東中野氏の罪は、重いと言わざるをえません。
│└ 丸山進氏の回想 渡辺 2005/02/11 22:22:29 ツリーへ
Re: とりあえず、ネタをひとつ
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渡辺 <oogeblxyju> 2005/02/11 22:22:29
丸山進氏の回想 は、東中野『南京「虐殺」研究の最前線 平成十四年版』に掲載されているの、ご存知ですよね。 諸事情で、短い返信になり、失礼 m(^_^)m
├ またも、東中野氏のチョンボか? 熊猫 2005/02/11 19:02:16 ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/11 19:02:16
またも、東中野氏のチョンボか? 『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)P78より 【引用開始】------ しかし「歴史写真」昭和十三(一九三八)年十月号(一九頁)や、「支那事変聖戦史」昭和十三年一二月号(八一頁)を見ると、これは広東の軍事拠点にたいする空爆跡の写真であった(写真B)。日本軍の広東作戦決定は昭和十三年六月十五日であり、広東占領は十月二十一日である。なるほど写真の服装は夏服であり、帽子姿も見える。南京陥落時の冬の写真では決してなかったのである。 【引用終了】------ ■『日寇暴行実録』(国民政府軍事委員会政治部編)が出版されたのは、1938年7月であることは、東中野氏も認識しています。 >「歴史写真」昭和十三(一九三八)年十月号(一九頁)や、「支那事変聖戦史」昭和十三年一二月号(八一頁)を見ると(略) ■どちらが先に出版されたかは、論ずるまでもないことです。そもそも、広東陥落は1938年10月21日以降であり、日本軍の広東爆撃写真を、1938年7月以前に日本側が撮影するのは不可能と言ってもよいでしょう。外国人か中国人による撮影と判断するのが妥当だと思います。6月15日以降の日本側の撮影した広東爆撃写真を入手して、7月の出版に間に合わせたと考えるのも不自然です。 広東ではないと考えるのが普通ではないでしょうか。 >なるほど写真の服装は夏服であり、帽子姿も見える。 ■日本軍が南京爆撃を開始したのは、1937年8月15日からであり「夏服」や「帽子」を不自然に思う東中野氏の思考回路の方が不自然だと思うのは私だけでしょうか。 南京には「夏」がないとでも言いたいのか、「南京市民は夏でも冬服を着ている」とでも言いたいのか、意味不明の論調です。 「冬の写真ではない」と言うことで、「南京の写真ではない」と誤魔化そうとしているとしか思えません。
│└ Re:またも、東中野氏のチョンボか? 渡辺 2005/02/11 21:59:26 ツリーへ
│ ├ なぁ〜んだ、渡辺さんも気が付いていたんだ... 熊猫 2005/02/12 01:33:32 (修正2回) ツリーへ
Re: Re:またも、東中野氏のチョンボか?
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/12 01:33:32 ** この記事は2回修正されてます
なぁ〜んだ、渡辺さんも気が付いていたんだ(^^) そうです、「絶対に南京か?」と聞かれると私も困りますが、広東ではないと考えるのが普通でしょう。 【撮影時期】昭和13年10月以前というのは誤魔化しですね。最低でも、昭和13年7月以前と書くべきでしょう。昭和12年の夏と考えるのが妥当かと......。 10月21日に攻落した広東の写真を『歴史写真』(10月1日)に掲載するのは不自然です。個人的にはティンパーリの本からの引用ではないかと推測しているのですが、飛躍しすぎと言うことで...(^^) ちなみに、東中野本には『恥』の写真集の16枚も紹介されています。
│ │├ はじめまして。 msq 2005/02/15 00:26:04 ツリーへ
Re: なぁ〜んだ、渡辺さんも気が付いていたんだ...
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msq <locldvewih> 2005/02/15 00:26:04
はじめまして。 『恥』の写真帳について、『南京大虐殺の現場へ』を読むと、東中野氏のオリジナルの見解ではないということが分かりました。東中野氏の提示している情報が信用できないのですが、東中野氏は映画画面に写された印画紙サイズからフィルムのフォーマットを推理するという雑な方法で5本のフィルムが必要としています。映画に撮影時の拡大率が不明。常識的に考えて2本のフィルムでも可能と思います。ネガの持込なら「2本分」という量の表現はできますが、オリジナルが2本とは限りません。太陽光での焼付けを否定するために日光写真を引き合いに出すなど、東中野氏の写真の技術についての知識はかなり間違っています。『南京大虐殺の現場へ』と『中国抗日戦争図誌(中)』は調べてみたのですが、預かったフィルムの本数とか、焼付け枚数が30枚とか、電気事情、フィルム銘柄などは、映画『南京 1937』の中にあるのでしょうか。
│ ││└ はじめまして熊猫です。 熊猫 2005/02/16 04:33:58 (修正1回) ツリーへ
Re: はじめまして。
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/16 04:33:58 ** この記事は1回修正されてます
はじめまして熊猫です。 東中野本P131の「写真館の店員」A氏は『南京大屠殺与国際大救援図集』(江蘇古籍出版社)P78では、羅瑾さんとなっていますが、『金陵血証』(少年児童出版社)と『南京大屠殺史文集(上)』(新華出版社)では、羅謹さんとなっています。はて?どちらが正しいんでしょうね(^^)。『金陵血証』と『南京大屠殺史文集(上)』の記事の内容は全く同じでしたので.......。 『金陵血証』P29より 【引用開始】-------- 羅謹説:“1937年12月,日軍攻破南京城那会児,我在南京華東照相館当学徒工。有一天、一個日軍少尉,拿来両個‘櫻花牌’胶巻,要我們冲洗。 * * * * * * * * * * * * (熊猫訳)ある日1人の日本軍将校が、桜のマークのフィルムを2本持ってきて、私たちに現像させた。 【引用終了】-------- 映画『南京 1937』は見ていませんが、南京華東写真館の羅さんの証言では預かったフィルムは2本で「サクラフィルム」となっています。 それにしても、東中野氏は直接本人に会って事実確認をするのは嫌いな性格なんでしょうかね(^^)。謎の人物ならいざ知らず、逃げも隠れもしない相手がいるのに聞かないとは、もったいない。 南京事件には興味がないのかも........。
│ ││ └ 熊猫さん、ありがとうございました。 msq 2005/02/16 22:45:35 ツリーへ
Re: はじめまして熊猫です。
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msq <locldvewih> 2005/02/16 22:45:35
熊猫さん、ありがとうございました。 呉さんからの伝聞と思うのですが『南京大虐殺の現場へ』では紙焼きだけ依頼されたと、書かれています。『中国抗日戦争図誌(中)』では、呉さんや羅さんが、残虐行為の記録となる写真を命がけで、焼き増ししたり戦後まで隠していたことを評価しているようですね。 『南京大虐殺の現場へ』『中国抗日戦争図誌(中)』では「羅瑾」さんとなっていました。 東中野氏の経歴や行状を見ると、とてもインタビューさせてもらえないと思いますよ。 ネットで検索すると、この本をまに受けている人が多いので寒気を感じます。 差別的な表現の発言を管理者の方が削除されているようですが、これは良いことだと思います。
│ ││ ├ msqさん、皆さんはじめまして ピッポ 2005/02/17 07:58:30 ツリーへ
│ ││ └ 中国側のネットを検索しました。 熊猫 2005/02/18 19:25:15 ツリーへ
│ ││ └ 熊猫さん、ありがとうございました。羅瑾氏... msq 2005/02/21 21:19:46 ツリーへ
│ ││ └ 30枚の元ネタは「南京軍事法廷」かも? 熊猫 2005/03/02 23:25:42 ツリーへ
│ │└ 検証サイトのご紹介 ja2047 2005/02/20 16:28:36 (修正2回) ツリーへ
│ │ └ msqさんでしたか ゆう 2005/02/20 21:56:39 (修正1回) ツリーへ
Re: 検証サイトのご紹介
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ゆう <pmyqfxtjon> 2005/02/20 21:56:39 ** この記事は1回修正されてます
