日本による朝鮮統治を善政ということの無意味さは、 86年前、すでに石橋湛山が指摘するところである。
「およそいかなる民族といえども、他民族の属国たることを愉快とする如き事実は古来ほとんどない。…朝鮮人も一民族である。彼らは彼らの特殊なる言語をもって居る。多年彼らの独立の歴史をもって居る。衷心から日本の属国たるを喜ぶ鮮人はおそらく一人もなかろう。…これを個人の場合について考うれば、直ぐに分ることだ。おそらく何人といえども、自己意識のある以上、他人の保護管理の下に生活するのでは、その他の一切の要求が遺憾なく充たし得られても、決して満足はせぬ。何となれば、自己は自己によって支配せられぬ限り、真の意味において生活はないからである。自己なき所にいかなる善美も意味を成さぬ。民族の生活もまた同様である。故に鮮人は日本の統治の下にいかなる善政に浴しても、決して満足すべきはずはない」 (1919.5.15「社説」『石橋湛山評論集』岩波文庫、87〜88頁)
1922年10月、三人の衆議院議員が朝鮮視察した際の 朝鮮人の意見聴取記録にも、同様なことが述べられている。
「我等は総督政治の善悪如何に拘らず日本民族と朝鮮民族との民族的関係から朝鮮の独立を必要とするのであります。…当局の統治策は常に『朝鮮民族は幼稚である故に日本の力を以て開発せねばならぬ』と云うが如く一種の劣等人種扱に致し居る傾があります。勿論今日の所からすれば、いくらか幼稚なる点は私も承認します。然し乍ら幼稚なるが故に他に倚らねばならぬ理由は毫頭ないのです、幼稚なれば幼稚なる其の程度に於て自身で開発の路を辿らねばなりませぬ。でなくて徒らに強制的に他の力を以て如何に文明の制度を敷いたとて、真に開発の事は出来ないと思ひます」 (「朝鮮民意聴取録」『史料日本近現代史U』三省堂、1985年、33頁)
朝鮮総督府財務局長を務めた水田直昌も、次のように述べている。
「日本人が異民族の心持というものが判らなくて、自分がいいと思つたことは異民族もいいと思うであろう、つまり悪女の深情、善意の悪政ということです。具体的に言うと、朝鮮人を日本人にしてやろうというこの善意ですね。…民族の風習を早く日本風にさせようということについて非常にせっかちなんです」 「こういうことは民族感情を無視した政治だ。こちらはいい気持なんです。大和民族にしてやる、そこまではいい。お参りしろ、ある神社をつくつて、何千人参拝したということになると、政治が形式に堕する。末端の行政は、いやでも応でも神社にお参りさせる」 「要するに…民族感情というものに深き透徹なくして、早くわれわれのレベルに到達せしめてやろうという風なことが、彼らから見ると、非常に自由の拘束、圧迫を感ずる」 (『財政・金融政策から見た朝鮮統治とその終局』友邦協会、1962年、24頁)
朝鮮軍司令部『鮮人問題ト其ノ対策』1927年 (アジア歴史資料センター:C01003763900) では、次のように朝鮮人の「民族的意識」が指摘されている。
「鮮内現時ノ進歩ハ往日ノ比ニアラス、産業ノ発達教育ノ進歩等見ルヘキモノ多々アルモ鮮人ノ民族的意識ハ益々旺盛ニシテ、朝鮮独立ノ念願ト内地人ニ対スル民族的反感ニ至リテハ、殆ト大部ノ抱懐スル所ナリ」4枚目
「古来殖民地民族ト母国ノ民族ト真ノ融和ヲ得タル例ナク鮮人ハ機会アル毎ニ吾人ノ覊絆ヲ脱センコトヲ念願トセリ」10枚目
「鮮人ノ民族的意識ハ年ト共ニ旺盛ニシテ、民族ノ解放、朝鮮独立ノ念願ハ文化ノ進歩ト共ニ益〃熾烈ナリ。親日ト称シ、排日ト称スルモ五十歩百歩ニシテ、各人ノ思想ヲ窮極スレハ畢竟ハ朝鮮民族ノ独立ナリ。其ノ鮮内ニ在ルト、鮮外ニ在ルトヲ問ハス、思想ハ共通シテ機会アレハ、帝国ノ覊絆ヲ脱センコトヲ焦慮シアルヤ確実ナリ」17枚目
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