msqさんでしたか これは面白い。お勧めサイトです。 >おそらくこれらのサイトの方々が徹底的に批判するはずです。 ってありますけど(^^; 「写真検証」以外は私の担当分野なんでしょうけれど(一部、渡辺さん)、あまりのトンデモなさに、とてもいちいち全部を「批判」する気には・・・。それだけで、HPがひとつできてしまいます。 「1937年南京攻略戦」の時もそうでしたが、まともに読んでネタにするのは「思考錯誤」板の我々ばかり、今のところネットウヨの連中は「紹介新聞記事」しか見ない、という状況のようです。 まあ、万一、ネットウヨの皆さんが、この本をもとに議論するようになったら、「東中野氏の徹底検証」第二部を、考えてみることにしましょう。
│ │ └ 皆さんのように多数の資料にあたっているわ... msq 2005/02/21 21:20:40 ツリーへ
Re: msqさんでしたか
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msq <locldvewih> 2005/02/21 21:20:40
皆さんのように多数の資料にあたっているわけではないのでお恥ずかしい限りです。写真帳に関しては東中野氏がこの本の中で提示している条件でも、必ずしも彼の結論とは異なる可能性があるということを示してみたのです。単純な算術的な問題です。専門家ではないですが、素人でも分かるほどのでたらめです。確かに、多くは産経やアマゾンの伊藤氏のレビューの内容程度のものを信じているのでしょう。まず疑念を抱かせる簡単な説明の後、写真や映像を使ったちゃちなトリックを見せるという構造です。断りも無く思わず、「これらのサイトの方々が徹底的に批判するはずです」と書いてしまいました。
│ └ 写真ネタには興味がなかったのですが、自分... 熊猫 2005/02/14 03:00:16 ツリーへ
│ └ Re^2:またも、東中野氏のチョンボか? 渡辺 2005/02/14 22:18:42 ツリーへ
├ 小ネタでもう一つ ja2047 2005/02/12 15:58:51 (修正3回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/02/12 15:58:51 panay.jpg ** この記事は3回修正されてます
小ネタでもう一つ P82の「パナイ号」の写真は実際のパナイ号ではないと書いてありますが、やはりパナイ号ではないかと思います。(上写真は1928年のパナイ号) この手の小型艦艇は艦橋回りや後甲板にキャンバスの覆いや風よけが設置できるようになってるので、 これがあるとないとで、形が違って見えるのです。 また、マストに取り付けられたアンテナだの信号灯だのは、10年も就役してれば、何度か小改修を受けていても不思議はありません。 で、その次のページを読んでいくとこんなことが書いてある 「たとえパネー号とともに取材機具や資料が沈んだとしても、外国人特派員が南京陥落前の虐殺を本当に自分の目で目撃していたのならば、その衝撃は脳裏に焼き付いていて、上海に着いたあと記憶にあるがままを記事にしてよかったはずだ。南京に残ったダーディン記者も記事にしていたはずだ。ところがそうした特派員はいなかった。記事にするような大虐殺の事実がなかったからである。」 ・・・陥落”前の”と、さりげなく書いてあることにこだわって読む人は、ほとんどいないと思います (−−;
│└ 私も騙されました(^^; ゆう 2005/02/13 15:09:02 ツリーへ
Re: 小ネタでもう一つ
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ゆう <pmyqfxtjon> 2005/02/13 15:09:02
私も騙されました(^^; 笠原氏の記述の趣旨は、「パナイ号の沈没によって取材に必要な機器が失われたため、外国人記者たちはやむえず南京を離れた。パナイ号の沈没がなければ、もっと長期間滞在して、より詳しく「南京事件」の実態を報道できたはずである」ということですね。 これがなぜ「記事にするような大虐殺の事実がなかったからである」ということになってしまうのか。この論理がちんぷんかんぷんだったのですが、いやあ、よく読むと、この「大虐殺」は日本軍占領後の「南京虐殺」のことではなくて、その「前の」上海−南京戦における「虐殺」のことなんですね。 東中野氏の文章表現、なかなか難解です。 東中野氏は、P65で、おなじみの「チャイナプレス」記事を引用して、「反日撹乱工作隊」説を復活させてしまいました。その「引用」に続けて、こんな文章が見られます。 >安全地帯に潜伏していた将校が安全地帯の中国兵に撹乱工作を命じていたのだった。 >これと同じような記事は、小林太巌氏が『日本「南京」学界会報』第十二号(平成十六年三月)に詳論したように、『大阪朝日新聞』(昭和十三年二月二十七日付)が「皇軍の名を騙り掠奪暴行 不逞支那人一味捕る」と題して、実名入りで報じている。 「大阪朝日新聞」記事が、「反日撹乱工作隊」説の裏付けになっているように読めますね。ところが実際には、この記事は、「中国兵」ならぬ「洋服仕立」屋さんたちが、「皇軍入城後日本人を装ひわが通訳(注 「日本兵」ではない)の腕章を偽造してこれをつけ」て強盗を働いていた、というものに過ぎませんでした。http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/ivhqrf/urwqrf.html#urwqrf ちなみに、私のこの記事の紹介は、一昨年の12月27日のことですから、小林氏の紹介よりも早い(^^) この時の、私のコメント。 >南京における「種々の暴行」を、ひとつの強盗団の仕業にしてしまおうという、苦心の発表です。そもそも「通訳の腕章」しかつけていないわけですから、「将兵」の「数々の暴行」を彼らのせいにしてしまうのは、無理があります。 >「一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れた」という部分が、問わず語りで、なかなか笑えます。つまり、「日本人と信じきつてゐた」ら、中国人たちは日本側に「通報」することはしなかったようです。 これを「反日撹乱工作隊」説の裏付けに使うのは、いくら何でも無理でしょう。
├ 陸戦隊員 ja2047 2005/02/20 16:16:22 (修正2回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/02/20 16:16:22 sailors.jpg ** この記事は2回修正されてます
陸戦隊員 「南京事件 証拠写真を検証する」のP88で、以前ここでも話題になった「海軍兵士による斬首写真」が取り上げられています。 趣旨は「海軍陸戦隊の制服は紺の襟に白線一本であり、襟全体が白いのは明らかに服が違う」ということなのですがhttp://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/kaigunheiKW.jpg この旧日本海軍の水兵服の襟(ジョンベラと通称された)、実は上着の一部ではなく、下に着る「中着」と呼ばれる衣服の一部なのです。 だからいわゆる水兵服とは別体で素材も違っており、通常は第一種軍装の水兵服の紺青色よりやや明るい青色をしています。 というわけで、写真によっては、かなり明るい色に写りますので、トーンの飛んだ写真でほとんど白に写っていたとしても、 日本海軍の制服ではないという証拠にはなりません。 上の写真は、1931年の天津暴動の際、租界を警備する海軍陸戦隊員の写真ですが、襟の色はかなり明るいことが見て取れます。 (「1億人の昭和史 日本の戦史 2満州事変」 毎日新聞社 P62下段の写真の右半分) なお、KEN誌所載の「兵士」の写真ですが、紺色の略帽を被っています。 昭和12年ないし13年の段階では、この紺の略帽を支給されているのは、艦内勤務者では士官のみ、下士官、兵では陸戦隊配備に付くもののみです。 写真の兵士は鉄帽も被っておらず、正規の陸戦隊装備である肩バンドや脚絆を欠いているようですので、正規の陸戦を命じられて上陸したものではありません。 これが実際に日本兵であるとすれば、阿羅氏の「南京事件 日本人48人の証言」に登場するエピソードのように、斬首を目的に上陸したものという可能性があります。 あるいは、これは「兵」ではなく、士官が軍服が汚れるのを嫌って水兵用の服を着用したものである、という推測も可能なわけですが・・・。
│└ 新掲示板の始動おめでとうございます。 ja2047 2005/03/19 21:50:18 (修正2回) ツリーへ
Re: 陸戦隊員
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/03/19 21:50:18 elpis2-3.jpg ** この記事は2回修正されてます
新掲示板の始動おめでとうございます。 なんですけども、ここまでとの繋がりがあるので、旧掲示板への投稿とさせていただきます。 写真の真贋論議が南京事件研究にとって枝葉に過ぎないと思いつつ、まんまと乗ってしまうのは、本人としましても内心じくじくとしたものがあるのですが (^^; 東中野本の「検証」のようなレベルのものがまかり通るというのも何とも困った話ですので、杜撰な検証は誰かが指摘しておかなくてはならないと思ってるのです。 というわけで、有名な写真だけは、「検証」なるものの信頼度について考察しておきたいと思います。 ま、中国側の写真集には変な写真がいっぱい紛れ込んでいるように思えるのも事実ではあるのですが。 さて、「南京事件 証拠写真を検証する」のP168に、有名な「鉄帽を被り、右手に日本刀、左手に首を提げてポーズを取る日本軍人」の写真が取り上げられています。この写真ですね。http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/soushu.htm http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/zanshu_gake.jpg これに対して、同書は次のようにコメントしています。 「この写真に写っている男性は、軍装、鉄兜、長靴の形状、ネッカチーフなど日本軍兵士にしては不可解な様相である。 まず襟が日本軍の詰め襟ではない。左腰に刀の鞘がない。右腰のベルトに固定されているはずの水筒がベルトの上に位置している。」 服装におかしなところがあるかどうか、ひとつづつ検討していきましょう。 1.軍衣:昭5式軍衣以外のものには見えません。 「襟が日本軍の詰め襟ではない。」と書いてありますが、それは乱暴な断定です。 詰め襟以外のものであるということが明瞭に写っているわけではありません。(上の引用写真の左半分を参照下さい) 要は襟の形は明瞭に写っていないというだけのことです。 私には引用写真の右上のものと比較しても、詰め襟であると読むのが自然に見えます。 2.鉄兜:旧陸軍の九十式鉄帽以外のものには見えません。 3.長靴:別におかしな形には見えません 本来、士官の長靴は自前の別あつらえですから、一人ずつ形が違っても不思議はないのですが、それにしても変わった様子はありません。左足の長靴の前面に黒い縦筋があるように見えるのは、日本刀の刀身の影でしょう。 4.ネッカチーフ:これは鉄帽の紐を蝶結びにしてあるのです。 特に将校に多いのですが、鉄帽の紐を戦国武将の兜の飾り緒のように大きく蝶結びにするのは、一種の戦場のおしゃれであって、珍しいものではありません。(右上写真は「張鼓峰事件」時の歩兵第75連隊第2大隊長木村肇少佐) 5.刀の鞘:この写真では明瞭でない。腰には付けていないようにも見える。 6.水筒:日本軍の将校用水筒に見えます。(右下写真) 水筒は肩紐で、左肩から右腰に下げて着用します。そのままだと行軍中や戦闘時に動いて邪魔になるので、「胴締め」という腰ベルトを装具の上から巻いて、動きを抑えます。 「ベルトに固定されているはずの水筒」 というのは誤りです。 「ベルトで固定されている」と表現する分には嘘ではありませんが。 ともあれ、この水筒の装備の仕方は、戦闘時のそれとは思えません。 7.その他:左肩から右腰へのベルトがもう一本見えますが、これは拳銃嚢の肩紐です。右肩から左腰へのベルトは、図嚢と呼ばれる書類カバンのものです。 で、以上から結論は次の通りです。 ・軍装のほとんどは、日本軍の軍装品として不審な点はない。 ・これは戦闘状態の日本軍人ではない。 海軍兵の写真も同じなのですが、確実に言えることは、 「これは、戦闘状態の日本軍人の写真ではない、 戦闘の写真のように装っているだけである」 ということです。 いずれも、「記念写真」のようにして撮られたのではないか、というのが私の推定です。
├ 階級証 ja2047 2005/02/22 06:37:33 (修正3回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/02/22 06:37:33 epolette.jpg ** この記事は3回修正されてます
階級証 東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」 から、もう一つ。 P161に、有名な「銃剣刺突訓練」の写真が出てきますが、これについて 「軍服に日本軍の縦長の階級証が付いていないからニセモノ」 という推測がなされています。 わざわざ拡大写真まで付けて、これを証明している、という形を取っているのですが、この写真の肩口のところには明らかに太い暗色の線が認められます。 普通に写真を読めば、これは「階級証が写っている」と見るべきでしょう。 上に引用した写真はLIFE 1937年10月11日号に掲載された写真と、日本側撮影の写真を比較したものですが、 左側は、1938年、5月23日 徐州入城時の写真です、階級証が明瞭に写っているのと、ついでに隣に昭5式軍衣を開襟で着用して「タオル巻」した実例が出ているので引用しました。 ご覧の通り、左写真の明らかに階級証であるものと、右写真の肩口の暗色の線が、別のものであると断定するのは困難であると思います。 今回の東中野先生の本の出版目的の一つに「キャプション一つで、写真からあらぬ妄想を引き出すという行為について徹底的に批判する」ということがあると思うのですが、自分でそれをやっててはいけませんね。 なお、この”写真99”自体の真贋については私は判断を保留します。 別の部分に着目して、ニセモノではないかと疑っていますので。
│└ 別の部分のお話 ja2047 2005/02/26 02:06:50 ツリーへ
Re: 階級証
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/02/26 02:06:50 hikaku.jpg
別の部分のお話 さて、前投稿で 「なお、この”写真99”自体の真贋については私は判断を保留します。 別の部分に着目して、ニセモノではないかと疑っていますので。」 と、書いたのですが、この「別の部分」の検討が終わりました。 私が不審を感じていたのは、「銃剣刺突」を行う兵士の持つ銃が、日本軍の一般的な装備であった「三八式歩兵銃」に見えないということだったのです。 全体に短く、特に銃身の下にある木製の銃床に刻まれた左手グリップ用の太い溝が、三八式歩兵銃の半分ぐらいの長さしかない。 これは日本軍の銃ではなく、1924年式のモーゼル短小銃か、あるいはモーゼル98小銃ではないか、と疑ったわけです。 もちろん、日本軍も中国軍の兵器をたくさん鹵獲して使用してますので、たまたま持っているから、使用しているから、だけでは、そこに写っているのが日本兵ではないという確証にはならないのですが、 三笠宮崇仁親王の回想に見られるように、当時銃剣刺突の訓練が新兵の精神的鍛錬のために行われたことを考えると、鹵獲品の小銃で銃剣刺突訓練はやらないのじゃあなかろうかという気がするわけです。 で、当時この手の写真に登場する機会があると思われる、形状の似た小銃と、問題の写真の銃のプロポーションを比較したのが、上の図です。(数字は銃の全長) プロポーションから見て、この写真の銃は、どうやら「三八式騎兵銃」であるようです。 すると、写真の兵士が日本軍であるとすれば、この兵士は歩兵ではなく、「輜重兵」または「砲兵」と言ったものである可能性が高くなってきます。 また暇を見て、では輜重兵なり砲兵であることを前提に検証した場合に、この写真に不審なところがないか、調べておこうと思います。 しかし、 この写真が本物だったところで、ニセモノだったところで、「南京事件」、「南京大虐殺」のあるなしに関して、決定的な証拠にはならないし、 ましてや「犠牲者数がいかほどであったか」について、何も教えてくれるわけじゃあないのですけどね (−−;
├ 「恥」の写真集の謎 熊猫 2005/02/23 08:59:42 (修正1回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/23 08:59:42 ** この記事は1回修正されてます
「恥」の写真集の謎 東中野氏はこの写真長で最も重要な写真(私はそう思う)をスルーしています。 --------- 十二月十三日午前 小池部隊 林隊占領 客車八輪 汽関車三輪 ---------- 南京の駅の掲示物でしょうか?「輪」は「輌」の誤字だと思います。 独立工兵第一連隊?この写真を撮影した日本兵は同部隊(独立工兵第一連隊?)の兵士の可能性が高いのではないでしょうか。 フィルムの枚数は、12枚+16枚つまり28枚ではなかったのかと思います。 少なくとも、12月13日頃の南京の写真である可能性が高いと、判断するのが普通の解釈ではないでしょうか。
│├ 紹介していただいた msq 2005/02/23 20:08:16 ツリーへ
││├ http://www.js.chinanews.com.cn/2005-02-1... 熊猫 2005/02/24 03:16:13 (修正1回) ツリーへ
Re: 紹介していただいた
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/24 03:16:13 ** この記事は1回修正されてます
http://www.js.chinanews.com.cn/2005-02-17/1/10437.html なるほど、有難うございます。 【熊猫訳】 翻訳開始-------- 『屠城血証』映画の主人公のモデルの羅瑾が逝去 出所:江蘇ニュースネット 2005年02月17日 中新社南京2月16日電 (丁梅 劉湘雲) 本日、中国を侵略した日本軍による南京大虐殺の16枚の証拠写真を命がけで保存した羅瑾老人の家族が、侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館を訪れ、生前の老人の望み通りに、その生前に使用していた撮影器材と本人自筆の著書の回想録などの文献資料を、この館に寄贈した。 羅瑾老人は2月5日に病気のため上海第一人民病院で不幸にも逝去しました、享年82歳。昨日、彼の骨灰はその親友の護送のもと、南京にある普覚寺の共同墓地に亡き妻の張鳳と夫婦合葬した。 当時の羅瑾老人は自分の危険を顧みず、日本軍による犯罪の証拠を命がけで保存する偉大な行為は、映画『屠城血証』に撮影され、更にその後テレビドキュメンタリー『歴史的見証』に撮影されて、その賞賛は広く伝わった。 1937年12月、日本軍の南京占領時、羅瑾は南京にある「華東写真館」で見習いをしていた。1938年1月のある日、1人の日本軍少尉が来て、2本の一二〇「桜」フィルムを現像させた。 羅瑾は写真を洗ってさらした時に驚きのあまり呆然とした:その中の数枚は日本軍が中国人を切り殺す現場写真である!彼は胸のうちは怒りに振るえ数枚をこっそりと多く印刷した。それ以後、彼はことのほか注意して、日本軍から届いたフィルムの中からこのような写真を30枚以上多く印刷し、自作のアルバムの中にまとめた。 心の怒りを表すため、羅瑾はアルバムの表紙の上に“血を垂らしたハート”と、右下の角に一振りの日本刀、“恥”と書いた。その後、極めて慎重に部屋の梁の上に隠した。 1940年、羅瑾は南京の毘庵寺の通信集訓隊にいた、日本兵の捜査から逃れるため、彼は便所の壁のレンガに穴を開けて、アルバムを押し込み、泥で塗り固めた。数日後に気がつく突然アルバムがなくなるなんてどうして予測できようか。予想外の出来事を防ぐため、羅瑾は南京から逃げて、福建の大田市で隠れて暮らした。 50年後、羅瑾はやっと知った、アルバムは別の1人の学生である呉旋の手に渡っていたのである。呉旋はそのれを菩薩の台の下に隠し、後に抗日戦争に勝利するまで転々と多くの所で収蔵していた。南京軍事法廷が日本の戦犯を裁く時に、“京字第1号”の証拠として法廷に提出した。 所在を説明すると、このアルバムは南京中国第二歴史档案館に現存している。 翻訳終了-------- なるべく直訳に近いかたちで翻訳していますので少々読みにくいかも知れませんね。 「恥」の写真張は2本のサクラフィルムからではなく、複数のフィルムから現像されたものであり、東中野氏の早とちりですね。...と言う私も早とちりしていました(^^; 私も「恥」ということで・・・・
│││└ 熊猫さん素晴らしい翻訳有難うございました... ピッポ 2005/02/24 09:06:38 ツリーへ
│││ └ いえいえ、私の翻訳はお遊びですから・・・... 熊猫 2005/02/24 22:00:21 ツリーへ
││└ http://www.ch815.com/zuanti/nankingnew/d... 熊猫 2005/03/02 03:59:50 (修正1回) ツリーへ
Re: 紹介していただいた
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/03/02 03:59:50 ** この記事は1回修正されてます
http://www.ch815.com/zuanti/nankingnew/dashiji/shouleixituan/jianzhengren/j14.htm 呉さんの証言です。 【翻訳開始】------ 1940年に私は汪兆銘南京政府の警備所の通信隊の研修生として入りました、住所は南京市毘霊寺の大殿内にありました。 一研修生であった羅瑾は、もとは金陵写真館の見習いで、ある日、写真館にやって来た日本軍の南京占領後の城内の虐殺現場の写真を現像しプリントした、羅はひとまとまり多く現像し、犯罪の証拠として製本して残した。 羅は写真帳を持ったまま入隊した。 当時の訓練班の内部では日本と親密な友好関係が強調されて、一般に反友好的な物を収集すると、検査で見つかるとすぐ処罰され死刑になった。 私はある日の早朝に便所に行き、便所の外の草むらの中から一冊の小冊子を見つけた、拾い上げた後この冊子の表紙には人心と、さらに地面の上にぽたぽたと垂れる血の跡と、血痕の付着した銃剣が描かれていた。 写真帳の中はすべて日本軍の暴行写真で、すぐに懐中に収めました、日本軍の捜査を案じて、夜間勤務の時に写真帳を大仏の台座の下に隠したのです。 それ後なんとかして毘霊寺から持ち出し、ずっと身辺に所持して勝利の日を待ち受けたのである。 1945年の日本の戦犯の裁判の時に、私がこの写真帳を南京市参議会に引渡したので、日本の戦犯裁判の有力な動かぬ証拠となった。 【翻訳終了】------ 読みにくいかも解りませんが、なるべく原文に忠実に翻訳をしています。また、誤記などもそのまま訂正することなく翻訳しました。 @[汪偽]とは、中国では「汪兆銘南京政府」の事をさす言葉なので「汪の傀儡」とは訳しませんでした。 A[通信隊]は固有名詞なので、通信学校と訳していません。 B[毘霊寺]は「毘庵寺」の誤記です。また毘庵寺か毘廬寺にするか悩みましたが、ここは微妙ですね(^^)。 C[金陵写真館]は「華東写真館」が正しいのではないかと思われます。ちなみに、東中野氏は電気のないような記述をしていますが、写真館の復電がいつであったかまでは解りませんが、ドイツ外交官の資料では1月7日には南京の電気は復旧していますので電気の使用は可能であり、全てが太陽光線を使ったと断定するのは不自然です。騙されないように注意しましょう(^^)。
│└ 独立工兵第一聯隊小池部隊(内容少なし) 渡辺 2005/03/13 15:26:31 (修正3回) ツリーへ
Re: 「恥」の写真集の謎
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渡辺 <oogeblxyju> 2005/03/13 15:26:31 ** この記事は3回修正されてます
独立工兵第一聯隊 小池部隊(内容少なし) 熊猫さん:> >「恥」の写真集の謎 東中野氏はこの写真長で最も重要な写真(私はそう思う)をスルーしています。 >--------- >十二月十三日午前 >小池部隊 >林隊占領 >客車八輪 >汽関車三輪 >---------- 東中野本でいうと、p.131の写真78のことですね。 確かに、上海派遣軍戦闘序列には、独立工兵第一聯隊(第一中隊欠)とあります。[『南京戦史資料集I』p.692] また、上海派遣軍職員表(一三、一、一五派遣軍調製)には、上海派遣軍通信隊のところに「獨立工兵第一聯隊長 小池愛雄」とあります。[p.711] 今のところ、独立工兵第一聯隊について、この外に手がかりはありませんが、調べてみたいと思います。 しかし、『南京事件「証拠写真」を検証する』は、『〜の徹底検証』同様、理解しようとすると疲れる本ですね。 同じような内容でも、松尾一郎氏なら数行で終わるところが、長々と、あでもないこうでもない、こうにちがいない、ああにちがいないと、頭が混乱してきます。皆様、ご苦労様です(^^;
├ 初心の質問で恐縮です。 ピッポ 2005/02/23 20:25:57 ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ピッポ <vrfylenujm> 2005/02/23 20:25:57
初心の質問で恐縮です。 皆さんが話題にしている 「恥」の写真集とは、何を指すのでしょうか。 WEBサイトで紹介や解説があるのなら、教えてください。 Googleでは発見に失敗してしまいました。 また、東中野氏は今回どのように言及しているのでしょうか、 どなたか、ページをスキャナで御取りになりませんでしたか?
│├ ようこそ、です。 とほほ 2005/02/23 20:38:11 (修正2回) ツリーへ
Re: 初心の質問で恐縮です。
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とほほ <csqrkrwfrq> 2005/02/23 20:38:11 ** この記事は2回修正されてます
ようこそ、です。 ご挨拶遅れました。当掲示板管理人の一人とほほと申します。よろしくお願いします。ピッポさんとは問答版でご発言のあったピッポさんでしょうか?(^.^) だとしましたら老婆心ながらご忠告、あの程度で小林さんを信頼したら、また裏切られてとんでもない事を言い出すのが小林さんのキャラクターです。ご注意ください(笑) > どなたか、ページをスキャナで御取りになりませんでしたか? えっと、当掲示板では著作権の問題は干渉はしませんが、あきらかに違法な場合は削除させてもらう事になります(現時点まではそう言う削除をしたことはありませんが)、あくまで投稿者の方々の自己責任と言う事でお願いします。
││└ ご忠告有難うございます。 ピッポ 2005/02/23 22:04:42 ツリーへ
Re: ようこそ、です。
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ピッポ <vrfylenujm> 2005/02/23 22:04:42
ご忠告有難うございます。 >老婆心ながらご忠告、あの程度で小林さんを・・・ いま問答板に入ってみましたら、小林さんは性懲りも無く梶村さんにぶら下がり突っかかっていましたので、和解宣言を削除してきました。 「恥」写真集のWEB情報の方はいかがでしょうか?
│└ 「16枚の写真帳」と表現するべきでしょうか... 熊猫 2005/02/23 22:10:06 ツリーへ
│ └ 熊猫さん有難うございます。 ピッポ 2005/02/23 22:35:07 ツリーへ
├ 添付した写真は『日寇暴行実録』(1938年7月... 熊猫 2005/02/25 19:27:06 (修正2回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/25 19:27:06 104.jpg ** この記事は2回修正されてます
添付した写真は『日寇暴行実録』(1938年7月)の有名な写真です。ティンバリー本の漢口版にも掲載されていますので、1938年6月25日以前に撮影されたものであることは、東中野氏も認識できているはずです。 また、どのような経緯で写真を入手したかは謎ですが「本書に挿入した写真は訳者が各方面より蒐集したもので、原著者の責任ではない。」(外国人の見た日本軍の暴行 P15)とありますが日本兵の撮影した写真が、中国人に流出していたのは東中野氏の著書を冷静に読めば解ることです。 タラリさんの説と重複しないように配慮して・・・・http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/kaiketsu.htm 【いつ撮影されたのか?】 ■左側の落葉樹より判断して、1938年6月25日以前の東中野氏の大好きな冬場に撮影されたもの。新緑の季節に撮影されたもでないことは一目瞭然です。さすがに「草むしりをしましたので......」とは言わないでしょう。 ■そもそも南京事件の期間が、1937年12月13日〜1938年2月5日などと言うのは戦後の我々の概念であり、1938年当時の中国人に東京裁判や南京軍事法廷の判決を予言することは不可能なことです。これらの写真は1937年8月13日(或は日清戦争)〜1938年6月のアバウトな戦争写真であると考えるべきではないでしょうか。 『南京事件「証拠写真」を検証する』より P85 一、刀を持つ人は、首を斬るさい、右足が前に出ていなくてはならないが、左足を前に出している。 ■写真は人物の左側から撮影されたものであり、左足が前に出て見えるのは不自然ではない。遠近感が理解できていないのではないかと思われます。 ■写真は「刀を振りかざして、斬る直前のもの」と勝手に決めつめています。斬る直前は、更に刀を振りかざすものであり東中野氏の指摘は根拠がありません。 P86 また、座っている人物の影がない。 ■だとすると刀を持っている人物の右足の影は誰の影でしょうか。後にいる3人の影ではないことは誰が見ても確かなことです。手前にいる座っている人物の影です。 P86 人物(a)の右足の靴の方向が前向きでなく後ろ向きとなっており、不自然である。 ■やはり東中野氏には遠近感がありませんでした。しっかりと前向きです。陸上競技のグランドで撮影されたものではありませんので、踵が微妙に窪んだところにあれば自然な形です。人物の姿勢が右に傾いていることからも、右足の部分の地面が低くなっていることくらい気が付いて欲しいものです。そもそも捏造するのであれば、この人物は必要ありません。 P86 刀を持つ男はチャンチャンコのようなものを着ているが、将校、下士官、兵を問わず、このような服装をした軍人は日本軍には存在しない。 ■三流週刊誌の芸能記者じゃあるまいし、意味不明の論調に突っ込みを入れるのも馬鹿馬鹿しい。「日本兵は絶対に軍服を着ているものである」とでも言いたかったのでしょうか?個人の肖像権がありますので、この場で提示しませんが軍服姿ではない日本兵の写真なら他にもあり、南京戦に参加した日本兵が中国人の服装をしている写真を見たら、東中野氏はなんと言うつもりでしょうか。 日本刀で人の首を斬ろうとする者が、軍服を血で汚さないようにしても不自然ではないと思います。むしろ軍服を着ていないことで斬首経験があったとも考えられリアルなのではないでしょうか。 P87 この写真を根拠に、すぐさま探し出されて裁判にかけられても不思議ではなかった。 ■他の写真でも南京軍事法廷を引き合いに出していますが、裁かれた3人は日本の出版物により氏名が明確であっただけのことです。部隊も氏名も解らない相手をどうやって探し出せと言うつもりでしょうか。当時の国民党にそのようなことを求めること自体がナンセンスな思考回路です。
├ 棲霞山 熊猫 2005/02/26 03:15:50 (修正3回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/26 03:15:50 kumaneko.jpg ** この記事は3回修正されてます
棲霞山 認識の違いや勘違いを非難する気は毛頭ありませんが、東中野氏は学者として最低のルールが守れていません。やはり、三流週刊誌レベルでしかない捏造をしています。自論を正当化するためには手段を選ばない行為は、法律上の罪はなくとも人道上の罪を犯しているのではないでしょうか。 P202より 引用開始-------- 手紙の内容を見てみると、一月四日から一月十九日まで日本軍の略奪、強姦、殺人などの暴行が書かれている。ここに報告されていることが正しくないことは、そのセメント工場に駐屯した日本軍兵士が、そこでは住民との接触がなく、何の事件もなかったと証言していることからもわかるが、そのことは不問に付して先を読んでみると、「一月二十日頃、新しい分遺隊が到着し・・・・・・状況がずっと好転した」(三一四頁)とある。つまり、一月二十日以降は平穏になっていたと手紙は言っているのである。 引用終了-------- >手紙の内容を見てみるとhttp://www.geocities.jp/yu77799/kokusaiiinkai.html##seikasan ■手紙は棲霞山寺の難民キャンプの被害報告であり、江南セメント工場の難民キャンプの被害報告ではありません。 >そのセメント工場に駐屯した日本軍兵士が、そこでは住民との接触がなく、何の事件もなかったと証言していることからもわかるが ■「棲霞山寺」と「江南セメント工場」を摩り替えるという卑劣なトリックをつかっています。東中野氏が提示したのは「江南セメント工場」の写真です。 @「棲霞山寺の手紙」を「セメント工場に駐屯した日本軍兵士の証言」で誤魔化す。 A「江南セメント工場の写真」を「棲霞山寺の手紙」で誤魔化す。 二つの難民キャンプに詳しくない読者が読めば、騙されてしまうでしょう。 >つまり、一月二十日以降は平穏になっていたと手紙は言っているのである。 ■「手紙は言っているのである。」とは、東中野氏の得意な逃げ方をしています。手紙は1月25日に書かれたものであり、当然それ以降のことは書かれていません。 1月25日以降はどうだったかは、『ドイツ外交官の見た南京事件』P198〜P199を読めば解ることです。東中野氏の著書でも、この本を読んで記述していますので、知らないはずはないと思います。 ■P202「高僧の一人によって書かれ・・・・・・」 じゃ〜ん!!!!はい!今回は熊猫の出血大サービスで、手紙を書いた高僧の写真を添付しています。もしかして日本初公開かも?この掲示板のメンバーだったら、高僧さんの名前はご存知ですよね(^^) ゆうさん・タラリさん・JA2047さんも見たことないかも? 熊猫が無断で撮影した写真ですので、管理人に削除される前に見ないと損!損!(^^) おっと!東中野氏からケチがついてはいけないので・・・・・・追記! 添付した写真:東中野氏によると、いつ、何処で、誰が撮影したか解らないといけないそうですので(^^) ■2005年1月25日、南京市棲霞区棲霞寺で熊猫が撮影しました。 本気で真実を知ろうとするならば「誰が撮影したか」より、「何が撮影されているか」の方が重要なのではないでしょうか?
├ 皆さんお気づきでしょうか? 熊猫 2005/02/26 15:46:03 ツリーへ
│└ マー ja2047 2005/02/26 19:07:34 ツリーへ
├ スレ主から一言 ゆう 2005/02/26 19:54:20 (修正1回) ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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ゆう <pmyqfxtjon> 2005/02/26 19:54:20 ** この記事は1回修正されてます
スレ主から一言 このスレ、まとめて読むと、実に面白い。 皆さん、それぞれ、ご自分の「得意分野」から、大変興味深い分析をされていらっしゃいます。 永久保存版にする価値はあります(^^) ・・・あ、月曜からは、ネット喫茶すら周辺にない環境ですので、本当にネットから消えます・・・
├ 「在南京被日寇用刺刀殺戮之七歳児童」 熊猫 2005/02/28 23:36:19 ツリーへ
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/02/28 23:36:19 japan33.jpg
「在南京被日寇用刺刀殺戮之七歳児童」 これは『日寇暴行実録』に書かれているキャンプションです。 添付した写真は、『日寇暴行実録』とは微妙に違いますが、問題は無いと思います。 この写真は、「いつ・何処で・誰が」撮影したのかは東中野氏もマギーフィルムは見ているので知っているはずです。 ○いつ:李秀英さんとほぼ同時期ですので、南京事件の真っ只中であることは間違いないと思います。 ○何処で:南京の金陵大学付属病院 ○誰が:ジョン・マギーが撮影した 『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)P100より 【引用開始】------ 写真19は『日寇暴行実録』で「南京の日本軍が刀で殺戮した七歳の児童」と説明されている。しかし、この写真は「マギーフィルム」のなかの一コマで、後にいる人物を消すため、周囲が黒く塗りつぶされている。 【引用終了】------ >後にいる人物を消すため、周囲が黒く塗りつぶされている。 黒く塗りつぶしていようがいまいが、そして後の人物が見えようが見えまいが、マギーが撮影した南京市民の写真であり、信憑性の高いものであることにはかわりはありません。 「この事件を当然話題にもし」とは、東中野氏自身の主張であり、なお更キャンプションの内容は正しいものであるということになります。
│└ 写真19について。 msq 2005/03/01 22:38:32 (修正2回) ツリーへ
Re: 「在南京被日寇用刺刀殺戮之七歳児童」
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msq <locldvewih> 2005/03/01 22:38:32 ** この記事は2回修正されてます
写真19について。 塗りつぶしたというよりは影の部分がつぶれた(シャドーがつぶれた)ように見えるのですが。 japan33.jpg のゆびさしている人物が身を起こしたので影だけが残ったのでしょう。 「写真19は....黒く塗りつぶされている。」の段落ではマギーのフィルムがソースであることを否定していませんが(できないから)、その前段と後段で挟んで、いっしょに疑念を抱かせようとしているみたいですね。そのために「人物を消すため...塗りつぶされている」という味付けをしているように見えます。ここを挟んでいる前後の段落は本来連続していなくてはならないはずです。 東中野氏の卑怯なテクニックだと思います。
│ └ またまた、騙されました(^^) 熊猫 2005/03/06 11:57:42 ツリーへ
Re: 写真19について。
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熊猫 <xhcvsuquwp> 2005/03/06 11:57:42
またまた、騙されました(^^) 再度、マギーフィルムを静止画像で見ると簡単に謎が解けました。東中野氏の勘違いなのか、嘘なのかは判りませんが、動画をコマ送りで見ると、「後の人物(ウイルソン氏)」の姿は最初はありません。動画ではウイルソンは最初はいなくて後からやって来て少年に触れています。 つまり、マギーフィルムの別のコマ(最初の方)を写真にしたのであれば、ウイルソンの姿が写ってないのは当然のことであり、わざわざセコイ真似をする必要はありません。 また、黒く塗りつぶしたのではなくて、少年は暗い部屋の開いた窓か扉の前に横たわっており、少年の場所だけが明るかったことが解ります。停電などの理由により部屋の照明が点けられていない状態で撮影されたものだと思います。 実際のマギーフィルムの画像は、横長ですが『日寇暴行実記』のように左右をカットした縦長にすれば、小細工をすることなく「写真19」のような画像になります。不必要な箇所をカットしたところで、プロパガンダとはなりません。 この動画は下記のURLでも確認することが出来ますので、ウイルソンが登場する前の画像を停止して、左右をカットした状態で見れば、東中野氏の「人物を消した」「黒く塗りつぶした」が逆プロパであることが解ります。尚、画像を全部見るためには時間がかかりますので、根気のない方にはオススメできません。 URLの「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」の「登録」をクリックしていただければ見ることが出来ます。http://www.china918.net/91802/nj1213/index.asp 東中野氏は実際のマギーフィルムではなく、japan33.jpg を見て、勘違いしたか或は、マギーフィルムを見たが検証しなかった。知らずに自論を述べているのか、知っていて嘘をついているのか?・・・・・・微妙ですね(^^)
│ └ >東中野氏は実際のマギーフィルムではなく... ja2047 2005/03/06 19:28:16 (修正1回) ツリーへ
Re: またまた、騙されました(^^)
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/03/06 19:28:16 ** この記事は1回修正されてます
>東中野氏は実際のマギーフィルムではなく、japan33.jpg を見て、勘違いしたか或は、マギーフィルムを見たが検証しなかった。知らずに自論を述べているのか、知っていて嘘をついているのか?・・・・・・微妙ですね(^^) この辺は東中野氏自身の検証というより、松尾さんのチームの仕事ではないかと思います。写真のつぶれというかトーンの飛びを「塗りつぶした」と誤認してるわけですね。 >URLの「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」の「登録」をクリックしていただければ見ることが出来ます。 なる、「南京事件 証拠写真を検証する」のP194に出てくる「白人の警備兵」というのが、このフィルムに登場するのですね。一見ソ連兵のように見えます。 中国にも「白系露人部隊」があったようですが、南京にいたという話は聞きませんしね。 何が紛れ込んだのだろう。
│ └ 「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」〜... ピッポ 2005/03/07 00:51:51 (修正3回) ツリーへ
Re: >東中野氏は実際のマギーフィルムではなく...
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ピッポ <vrfylenujm> 2005/03/07 00:51:51 ** この記事は3回修正されてます
「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」〜中国国内のTV番組か?〜をダウンロードして拝見しました。 japan33.jpgは、映画を編集する際に切り取った未使用部分から、写真を起こしたのではないですか? 例えば □□□□□□|■■■■■■■■■■■■■■|□□□□ (未使用) (医師登場) (指をさす) ↑ここを写真に? ところで、もともとのソースのマギーフィルム。そのカットごとの内容を吟味した研究はありますか? (屋上に海軍陸戦隊兵士がいるように見えたカットがありましたけど)
│ └ >ところで、もともとのソースのマギーフィ... ja2047 2005/03/07 06:45:27 ツリーへ
Re: 「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」〜...
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/03/07 06:45:27
>ところで、もともとのソースのマギーフィルム。そのカットごとの内容を吟味した研究はありますか? これまでに出版物になったのは松尾さんの「プロパガンダ南京事件」ぐらいじゃあないでしょうか。 もちろん、詳細研究されて未発表の方もおられると思いますが。 「ドイツ外交官の見た南京事件」のP162以下が、同時代に見たマギーフィルムのカットごとの紹介というのをやっています。 病院の部分に比べて、爆撃の紹介部分は簡単ですので、東中野本の取り上げたカットが全て当初からマギーフィルムにあったのかどうかは判りません。 こんな具合です。 ********************************* フィルム一 この映像の大部分が、一九三七年九月と一〇月の間におこなわれた日本軍の南京空襲で構成されている。このフィルムの巻末か、フィルムニ冒頭のいずれかは、中国人のキリスト教徒を映している。かれらは避難所の一つに設けられた野外施設にいるところである。日付は、一九三七年一二月一九日である。 フィルムニ (一)日本軍による南京陥落の数日後、南京上空に飛来する日本軍爆撃機。 (二)一九三七年二一月一六日。南京、上海路の中国人女性たち。息子や夫たちが元兵士の疑いで手 当たりしだいに集められたため、脆いて日本軍にかれらの命乞いをしている。何千人もの一般市民がこのように縄で縛られ、下関の川岸や、池のへり、空き地に連れて行かれ、機関銃、銃剣、歩兵銃、さらには手榴弾で殺害された。 ********************************* 「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」には、日本で撮影された画像が出てきますので、オリジナルのマギーフィルムではないのでしょうね。
│ └ ja2047さん有難うございます ピッポ 2005/03/07 08:46:25 (修正1回) ツリーへ
Re: >ところで、もともとのソースのマギーフィ...
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ピッポ <vrfylenujm> 2005/03/07 08:46:25 ** この記事は1回修正されてます
ja2047さん有難うございます > 松尾さんの「プロパガンダ南京事件」ぐらいじゃあないでしょうか そのダイジェストはこれですね。 特集#1 宣伝映画”THE BATTLE OF CHINA”と『THE RAPE OF NANKING』ネタ写真集 〜 使用写真をめぐってhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/Battle.htm 松尾さんは、フィルムで撮影するのが大変なことを知らないようです。 現在のビデオ撮影とは全く違います。 フィルムは高いし、短いし(16ミリ100ftロールは約3分、取材用ビデオテープは30分とか1時間)。あらかじめ部隊の協力、兵隊さんの協力を得なければ、とてもじゃないけど撮影にはならなかったでしょう。 記録映画でも、 「(カメラスタートしたあと)はい、突入してください!」 という撮影の仕方です。 > 「ドイツ外交官の見た南京事件」のP162以下が、同時代に見たマギーフィルムのカットごとの紹介というのをやっています。 心して置きます。 > 「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」には、日本で撮影された画像が出てきますので、オリジナルのマギーフィルムではないのでしょうね。 ご説明から良く分かりました。「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」に、日本の幼稚園などの風景がありましたね。 > フィルム一 この映像の大部分が、一九三七年九月と一〇月の間におこなわれた日本軍の南京空襲で構成されている。このフィルムの巻末か、フィルムニ冒頭のいずれかは、中国人のキリスト教徒を映している。かれらは避難所の一つに設けられた野外施設にいるところである。日付は、一九三七年一二月一九日である。 日本のシーンの後ですね。なにか、宣教師の集会と混ざってやしませんか? > フィルムニ (一)日本軍による南京陥落の数日後、南京上空に飛来する日本軍爆撃機。 空襲のところに使っていますね。 > (二)一九三七年二一月一六日。南京、上海路の中国人女性たち。息子や夫たちが元兵士の疑いで手 当たりしだいに集められたため、脆いて日本軍にかれらの命乞いをしている。 「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」ではハッキリしませんでした。2回見ただけでは。
│ └ >そのダイジェストはこれですね。 ja2047 2005/03/07 20:31:48 (修正1回) ツリーへ
Re: ja2047さん有難うございます
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ja2047 <zguiletmbk> 2005/03/07 20:31:48 ** この記事は1回修正されてます
>そのダイジェストはこれですね。 ええ、東中野氏の著作も松尾さんとこの「写真検証」をベースにしてる見たいですし。 そこ、面白いこと書いてありますね。 「日本兵の軍紀が乱れていたのは事実であり、残虐行為が行われていたことも事実である。しかしこの写真を以て、南京事件の証拠写真とすることはできない。」http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/crime%20scene.htm でも、このページにある ・日本軍の鉄兜にしては湾曲してて小さい ・普通日本軍は肩から吊るすベルトをしていない ・まれに刀を吊るすためベルトをするときがあるが、その時ベルトの向きは写真とは逆になる ・制服が立折襟になっているので、写真の制服は昭和13年6月1日以降のものである ・将校しか履いていない長靴を履いているにもかかわらず、軍刀を持っていない というのは、爆笑ものの大間違いなのです。 「日本兵の軍紀が乱れていたのは事実であり、残虐行為が行われていたことも事実である。しかしこの写真を以て、南京事件の証拠写真とすることはできない。」 の部分だけなら、私も同意なのですが。
│ └ >「日本兵の軍紀が乱れていたのは事実であ... ピッポ 2005/03/07 21:14:51 (修正2回) ツリーへ
Re: >そのダイジェストはこれですね。
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ピッポ <vrfylenujm> 2005/03/07 21:14:51 ** この記事は2回修正されてます
>「日本兵の軍紀が乱れていたのは事実であり、残虐行為が行われていたことも事実である。しかしこの写真を以て、南京事件の証拠写真とすることはできない。」 の部分だけなら、私も同意なのですが。 私も全く同意です。 >>調べてみると、この写真の初出になると思われる雑誌記事を発見した。 >> 『The China Weekly Review』の1938年10月22日号の記事がそれである。 キャプションにはこうある。「日本人の将校が、日本の軍隊によって殺戮された中国市民の実況を検分している。場所は蘇州」。 つまり、蘇州・でも・ 虐殺行為が行われていた、という論証にもなりかねませんね。 ところで『The China Weekly Review』とはどんな雑誌なのですか? (追記) ------------------------------------------ Harvard-Yenching Library Western-Language Newspapers on East Asia Updated 21 May 2002http://hcl.harvard.edu/harvard-yenching/westernpaperlist.html のページに China Weekly Review . Shanghai. Began 1917, published originally as Millard's Review. Founded by Thomas F. Millard, who was Asian correspondent for the New York Herald Tribune during the Russo-Japanese War. June 9, 1917-Dec. 31, 1932; microfilm FW 1757, 24 reels これでしょうか? ----------------------------------------------- それで、 > 爆笑ものの大間違いなのです。 は、当然既出でしょうね。私は知りませんが。
│ ├ >つまり、蘇州・でも・ ja2047 2005/03/07 22:31:50 ツリーへ
│ │└ なるほど、知らぬと騙され知ってると爆笑と... ピッポ 2005/03/07 23:03:11 ツリーへ
│ └ ChinaWeeklyReviewについて 渡辺 2005/03/08 00:29:53 (修正4回) ツリーへ
Re: >「日本兵の軍紀が乱れていたのは事実であ...
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渡辺 <oogeblxyju> 2005/03/08 00:29:53 ** この記事は4回修正されてます
China Weekly Review について ピッポさん、渡辺といいます。 1ヶ月以上、ちときつい労働に勤しんでおりましたので疲労が蓄積して投稿する元気がなく、みなさんの投稿はROMしておりました。 jaさんなど、返信をしなければいけない方々には失礼をいたしました。徐々にネットに復帰いたします。 さて、写真について多くの方が関心をもたれたようで、心強く思っています。そういう意味では、きっかけとなった本を書いた東中野先生に感謝しています(^^) 写真関係では、いままでに、こういう↓投稿をしております。 『CNN掲載1937年の「中国軍残虐写真」』http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=26291&range=1 また、こういう↓投稿を連載中です。 『日本軍の残虐・暴行写真』http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=30423&range=1 東中野先生の新刊書は、ピッポさんに先を越されてしまったようなのでBOでは売切れで、まだ入手しておりません。入手しましたら、コメントしたいと思います。 >これでしょうか? はい、そうです。 China Weekly Review は、中国における米国ジャーナリズムの父 Thomas Franklin Farifax Millard (密勒)によって1917年に Millard's Review of the Far East として創刊された上海の英文週刊誌です。Millardが1922年に中国政府の顧問になることになったので、部下の John B. Powell が買収、1923年に China Weekly Review 、中国名「密勒氏評論報」と改名しました。[1] 1941年、日本軍の上海占領に伴い休刊し Powell は牢獄でひどい脚気となって両足を失い米国に送還されました。(後に東京裁判の証人となる。1947年に死亡。) 1945年に息子の William Powell によって復刊され、中華人民共和国成立後の1953年に広告主が減少して廃刊に至りました。なお、William Powellらは、1953年に米国に帰国すると反政府活動を理由として告発され、1961年まで争うことになりました。[2] China Weekly Review の記事の内容は堅実で、1917年−1953年の中国についての貴重な資料です。多数の残虐写真が掲載されたのは1938年だけの例外です。 Millard はミズーリ大学卒業で、同窓生には上海で Millardと共に働き後に Japan Advertizer を東京で創刊した B.W.Fleisher、Edger Snow や J.B.Powell、中央宣伝部副部長となった董顕光などがいます。また、ミズーリ大学は北京の燕京大学(Yenching University)と提携して中国のジャーナリズムに大きな影響を与えました。 [1] John B.Powell, "My Twenty-five Years in China" NY 1945, The MacMillan Company, pp.11, pp.90-91 [2] Stephan R. MacKinnon etal., "China Reporting", LA 1990, University of California Press, p.113
│ ├ CNN記事は今年1月に再燃しましたね。通州事... ピッポ 2005/03/08 09:02:43 ツリーへ
│ │└ 今後ともよろしく 渡辺 2005/03/08 23:57:04 (修正1回) ツリーへ
Re: CNN記事は今年1月に再燃しましたね。通州事...
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渡辺 <oogeblxyju> 2005/03/08 23:57:04 ** この記事は1回修正されてます
今後ともよろしく China Weekly Review について補足いたします。 上海の租界では、中国籍の刊行物については中国側が検閲していましたが、外国籍については工部局が行っていて実質的に自由でした。そういう意味でも上海の外国籍の新聞記事には価値があります。海外への記事の発信には中国の検閲がありましたので、租界の新聞記事のほうが自由に書けたわけです。なお、日本軍が上海の中国機関(税関・海底ケーブル・無線・郵便)を接収してからは、日本によって海外への情報発信が検閲されました。 ピッポさん:> >CNN記事は今年1月に再燃しましたね。通州事件とからめて「日本人が中国人から受けた虐殺」、野蛮な中国人の心証として。 「日本 vs 中国(あるいは、日本に反感を持つ欧米諸国)」といった二極対立的に物事を設定するというのが、ひとつの手法ですね。 >私もまさか「絵葉書写真」だとは思いもよりませんでした。 印画紙の裏面が葉書用に印刷されている「絵葉書写真」も売られていましたが、投稿で使用したのはすべて普通の写真です。 日本軍の残虐写真に秘密などなく、ほとんどが上海で売られていたものだと思われます。有名になった写真で、当時上海で入手されたと思われるものがオークションに出ることがあるのですが、私の経済力では落札できません。 「恥」の写真帳の件では、同じ写真が上海で出回っていたと思われますので、話がややこしくなっているようです。 >今は、 >http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20050216 >のような与太記事が、ブログ、2CHを通じて1夜にして駆け巡る時代です。 自分で確かめて発言するということは、労力のいる作業ですから、手っ取り早く「シナ」などと書いて恥じないような与太記事がチェーン・メールみたいに駆け巡るのでしょう。 >私もまさかCNN記事が1996年のものとは思いもよりませんでした。 最近の記事だと思ってましたか? >(「チベットの少女を中国軍が射殺」というデマ写真も最近ありましたね。) それは知りませんでした。 >それだけ私が『洗脳』されているのでしょう(笑)。 そういうのは洗脳とは呼ばないでしょう(^^) 先ほど、東中野修道編著『南京「虐殺」研究の最前線 平成十五年版』に掲載されている北村稔教授のTimperley策謀説を読んでいたのですが、普通の人は「そうか」と思ってしまうんじゃないかと思いました。 詭弁というのは、本人も無意識にその罠に陥ってしまいます。結論を一度出してしまうと、その結論を擁護するための強引な論理や詭弁の誘惑が湧いてくるのですね。 結局、歴史的事実というのは史料でしか判断できないし、史料の範囲でしか論じられないのです。史料をどう判断したかとか、事実と事実の間隙をどう繋いだかという問題は常にあります。しかし、そこに問題意識を感じないで、推論・仮説・飛躍した理論などを無節操に織り交ぜれば、"面白い"歴史を語ることができてしまいます。 >渡辺さんの研究を読まないと、一歩も真実には近づけませんね。 とんでもないでござる(@o@; 参考になれば幸いですが。 しかし、後世の人に役立つ「研究」にしたいと願っています。写真の件などは、研究者が力を注ぐべきテーマではないと思いますので、素人の私がやっております。資金不足と人力不足で四苦八苦していますが。 では、こちらこそ宜しくお願いいたします。
│ │ └ 私もまさかCNN記事が1996年のものとは思いも... ピッポ 2005/03/09 10:48:34 (修正1回) ツリーへ